1.「まちづくり」と地方分権
 1)地方分権の必要性
地方分権と広域自治体の役割
 地方分権論が話題になってきますと広域自治体と基礎自治体の役割の問題をきちんと考えないといけなくなってきます。役割としては基礎自治体がほとんどのことを行うべきであり、それが、地方分権を実施する意義です。
 これまでは、
広域自治体
(都道府県)
基礎自治体
(市町村)
という役割の流れの中での国と基礎自治体との橋渡しの役割があったために広域自治体は必要であり、意図的につくられたものでありました。分権論になれば根本のところから考え直さなければなりません。
 広域自治体は基礎自治体単独では出来ない、あるいは効率的な問題として行う必要があるものに限定されてきます。広域自治体は次のような基礎自治体の補完あるいは調整としての役割が考えられます。

  1.北海道全体の総合計画
  2.環境問題(公害等)の問題(ゴミ処理場等)
  3.医療の問題
  4.福祉の問題
  5.高齢者の問題
  6.教育の問題
  7.基礎自治体を跨る幹線的道路や河川の問題
  8.広域的な文化施設の問題

 また、効率論の問題から言えば、条例手続き等の専門分野の調査・研究の問題が考えられます。

 広域自治体として必要な役割を真剣に議論しなければ広域自治体の役割については惰性で動いてしまい従来の体質から少しも変わりません。ましてや地方分権にはなりません。
 道庁はこれまでの流れの中で役割機能が異常なまでに拡大し市町村が本来やるべきことまで全てと言っていい程行ってきています。これにより市町村も自ら考えようとして来なかったのかもしれません(勿論そうでない市町村も多く存在することも事実でありますが)。
 道庁そのものも自ら北海道全体をどうするのかということを真剣に考えていなかったのではないでしょうか?。道職員全体がそうだということではありません。真剣に考えていた人たちは道庁という大きな組織の流れの中で押しつぶされていったであろうということは想像するのに難しくありません。
 長期総合計画の策定にしても、それぞれの分野や市町村からの構想の積み上げを整理しているに過ぎないのではないでしょうか? このように思うのは私だけなのでしょうか? 分厚い本の中に書かれている文章も具体性に乏しいから、読んでいても誰もがそうだと思うことしか書かれないため、その段階では批評することはできません。批判できないような言い回しに記述されています。美文になってしまいます。

  2)地方分権の意味するところ

 地方分権は、国、都道府県、市町村間の事務役割分担ではない。地方分権の根底には『成熟した市民社会』の形成がある。
 これまで、地方自治体は、行政の行動原理である「公平・平等」の基に、主体的な関わり合いを持つ『市民』が不在のまま、地域特有の個性を除外し画一化した『街づくり』を行ってきた。地域性とは従来の行政型縦割社会における全国一律の平等型地域ではない。元来、地域はそれぞれ異なるのが自然な形であり、地域のことを真剣に考えて行動すれば自ずと他の地域とは異なり個性が出てくる。『まちづくり』では結果として地域の個性が現れるのであって、個性を優先して求めるものではない。いわゆる個性を目的化すべきではない。地域に極端に特化して他地域との関係を絶つという意味ではなく、地域の『市民』が真剣にそこでの暮らしについて考えるなら、必然的に他地域との関係も考えざるをえなくなる。
 ここで言う『市民』とは、「住民」と異なり、住んでいるエリアだけでなく広い地域全体のことも考慮して発言し、その発言内容に責任を持って行動をする人のことを称している。『市民』という概念は、『成熟した市民社会』においては重要な意味を持ってくる。 『街づくり』を進める中で、日本は行政や企業が社会的な決定力として大きな力を持ち過ぎた結果、日本社会のゆがみを各所でつくり、あらゆる分野で大きな壁にぶつかっている。これらの壁を破るためには、これまでの「公平・平等」を行動原則とする行政では限界があり、また、これからの『まちづくり』に対する多様化した『市民』のニーズに応えるためには、これまでのような画一化した行政施策では困難なのである。ここには、市民セクターが中心となって『まちづくり』を行う『成熟した市民社会』が必要となる。『成熟した市民社会』とは、自己決定・自己責任の原則に則して行動出来る自律した個人である『市民』が、それぞれの考え方に基づいて行動する社会である。また、この社会では、勢力、決定力として市民、企業、行政の3つのセクターが対等の立場で関係するパートナーシップが築かれ、社会のバランスを保っていることが基本的合意となる。
 これまでの『まちづくり』は行政主導で行われ、市民セクターは他のセクターに比べ小さな存在であった。『成熟した市民社会』を築くには市民セクターを他のセクターと対等の立場にするために、もっと強化する必要がある。市民セクターを強化して他のセクターと対等になったものがNPO(民間非営利組織)と考えることが出来る。一方、『成熟した市民社会』はそれぞれのセクターの役割が明確になった社会とも言える。市民セクター(NPO)にとっては、『市民』の自律・自己実現が社会的に擁護されている社会であるが、その反面、『市民』は地域社会に対して責任をもつことが義務となる。
 これからは、従来型経済発展型思考の『街づくり』ではなく、地域文化型思考の『まちづくり』を選択する『まち』が現れてくるであろう。『市民』が一丸となって自分の『まち』について話し合い、自分たちの地域をつくっていくことが、本来の意味の『まちづくり』なのである。このような『まちづくり』を進めるためには、市民、企業、行政の3つのセクターが対等の立場で関係するパートナーシップが築かれていることが前提となる。市民主体の『まちづくり』を実践していくためには、『市民』の代表であり、『成熟した市民社会』を築くための道具・手段としてのNPOの存在意義は非常に大きいものと言える。

 3)地方分権の最終目的

 地方分権は、国、都道府県、市町村間の事務役割分担ではない。地方分権の根底には『成熟した市民社会』の形成がある。
 これまで、地方自治体は、行政の行動原理である「公平・平等」の基に、主体的な関わり合いを持つ『市民』が不在のまま、地域特有の個性を除外し画一化した『街づくり』を行ってきた。地域性とは従来の行政型縦割社会における全国一律の平等型地域ではない。元来、地域はそれぞれ異なるのが自然な形であり、地域のことを真剣に考えて行動すれば自ずと他の地域とは異なり個性が出てくる。『まちづくり』では結果として地域の個性が現れるのであって、個性を優先して求めるものではない。いわゆる個性を目的化すべきではない。地域に極端に特化して他地域との関係を絶つという意味ではなく、地域の『市民』が真剣にそこでの暮らしについて考えるなら、必然的に他地域との関係も考えざるをえなくなる。
 ここで言う『市民』とは、「住民」と異なり、住んでいるエリアだけでなく広い地域全体のことも考慮して発言し、その発言内容に責任を持って行動をする人のことを称している。『市民』という概念は、『成熟した市民社会』においては重要な意味を持ってくる。 『街づくり』を進める中で、日本は行政や企業が社会的な決定力として大きな力を持ち過ぎた結果、日本社会のゆがみを各所でつくり、あらゆる分野で大きな壁にぶつかっている。これらの壁を破るためには、これまでの「公平・平等」を行動原則とする行政では限界があり、また、これからの『まちづくり』に対する多様化した『市民』のニーズに応えるためには、これまでのような画一化した行政施策では困難なのである。ここには、市民セクターが中心となって『まちづくり』を行う『成熟した市民社会』が必要となる。『成熟した市民社会』とは、自己決定・自己責任の原則に則して行動出来る自律した個人である『市民』が、それぞれの考え方に基づいて行動する社会である。また、この社会では、勢力、決定力として市民、企業、行政の3つのセクターが対等の立場で関係するパートナーシップが築かれ、社会のバランスを保っていることが基本的合意となる。
 これまでの『まちづくり』は行政主導で行われ、市民セクターは他のセクターに比べ小さな存在であった。『成熟した市民社会』を築くには市民セクターを他のセクターと対等の立場にするために、もっと強化する必要がある。市民セクターを強化して他のセクターと対等になったものがNPO(民間非営利組織)と考えることが出来る。一方、『成熟した市民社会』はそれぞれのセクターの役割が明確になった社会とも言える。市民セクター(NPO)にとっては、『市民』の自律・自己実現が社会的に擁護されている社会であるが、その反面、『市民』は地域社会に対して責任をもつことが義務となる。
 これからは、従来型経済発展型思考の『街づくり』ではなく、地域文化型思考の『まちづくり』を選択する『まち』が現れてくるであろう。『市民』が一丸となって自分の『まち』について話し合い、自分たちの地域をつくっていくことが、本来の意味の『まちづくり』なのである。このような『まちづくり』を進めるためには、市民、企業、行政の3つのセクターが対等の立場で関係するパートナーシップが築かれていることが前提となる。市民主体の『まちづくり』を実践していくためには、『市民』の代表であり、『成熟した市民社会』を築くための道具・手段としてのNPOの存在意義は非常に大きいものと言える。