7.ネットディ
 ネットデイとは、ボランティアの手によって、子供たちが自由にインターネットで遊べる(利用できる)通信環境を整備し、遊びの中から自然にインターネットによる情報収集能力やパソコンの活用方法を身につけてもらうことです。今大変興味を持っているのがこのネットデイです。高知県での調査で非常に印象に残り、北海道でも推める必要があると強く感じています。これからの北海道、あるいは日本を背負う子どもたちはインターネットというコミュニティー手段として非常に大きな存在であるものを通して世界中の人たちと交流できるなら、世界観は大きく変わり、社会構造を変えていくと思われます。

 ネットデイはそんな意味からアメリカで爆発的に普及し始めました。子どもが自由にインターネットを扱えるようにするイベントです。行政サイドは財源や手続きの問題から、各学校にインターネットを接続することができません。日本の場合は特にそうなのですが、行政の公平性・平等性が大きな障害となっています。ネットデイは、ボランティアで対応しようというものです。子どもに自由にインターネットを経験してもらうことを優先にして、古いパソコンでもインターネットが使えるパソコンを企業などから寄付してもらい、学校に配線する行為についてはボランティアの人たちを募り一斉に開始する仕組みです。ネットデイとしたのは、イベントとして一斉に実施することにより、話題となりニュースとなるため、インターネットについて一般の人にも知れ渡るという効果も狙っています。 学校では、子どもが自由に使えるようになりますと、その操作がが分からなくなる場合が起こります。その時、そばにいる先生は、その子どもたちの中に加わって一緒に考えるようにならざるをえません。もはや担任の先生はインターネットを操作できないというわけにはいかなくなります。それまでパソコンやインターネットに無縁であった先生も知らず知らず加わってくることになるわけです。これは担任の先生だけではありません、子どもの親も理解しないわけにはいかなくなってきます。 行政に任せるといつまでも達成されません。ここには機敏に動くボランティアの人たちの存在を見逃すわけにはいきませんが、いつまでもボランティアに頼っているわけにもいきません。そこで登場するのがNPOの存在ではないでしょうか? 行政が行おうとすれば、パソコンの保証の問題、指導の体制など、全てを完璧にしなければなりません。勿論、この考え方を変えることも大切なのですが、公平性・平等性が前提にある限り機敏な行動は困難です。NPOなら、行政が行うよりは遥かに安い金額で動くことができるでしょう。これは行政の安上がりの部分をNPOが引き受けるという意味ではありませんが、企業等で少し古い機種のパソコンを寄付して貰うなど、あるいは、インターネット関連企業等からの人材協力、寄付を募れば、NPOとして成り立つ可能性はあります。

 ネットデイはもう一つの利点があります。高知県では、高校生でパソコン、インターネットに精通している生徒がボランティアで参加し、老人養護施設にインターネットを使えるように協力しています。そのことにより、その後、老人からメールが届くなどコミュニケーションが始まりました。異世代の人たちが交流する機会を与えたことになるわけです。老人は小中学校の子どもと違い、いろいろな経験を踏んでいるため豊富な知識を持っています。これらの知識は、高校生ではまだ経験していないことであり、お互いが助け合う結果を生む可能性を含んでいるのです。ネットデイというイベントを通して、コミュニティーが広がっていくことは明らかであり、それが自主・自律へと繋がっていくことになります。

私が感じたネットディ
●教育分野のみのネットディなら参加はなかったかもしれない
 ネットディは元々は教育の情報化という趣旨でアメリカで始まった。子供にも自由にインターネットが行える環境を作り出そうということで、ボランティアを募って始まった。
 学校に新しいパソコンを提供するためにはかなりのお金が掛かる。中古パソコンを企業から提供してもらい、さらに、配線等の労力をボランティアに求めた。
 アメリカではゴア副大統領とクリントン大統領がこのイベントに加わったことで一挙に広がった。
 

●ネットディの意図するところ

 ネットディを行う意図は次のとおりだと私は思っています。

   1.インターネットを一般の人に理解してもらう。
   2.小・中学生が自由にインターネットを使える環境を整える。
   3.福祉施設等でもインターネットが自由に使える環境を整える。
   4.ボランティアの協力で実施する。
   5.市民、企業、行政が一体となって協働して実施する。
   6.世代間や分野を超えた交流を発生させるきっかけをつくる。

 1.では、インターネットを使える環境を整えるということが前提となっている。
インターネットは良い面と悪い面の両面をもっているが、インターネットが活用されるようになった背景を考え必要がある。
 2.については、ネットディがアメリカから始まった訳であるが、コンピューターの普及が盛んなアメリカでさえ、小・中学校ではあまり使用されていなかった。
 アメリカでのネットディの普及の陰には、純粋な意味だけではなく、企業あるいは政府の思惑を込めて展開してきたことは想像に難くない。
 しかし、これからを背負う子供達が自由にインターネットを使える環境を整えようとする団体の力が大きく働いたことも想像できよう。アメリカには、日本にはないボランティア魂というか慣習というか気質みたいなものがある。協働して地域の問題を政府には頼らずで、自分たちで環境を整えようとする精神を持っている。これは、地域環境のほとんどを行政が行ってきた日本の社会には乏しい内容と言わざるを得ない。
 子供達がインターネットを自由に使える環境にないなら、地域の者たちで環境を整えようとするのはアメリカでは自然な現象だと言えるのではないか。
 インターネットをするだけなら、新品の最新鋭のコンピュータまでは必要ない。それなら、捨てられる運命にあるコンピュータを提供し、みんなで協力すれば、そんなに費用はかからない。政府から予算をとって実施するまでに相当の時間を要する日本のようなやり方をする必要はない。地域で活動しようと思ったら直ぐに実行する。また、実行できる環境は我々日本人には羨ましい限りである。
 アメリカでは、ネットディの爆発的な展開は、クリントン大統領とゴア副大統領が自らボランティアの一人として協力したことがきっかっけで拡大した。

(ボランティア活動)

 今回ネットデイを行おうと思ったのは、プロジェクトで高知県に視察に行ったことがきっかけであった。高知県に3人で視察に行った。事前に視察内容を高知県にお知らせし、視察内容が高率よく聞き取れるようにしようとのことであった。
 ここは、橋本知事の県であり、知事自らパソコンを扱い積極的に行動しているところである。事業の進め方がトップダウン方式であり、国等からの補助金を積極的にとってくる。知事が思っていることは、かなり早く実施される。担当部局の人達は各地から訪れる人達の対応に忙しそうであった。
 この時の話では、ネットデイについては交わされたかった。
ネットデイの中心となったNTTの人達と話しをした時である。ビデオを見せてもらうことから始まった。それを見るまでは、ネットデイとは小、中学生にインターネットを自由に使って貰おうという認識でした。しかし、ビデオの中では、高校生が老人施設でもインターネットが出来るように、ボランティアで協力していた。インターネットのケーブル接続、その後のパソコンの操作方法などを行っている。
 基本的には、ネットデイは年に実施日を決めて、一斉に繋ぐイベントであるが、その後のフォローも大変重要なことなのです。
高校生と老人施設の人達との交流が、ネットデイを機に始まった。いわゆる異世代交流が始まったのである。私は、この点に大変惹かれ、北海道でも出来るのではないかと思ったのである。小、中学生が自由に扱えるだけのイベントなら、恐らく北海道で広めようという気にはならなかったに違いない。
 インターネットのメリットは、「ネット上の会話では、全てが平等である」という点である。話の上手下手、年齢、性別、身分の肩書き、等は全く関係なく平等に会話ができのである。
また、非対象性もこの場合は大変なメリットだ。電話と違い、相手がその場にいなくても話したいことを書き込み送信することができる。このことは、特に異世代の人が交流する場合には大切なことで、自分のペースに合わせて返事をすることができる。
高齢者は、豊富な人生の経験を持っている。高校生にとっては、豊富な人生経験は参考になることが多いのではないだろうか。
 高校生は、ネットデイを通して、貴重なボランティアを経験することになり、他の人達に対する思いやりなども身についてくるに違いない。

(協働作業)

 ネットデイは、ボランティアの人達との協働作業で成り立っている。中古のパソコンをボランティアの人達と一種に使用出来るところまで整備し、施設へのインターネット接続についても、専門業者に頼まず、必要な部品やケーブルのみ購入し、労働力については施設の人達とボランティアで行う。ここは大変重要なことです。地域のボランティアの人達との協働作業をすることにより、インターネット接続という行為を通して、地域での「まちづくり」に結びついていく。地域の「まちづくり」のきっかけをつくることにも役にたつ。
 平仮名の「まちづくり」は、大変広い意味を持っている。施設整備等のハードの「街づくり」だけではなく「人づくり」まで含まれる。
 ネットデイに参加して私も感じたんですが、インターネットを接続するだけなら、性能あまり良くない中古パソコンを整備するよりは、新しくて性能が良いパソコンを安く買った方がずっと早いのではないかと思いました。中古パソコンの場合はリサイクルというシステムをつくりだすということへの意識を高め、廃棄物を少なくするという環境に配慮した、大きな観点から言えば、地球温暖化にも協力しているということになるのしょうか?
 しかし、この点だけを考えれば、パソコンの寿命を引き延ばしているに過ぎないのではないかと言う人もいます。
それならば、リサイクルの大きなシクミをつくれば、性能が良くて低廉なパソコンを作り出す速度が速くなり回転数もよくなるのではないだろうか?
 こう考えると中古パソコンを使えるようにすることは果たして正しいのだろうかという疑問沸いてきます。
 もし、新しいパソコンを購入するなら、ほとんどの場合、O.S.も挿入されており、ケーブルに接続するだけで完了してしまい。ケーブル等の作業も含めて業者に金額を支払えばそれで終了してしまいます。この過程では、地域との関わり合いがいっさい無いことになります。
 北海道で行うネットデイの目的は、地域との関わり合い、協働、地元ソフト等の活用ということがあります。
今回のネットデイでは、ネットデイに関わった人がつくったソフトも一部で使用しています。
ネットデイも、平仮名の『まちづくり』を進めるきっかけの一つであることは間違いありません。
 平仮名の『まちづくり』は範囲が大きい環境から文化芸術、人づくり、まで含まれる。
これは、その地域に住んでいる人達が、その地域を愛し、その人達が主体となって、ずーと住み続けたいと思うような地域を作り上げる行為そのものことである。地域が既にそのような状態になっているのであれば、『まちづくり』という行為は必要ない。しかし、『まち』は、生き物と同じで生きている、常に動いているのである。そういう点から考えると永久的に続けられる行為であろう。
 ここで重要なことは、その行為の主体はあくまで市民(自分の言動等に責任を持って行動する人。単なるその地域に住んでいる住民とは異なる)であるということである。
 『まちづくり』の行為のきっかけは、いろんなことから発生して構わない。
分野別には、環境問題、教育問題、文化芸術あるいは介護問題などそのきっかけはまちまちである。それらの発端が、地域の人達を巻き込み、さらには、もっと広い範囲に拡大するのは何ら構わない。
 ネットデイもこの『まちづくり』にきっかっけの一つの行為に過ぎない。しかし、私が興味を惹かれたのは、異世代交流のきっかけになるのではないかということだった。
 一年目から欲を言うことはできない。今回は、始めてのせいもあり対象施設は限定したが、社会福祉施設を加えた。9月10日に行われた第1回ネットデイでは、圧倒的に小、中学校が多かった。ボランティアで協力してくれたスタッフが教員である人が多いことから、その人達のネットワークで施設の応募があったものといえる。
 1回や2回のイベントで北海道全体に広がっていくとは考えにくい。毎年続けることができるようなNPOの存在が必要だ。しかしである、日本型ボランティアでは長くは維持できない。初期の段階では協力してくれるが、毎年続く場合は、息切れしてしまう。継続するための維持費をどこかから集めなければならない。

(寄付金を募る)

 企業にとってみれば、性能の良い新しいパソコンを導入するためには、古いパソコンは廃棄しなければならない。廃棄するためには、お金が掛かる。その額については、NPOに寄付してもいいのではないだろうか?
 さらに、今後は、企業も社会貢献しなければならなくなるだろう。企業の収益は市民から預かったものに過ぎない。その収益の一部を社会貢献税とか何かでフィードバックするシクミができるとNPOとしても維持できるのではないか?
 北海道独自の社会貢献税という新税をつくりNPOにバックするシクミはできないのであろうか。これは、行政が基金を出すのと同じ行為になるが、行政が関わると、行政を批判するNPOは不利な立場に立たされることになる。
寄付行為をした企業については、ホームページに企業のPRをしてやる。

(市民、企業、行政)

 今回のネットデイは、道行政のプロジェクトから企画されたものですが、実施につきましては実行委員会形式で進められました。実行委員会方式なので、行政が主体で行ったことではありませんが、やはり実際にはかなりお手伝いしていたのも事実です。
 これまでの、行政のやり方からすれば、全ての費用を予算化するため、行政主導で実施されます。この場合、担当する職員が事業の内容に詳しくて、やる気がある場合は有効に処理され、そのスピードも速いのですが、行政の場合は、往々にして、予算がついているので仕方が無く行うというのが常です。
 1年目の場合は予算を取った人が実施の中に加わっている可能性が高いため、最初の事業の趣旨に沿った内容で実行されるのですが、2,3年目になると、当初の人達は他の部局に配置替えされ、予算獲得については形骸化してしまう。ましてや、行政の財政が悪くなると、良く分からない内容の場合は、切り捨てられてしまいます。
 また、趣旨の分からない管理職が配置されると、予算獲得のためにテクニックだけは上手に行うんです。
 このようなやりかたは今後は続かないであろうと思います。