3.インターネットは市民革命
1)インターネットの驚異的特色

   ・世界のネットワークが参加する巨大なネットワークである
   ・技術規格がオープンにされている
   ・マルチメディアである
コミュニティとしてのインターネット
・インターネットは単なるテクノロジーではなくコミュニティである。
・語り合い、売買し、政治的社会的な力を行使する人々の共同体である。
・コミュニティでビジネスしているのであって、単にテクノロジーを使っているのではない。
NPOにとってのインターネットの有効性
・NPO活動にとって、インターネットは次のような有効性がある。

    @ネット上では誰もが平等である(肩書き、性別、身体障害等の差別はない)
    A双方向性のメディアであること
    Bグローバルであること
    C低コストであること
    D情報の蓄積と検索が可能なこと
    E情報公開性

・インターネットに公開された情報は、差別・選別されることなく、全て平等に受け取ることができる。また、差別・選別
 されることなく平等に情報を発信することができる。この情報に関する公開制、自由こそ、インターネットが本来有し
 ている本質なのである。それは、マス媒体や権力のメディア支配に対して、初めて拮抗しうる、市民的メディアの可
 能性が生まれてきたことを意味している。
インターネットはネットワークのネットワークを形成できる
 NPO活動は、様々な分野あるいは地域の活動である。それぞれのNPOの中での結びつき、いわゆるネットワークの強さもそれぞれ異なる。そのような自由さがNPO活動の基本でもある。
 それぞれのNPO活動ネットワークと他のNPO活動ネットワークを容易に結びつけることができるのがインターネットである。
 活動に賛同する人たちだけが登録されているNPO活動のネットワークならパソコン通信で可能である。インターネットは、それぞれのネットワークをつなぐネットワークとしても利用可能なのである。
インターネットの可能性
・インターネットは史上初めて普遍的アクセス性というものをもたらした。ネットワークの概念が変わった。
・これまでは、巨大データベースがあり、巨大商業ネットがあり、その外に小さなBBSがあった。これらは、全てがイン
 ターネットという全体的なネットワーキング環境の中につながれ、相互連動するようになった。
・小さなNPOでも自分たちの情報を非常に小さなパソコンで出すことができるようになった。誰もが自分の出版社(者)
 になれ、誰もが自分の放送局を持つことができるようになった。
・起業家と小ビジネスの活動にとってネットワーキングは非常に適合し、新しいビジネスの形態が生まれている。
・より多くの人々と、起業家が相互に連携をとりながら、高度に専門化された分野の事業を共同して行うことができる。
インターネットの波
・インターネットは軍事研究ネットとして始まりながら、統制困難なほど分権的なネットに成長してしまった。決して中心
 から管理されず、個々のネットが勝手に接続しあいながら無限に自己増殖している。ここに様々な市民団体、小ビジ
 ネス、さらには個人が簡単に情報発信基地をくっつけていけるようになれば、情報とメディアの世界は根本的に変わ
 る。小さな存在が大きな存在と対等に巨大なメディア空間に出ることができる。「だれもが出版社になり、だれもが皆、
 放送局になる」と言われる由縁だ。
『まちづくり』におけるNPO活動の展開とインターネットの果たす役割
 成熟した市民社会の『まちづくり』は、これまでの社会にしみついていた固定観念から抜け出して、『市民』が主体的に行動した時から、その実現に向けて動き出すに違いない。見逃せないのは、そのような動きの背景に次の3つの大きな流れがあることだ。

   (1)NPO(民間非営利組織)   (2)地方分権(行政改革)   (3)情報公開

 これらの3つの流れは、成熟した市民社会にとっては、どれ一つとして欠かすことが出来ない。それぞれがお互い密接に関連している。
 これらの中でもNPOは、地方分権(行政改革)、情報公開の法制度化とも密接に関連してくるが、成熟した市民社会の『まちづくり』を実現するためには、大変大きな要因となる。

 平成8年に道庁では、社会経済情勢の変化に伴う新たな行政課題や総合的、横断的な課題について、政策開発に取り組む「赤レンガ政策検討プロジェクト」を設置した。プロジェクトでは、政策課題として、その活動に期待が高まっている「NPO(民間非営利組織)活動」を取り上げ、「NPO活動推進検討プロジェクトチーム」を一般公募職員を含めた構成で立ちあげ、平成10年4月にその報告書をまとめた。この報告書の中では、NPO活動を幅広く支援する多機能型サポートセンターとしての「NPOメッセ」という機能を整備することを提案している。NPO活動は自由な市民活動であり、行政が介入すべきではないという意見も多くあったが、ここでは北海道の豊かな未来を創造していくための議論の基本素材、たたき台として報告書をまとめたものである(別添資料1、2)。

 NPOメッセの機能としては、

     @情報交流支援
     Aマネージメント支援
     B活動基盤整備支援
     C財政支援
     Dその他

 を掲げおり、その細かな内容については報告書に委ねることとし、ここではデジタルネットワークに関連する主なものを提案し、プロジェクトの中で検討していくものとする。


2)インターネットはアメリカで反体制グループが立ち上げた
   ・反体制運動

・サンフランシスコの湾岸地区を中心に活動していた。この地がメッカだったのである。
・マイクロプロセッサが誕生する以前から、この地ではパーソナルコンピュータ革命につながる活動が行われていた。
・ここは60年代末にアメリカの大学を吹さ荒れた反体制運動や反戦運動の影響が色濃く残り、東洋思想が流行
 したりしていたところだ。
・ハッカーたちから見れば、当時のコンピュータのありかたを変える試みが、すなわち反体制運動なのだ。
・一部の権力者、すなわち政府や大企業だけがコンピュータを所有し、情報を独占している。
・市民の一人一人がコンピュータの能力を享受できなくてはならないし、情報はすべて共有されるべきなのである。
・彼らの多くは、大学でコンピュータとネットワークに触れ、その可能性を肌で感じていた。
・そこでは誰もが発言の機会を持ち、新しいコミュニティが形づくられる可能性がある。
・ちょうどそこに登場したのが、ミニコンピユータと呼ばれる小型のコンピュータであった。
・70年前後の話である。
・まず最初に彼らはミニコンビユータに飛びつき、隅から隅まで探検して(「ハック」して)、それを使いこなすことを覚え
 ると同時に、その力を市民の手に解放するべきだと考えたのである。ハ‥
・大学生という多感な時期をベトナム戦争を背景に過ごしたハッカーたちの中には、人手を中退し、この新しい技術を
 自分たちの理想とする形で市民に解放するための活動を行う者もいた。
・市民が情報を共有できる″電子掲示板”をつくりあげる。そして、それを市民の手に開放した。
・コンピュータとネットワークを自在に操れるという自らの能力を、反体制運動、反戦運動の中に生かしていく道を見つ
 けた人々なのである。
・たんなる反体制運動ならば、政府の大型コンピュータを鉄パイプで打ち壊すとか、どこかの組合の「コンピュータ導入
 反対デモ」に参加するなどしていることだろう。
・「正しくコンピュータを使えば、新しいコミュニティをつくることもできる」という信念と、それを実現でさるだけの技術があ
 った。
・いまは自分たちだけが知っているが、それを人々の手に解放しなくてはならない。七三年に開発された高機能のマイ
 クロプロセッサ・8080(インテル社)に興奮し、個人でも所有できるコンピュータができないかとミーティングを繰り返し
 たのも、当然の帰結である。
・いま振り返ると、パーソナルコンピュータが誕生し、そのあとネットワークができたかのように見えるが、歴史は逆で、
 まずネットワークありきなのだ。
・冒頭で述べたハッカーたちの誇りは、自分たちが果たLてきた役割、つくりあげてきた文化への誇りである。
・たんに「コンピュータに詳しい」ということを誇っているのではない。
・90年代に入って経営分野で大流行している″オープン″という戦略も、もともとは彼らが生み出したものだ。コンピュ
 ータ業界では、製品の技術情報を秘密にし、他社の製品との共存を拒否し、ユーザーを囲いこむのがマネジメントの
 常識であったが、反権力志向の彼らは、技術情報を公開する″オープンアーキテクチャ″を採用した。
・メーカーが技術情報を独占するといいうことは、権力者になるということである。
・人々はコンピユータを前に「ユーザーであること」を強要される。教科書を前に人々が「読者であること」を強制される
 のと同じことだ。
・いくらコンピュータが安く、小さくても、それだけでは不十分だ。すべての情報がオーブンで、メーカーのみならず、ユ
 ーザー自身が中身を切り刻めてこそ(ハックする、という言葉の原意は「切り刻む」である)、コンピュータがコンヴィア
 ルな道具たり得るのである。
・パーソナルコンピュータはその性能によって評価されるべきものではない。
・ハッカーたちが息吹を与え、育ててきたコンヴィヴィアリティ重視の″文化”が評価きれるべきなのである。

・反体制運動、産業文明批判という思想的な背景の中で、コンピュータに詳しく、その実力をよく知る人たちが、その大
 衆化を念頭において活動を行った。
・情報は公開されるべきであり、共有されるべきである。こうしたハッカーたちの思想と活動が、エリート科学者たちの手
 によつて開発されたA R P Aネットという基盤にのった結果が、現在のインターネットなのである。
・70年代から80年代にかけてのハッカーは、大雑把に二つに分類できる。第1はそれぞれ仕事を持ちながら、パーソ
 ナルコンピュータ(PC)とそのネットワークにのめり込んでいったPCハッカーであり、第二は大学に残り、技術の新し
 い可能性に魅せられたU N I Xハッカーである。

・これは80年前後から、革の根BBSと呼ばれるネットワークに発展Lた。手軽なパーソナルコンピュータと電話線を使
 い、グループで情報を共有するシステムだ。その背景には、アメリカ西海岸のネットワーキング運動がある。″草の
 根″(grass roots)という言葉づかいがそれをあらわしている。
・″市民のネットワーク”そのものである。
・UNIXとは、アメリカ電信電話会社(A T&T)のベル研究所が69年に開発を始めた基本ソフト(OS)のこと。


 ・インターネットの発展は市民活動の発展の象徴
 ・縦社会から横社会の立て役者はインターネット
インターネットは市民革命
 インターネットの始まりは、アメリカのサンフランシスコ湾岸地区を中心に活動していたコンピュータに詳しいハッカーから起こりました。インターネットを始めたいがために、パーソナルコンピュータを開発していきました。ここで言うハッカーとは、コンピュータプログラムをいじって徹底的にその可能性を試す人のことであり、日本で思われているようなネットワーク侵略者を意味してはいません。侵略者はクラッカー(CRACKER)あるいはパイレーツ(PIRATES)と呼べばいいのです。

 インターネットは、パーソナルコンピュータが発展した結果として起こってきたのではありません。このサンフランシスコ周辺は、反体制運動や反戦運動が盛んなところでした。

 また、このころアメリカでは技術的進歩とともにコンピュータが益々大型化し、情報が大型コンピュータに集中管理されるようになります。大型コンピュータを自由に扱える者は、効率よく全ての情報の入手が可能となるのです。大型コンピュータを使用できる立場にあるかどうかによって、入手できる情報量に大きな開きが生じることになります。

 大型コンピュータを利用できるものはそれを所有している政府や大企業だけであり、情報が限られた人たちに独占されていることになります。

 このような一部の権限を持った人たちから市民に情報を解放しようということでハッカーは動き出しました。当時はミニコンピュータになりますが、これに徹底的に関わり、大型コンピュータの情報を引き出す方法を考えていったのです。これが後々インターネットへと発展することになります。これらの行為は、まさに中央集権に対する反体制運動なのです。中央集権型社会から分権型社会に移行する過程に非常に似ています。

 インターネットそのものが、従来の中央集権型社会から市民が主体となる分権型社会へと移行するための市民革命と言っても過言ではありません。活動する市民の自由な意志と行動が社会に満ちる中でしかインターネット技術は開化しないからです。