1.「まちづくり」とインターネット
『まちづくり』インターネットの特徴
 『まちづくり』の分野でも市民活動団体の多くは自前のホームページを持っています。阪神淡路大震災を契機として、これまでの行政主導型の縦割り型情報システムの脆弱性が露呈され、NPOの存在が注目されました。『まちづくり』は、市民が主体とり、行政及び企業と対等のパートナーシップの関係をもつことが重要となります。市民一人ひとりでは巨大な組織の行政や企業とは対等の関係を持つことは困難です。そこで、市民の代表としてのNPOの存在となるのです。NPOは市民が力を持つための道具であるということも言えます。行政や企業の縦の繋がりに対して、NPOは上下関係の無い横の繋がりをもった団体と言えます。この横の繋がり、いわゆるネットワークを形成する大きな手段の一つがインターネットの存在です。
 インターネットは『まちづくり』にとっては欠かせない存在となっています。インターネットの始まりは、アメリカのサンフランシスコ湾岸地区を中心に活動していたコンピュータに詳しいハッカー(徹底的にコンピュータの可能性を試す人のことであり、クラッカー[侵略者]とは区別する)から起こりました。インターネットを始めるために、パーソナルコンピュータを開発していきました。
 インターネットを始めたいがために、パーソナルコンピュータを開発していきました。ここで言うハッカーとは、コンピュータプログラムをいじって徹底的にその可能性を試す人のことであり、日本で思われているようなネットワーク侵略者を意味してはいません。侵略者はクラッカー(CRACKER)あるいはパイレーツ(PIRATES)と呼べばいいわけです。
 インターネットは、パーソナルコンピュータが発展した結果として起こってきたのではありません。
 このサンフランシスコ周辺は、反体制運動や反戦運動が盛んなところでした。また、このころアメリカでは技術的進歩とともにコンピュータが益々大型化し、情報が大型コンピュータに集中管理されるようになってきました。大型コンピュータを自由に扱える者は、効率よく全ての情報の入手が可能となります。このことは、大型コンピュータを使用できる立場にあるかどうかによって、入手できる情報量に大きな開きが生じることになります。
 大型コンピュータを利用できるものはそれを所有している政府や大企業だけであり、情報が限られた人たちに独占されていました。このような一部の権限を持った人たちから市民に情報を解放しようということでハッカーは動き出しました。ミニコンピュータに徹底的に関わり、大型コンピュータの情報を引き出す方法を考えていったのです。これが後々インターネットへと発展することになります。
 これらの行為は、まさに中央集権に対する反体制運動であり、中央集権型社会から分権型社会に移行する過程に非常に似ています。従って、インターネットで支えられている社会は、分権型社会を形成することであり、平仮名の『まちづくり』なのです。
 インターネットが登場した時の状況は、中央集権型社会から分権型社会に移行する過程に非常に似ています。インターネットで支えられている社会は、分権型社会を形成することであり、平仮名の『まちづくり』なのです。『まちづくり』におけるインターネットの利用は仲間同志での情報交換は勿論のことですが、今まで付き合ったことがない者が知り合うことができる「きっかけの場づくり」としての利用も大きなことです。これまでの地域づくりは、行政主導の基での町内会組織による限定されたエリアでの行為であったと言えます。この場合、縦割り型情報伝達型式になりがちであるため、平仮名の『まちづくり』という言い方にはなりにくいのです。また、インターネットは『まちづくり』に大きなものを提供しています。インターネット上では、肩書きも地位も男女の差別もなく平等です。自分に合った条件で会話ができます。話しの下手な人、話す速度の遅い人、身体の不自由な人、子ども、老人などいろいろな条件を持っている人でも平等に会話することができるのです。時間的なことから集まりに出られない人でもこの世界の集まりには参加できます。地理的なエリアを超えた繋がりを持つことができるのです。
 『まちづくり』におけるインターネットの利用は仲間同志での情報交換は勿論のことでありますが、今まで付き合ったことがない者が知り合うことができる「きっかけの場づくり」としての利用も大きなことです。
 これまでの地域づくりは、行政主導の基での町内会組織による限定されたエリアでの行為であったと言えます。この場合、縦割り型情報伝達型式になりがちであるため、平仮名の『まちづくり』という言い方にはなり難いのです。
 また、インターネットは『まちづくり』に大きなものを提供してます。インターネット上では、肩書きも地位も男女の差別もなく平等です。自分に合った条件で会話ができます。話しの下手な人、話す速度の遅い人、身体の不自由な人、子ども、老人などいろいろな条件を持っている人でも平等に会話することができます。
 時間的なことから集まりに出られない人でもこの世界の集まりには参加できます。地理的なエリアを超えた繋がりを持つことができるのです。
 『まちづくり』の原点はコミュニティであると言っても過言ではないでしょう。コミュニティー形成手段の大きな武器となることは間違いありません。インターネットによるコミュニティーの可能性は無限に近いくらい存在します。
 ある地域では、お年寄りがお年寄りのためのパソコン教室を始めたところ日本中から入会希望者が殺到し会員が300人にもなっているという例もあります。お年寄りとインターネットは結びつかないのではないかと思われていましたが、それは、我々に何かしらの先入観があり、コンピュータ、インターネットは若い世代の特権のような感覚が頭のどこかに存在しているためではないでしょうか?そう思えてなりません。
 インターネットは『まちづくり』においても従来の考え方に基づいたやり方を捨て、自由な発想と様々な可能性を持っていることを前提として考える必要があるのではないでしょうか? 老人施設と高校生との繋がりなど、ジェネレーションを超えた繋がりを創る可能性を含んでいると言えます。
 これからは、インターネットがある特殊層(コンピュータを扱える若者など)の特権であるかのような考え方を変えて、誰もが使える生活の一部であるような環境をつくり出す必要があります。