タ ピ オ ラ
2.タピオラ

 ヘルシンキから西方に10km行ったエスポー市の中に、世界的に有名なタピオラ団地がある。50年前に建設されたこの団地は、未だに世界中から羨ましがられている地区で、森林の中に住宅地が点在している感じをうかがわせる。団地の中心街はさすがに森林の中にあるという感じではないが、それでも自然の木をそのまま配置(-87) してあり、中心部は当時とかなり変わったと言われるが、自然の木を生かすという当時の思想をそのまま引き継いでいる。
 高層アパート(-88) や中層アパート(-89) でも自然に存在していた木をそのままにして建設した様子がうかがえる。写-90 については、建物のデザインも周辺の森林を考慮して、出来る限り日本で見られるような単調なファサードを避け、自然の一部であるかのように考えている。写真ではなかなか実感がわかないが、その建物の周辺に立つと調和がとれていることがよく分かる。階段室部分の開口部にも工夫がこらされ、日本のような単調さはない(-91)。写-92などは、建物の写真が撮れないくらい白樺の木々に覆われている感じがする。
 フィンランドは緯度が高く、直射日光の角度が低いためか、直射日光が照っている時は出来る限り身体に吸収しようとする。タピオラ中心部の低層ホテルには全ての部屋にヘランダがついていてテーブルと椅子が置いてあり、日がさすとベランダに出て日光浴をする(-93)。直射日光が照ると、公園や住宅の庭に裸で座っている様子をよく目にした。
 タピオラを自分の足と目でじっくり見ようと、カメラを手に持ちながら住宅や周辺の景色を撮っていたら、その辺の連続住宅に住んでいる人が声をかけてきた。言葉は英語であったため片言で受け答えすると、家の中を見せてあげると言ってくれたので素直に中へ入れてもらうことにした。床面積はあまり大きくないが、室内はコンパクトに整理されている(-94)
 床は白木のフローリングでワックスが塗られており、日本と同じくらい綺麗なフローリング床である。玄関から中へ入ると思わず「靴を脱ぐのですか」と聞いてしまった。「そのまま上がっていいですよ」と言うので、靴のまま上がってしまったが、日本の生活に慣れているせいか罪悪感を感じてしまう。この家は30年前に建てられたものであると言っていたが、広さは確かに狭いが建物はまだしっかりしていた。2階建て連続住宅で2階に上がる階段は木製のラセン階段。手すりはさすがに鉄パイプであるが、木製ラセン階段を使用するとはやはり木の国を感じた(-95)。2階には、アコーディオンカーテン(-96)があったが、これもやはり木の国ならではのことであろう。クロスのものと比べると高級な感じを受ける。北海道にもこのようなアコーディオンカーテンがあってもいいのではないかとさえ思えてくる。一戸建住宅(-97,98) は、デザインのいいものはあまり見かけなかったが、周辺の緑は実に多く、また、隣の家との境がほとんどない。さすがに森の王国という感じであるが、北海道に住み慣れている者にとっては羨ましい点とちょっともの寂しさを感ずるかもしれない。
 残念なことに、単純なミスで撮したフィルムが失敗してしまった。北海道に戻ってからそのミスに気づいたがそのときはもう遅かった。しかし、私の脳裡にははっきりとまだ焼きついている。フィンランドの人は実に親切で優しく、恥ずかしがり屋であり、北海道人とよく似ている。別の場所を歩いていたら、また、老夫婦(-99)が声をかけてくれてタピオラからヘルシンキまで車に乗せてくれた。いかにも親切そうな老夫婦であった。
 
-24:タピオラ位置図 -25:タピオラ市街図
   
-26:タピオラマスタープラン -27:近隣住区配置図
 
 a)概要

 この団地計画の諸元は次のとおりである。
 地区面積 276ha、1万7000人 人口密度60人/ha

 
         (土地利用計画)

                 住宅         24.2%
                 商業           2.3%
                 ガレージ・交通施設  10.5%
                 公共施設                    5.1%
                 公園         54.2%
                 工業                         3.7%

 計画戸数 4600戸
 計画人口 18000〜19000人
 計画密度 65人/ha
 計画年   1951年
 計画主体 アスントサッティオ(民間非営利企業)
 交通経路 エスポー市、ヘルシンキ市西方10km、バスで約15分

 タピオラとは、神話に出て来る神様のことであるが森の王国という意味にも使われる。この団地の建設の基本テーマは次の3つを柱としている。
               @自然との調和
               A職住近接
               Bソーシャル・クロス・システム導入

 全体の建物の配置計画は、地形の起伏に逆らわず、低い所には低層住棟、高い所には3〜4階建ての住棟を建て、それによって自然をより強調し、街全体にリズム感を与えることが基本パターンとなっている。自然環境との調和を図るため、特殊な建物以外は、樹木の高さより低く抑えられている。住宅建築に当たっても最小限度の樹木の伐採しか認めていない。このことは実際に団地を歩いてみると良く分かる。
 住民は緑の管理のため、一定の負担が課されている。毎月一人当たり1800円程度の費用負担となる。
 現在3000人以上の職場があり、これは地区内の発生就業者数の半分に相当する。将来は6000人分の職場を作る予定となっている。
 日常用食料品店は個々の住宅から半径230m以内に置かれており、この距離が”乳母車距離”と呼ばれている。
 ここではソーシャル・クロスシステムが導入され、老人と子供の触れ合いや異なる職業階層の人々の交流を深め、活発なコミュニティをつくる工夫がされている。各年齢階層、各所得階層の人々を計画的に一つの住区内に混ぜ合わせることであり、これにより老人も学生も、工員も医者も隣同志となる。

 b)住区計画
 住宅地計画は中心地区を囲み北(低〜中層)、東(高、低層)、西(高層)に3住区をもつ。東部、西部、北部の3つの近隣住区と地区センターより構成され各住区は著名な建築家による競技設計で建設されていて、各地区ごとに個性ある街並みが展開されている
 東部住区は1952年から56年にかけて、アールネ・エルビーをはじめ4人の建築家の参画によって建設された。高層住宅と低層住宅を中心とし、5000人の居住者がある。
 東部住区の拡張区域としてイッテランタ部分が1958年から64年にかけて建設された。居住人口は2000人であり、オストラハティ湾を望む傾斜地には、低層連続住宅、丘の上の7階建てはアルバ・アールトのデザインによっている。
 西部住区は1957年から60年にかけて建設され、高層住宅を中心として5000人の居住者がある。参画建築家グループは、エルビーをはじめ9人あったが、住区を9つの区域に分け、それぞれが1区域をデザインした。
 北部住区は1958年から65年にかけて建設された。ここではエルビーをはじめ3人の建築家に対し指命コンペがなされたが、ベンテ・アホラが入選した。この住区では東部、西部の各住区が地形に合った住棟配置がなされたのに対し、幾何学的な配置がなされた。中低層住宅を中心として5000人の居住者がある。施設計画は5000〜6000人を対象とするサブセンターを3個、周辺の人口の利用をも含め20000人を対象とする地区をもつ。

 c)経緯
 タピオラの都市計画は民間組織で始まった。労働組合、身体障害者組合、児童保護協会等の5つの組織が協力して、第二次世界対戦後の1951年に協会を設立した。ソ連に領土をとられ、帰ってきた人達が50万人もいて、住む家がなくて苦しんでいた中で、民間の人達が自力で立ち上がり、国や県の援助を受けず協会を設立して270ヘクタールの土地を個人から買い求めて都市づくりが始まった。
 計画では、高級住宅地ではなく一般的住宅地にしようとした。環境豊かな精神的に安定できる自家用住宅を目指し、初めは学校も自分達の手で建てた。企画した時は、一軒家ばかりでは土地にも制限があり、人口の張りつきが少なくなるので、多人数が住めるアパートも造り、長屋のようなものを造って変化を与える仕組みを考えた。5千人ブロックを三つ作り、1万5千人として、ショッピングセンター、学校を配置するようにした。
 ここの都市計画の特色は有名な建築家12名の人を選んで、思い思いが発想した特色を生かすこととし、変化を求めながら設計をさせ、各住宅センターから他センターを歩道、自転車道、車道で結び400メートル以上の距離にならないように配置されている。
 50年前に始まり3ブロック全部が完成し、発展して、その都市計画は世界にも有名なものになったが、いま、さらに1万5千人から8万人の計画の必要に迫られている。タピオラの町は噴水の町、滝の町とも言われ、都市計画に彩りをそえているが、一面には森が多すぎて町らしくないとの批判もあり、もっと人口密度を濃くして1ヘクタール当たり120名ぐらい、現在の倍ぐらいにせよとの意見もある。

 d)問題点
 いろいろな文化的施設ができて喜んでいる人と、そうでない人の意見が分かれ、高齢化について老人センターも必要になって、ディサービスの設備をしなければならなくなった。土地を求める人が多くなることと、地価の値上がりが始まり、交通問題が起こってきた。区域内の道路で行き止まりになっているのを、道路を改造して拡げなければならなくなり、交通問題ではデパートに地下駐車場を設け、上は歩くだけに改造した。
 雇用の問題でできるだけ町で働ける場所を設けなければならなくなったが、それも思うようにはできなく、いま地元のタピオラで25%、ヘルシンキで75%が仕事をしている。
 以前は、計画を立てるとそのまま実行できたが、現在はやかましく、都市計画は市議会の承認が必要になり、また国の許可も受けなければならず、スタートのときから堅持してきた芸術性や建築的でなく、政治が大いに関係するようになった。海岸線の建築にも規制ができてきた。
 タピオラに新しい建設用地がなくなり、土地が高くなり、年齢が高齢化し、子供達の家はこれ以上建てられなく、外に出るようになって、平均年齢が高くなってきている。土地の価格は1uは7千500マルカ〜8千マルカで(22万〜24万)ぐらいになっている反面、田舎では都市に移動の傾向になり、売れない住宅地ができている。
ショピングセンター中心部は当初とかなり変わったと言われるが、やはり自然の木をそのまま配置してある。当初の思想をそのまま引き継いでいる                     高層住宅の周りに自然の木がそのまま植えられている
-087:タピオラ中心部 -088:タピオラ
   
-089:タピオラ 中層アパート 森の中にある感じ。森に溶け込むように建物のデザインや色を調和させている。写真ではなかなか実感がわかないがその周辺に立つと調和のとれているのが分かる
-090:タピオラ 高層住宅
   
開口部にも工夫が凝らされ、日本に見られるような単調さはない   白樺の木々で建物が覆われている
-091:タピオラ -092:タピオラ
   
各部屋にベランダがついていてテーブルと椅子が置いてある。日がさすとベランダに出て日光浴をする。 床面積は小さいが、室内はコンパクトに整理されている。
床はフローリング
で靴を脱いでも良いくらいの綺麗さである。
-093:タピオラ 低層ホテル -094:タピオラの連続住宅の室内
   
木製のラセン階段 手すりは鉄製 2階の部屋間仕切用木製アコーディオンカーテン。
木の国らしい感じがする。
高級な感じがした。   
-095:タピオラの連続住宅の室内 -096:タピオラの連続住宅の室内
   
緑が多い

緑が多く、森の中の住宅という感じ
隣の家との境がない       

-097:タピオラの一戸建住宅 -098:タピオラの一戸建住宅
 
-099:タピオラの老夫婦