U.北方圏都市視察を通して
1.景観デザインと都市計画
ヨーロッパの建物は、北海道のそれとは異なり石やレンガ造が多いためか、自ずと景観は北海道のものとは異っている。北海道に住み、北海道の建物、街並を見慣れているとその景観が当り前になってしまう。最初の訪問先オランダに着いた時は、もうすでに夜になっていたのですが、空港からバスでホテルまで行く間にバスの窓から見えるアムステルダムのダウンタウンは、さすがに驚きを感じないわけにはいきませんでした。全ての建物が私の目には新鮮なものとして入ってきます。ダウンタウンの建物は、レンガで造られ、高さはほとんど統一されています。窓枠は白くて幅の広いもので出来ており、レンガ色とこの白色が街並を形成しています。この街並パターンは北海道にはありません。カナダやアメリカの場合は、街を歩いている人種が様々である以外は北海道の街並とそれほど変わっているとは思われません。もちろん、良くみると色々変わっているところを発見することはできるのですが、それほど強烈な印象は沸いてきません。アムステルダムはそれほど強く印象に残ってしまいます。
夜も各住戸の部屋の電灯は付けっぱなしにしています。カーテンで部屋の中を隠そうとはしません。街を歩いている人が、道路から各住戸の部屋を見ることを前提としており、きれいに飾ってある部屋を見ないで通り過ぎるのはその部屋に住んでいる人に対して失礼にあたるのだと言います。
建物は近くに寄って良く見ると外壁材も汚れており、日本人感覚ではきれいであるとは言えません。しかし、同じような建物がダウンタウンのほとんどを占めている場合、都市景観としては非常に美しく感じてしまいます。北海道にこの様な景観が無いからなおさら感ずるのでしょう。しかし、時間が経つと目が慣れてきて、最初の印象が強烈であるだけに、だんだんと感動が得られなくなってきます。順応が早いということなのでしょうか。視界に入ってくるものが全て同じ様な形態をしているため、北海道の景観が頭の中から消えていっているのでしょう。時間が経てば経つほど、自分にとってはこの景観も自然になってきます。
次の訪問地スウェーデンでも、またまた驚きを感じないわけにはいきませんでした。空港からバスでホテルに向かう途中、ガムラスタンの中心部を通ります。アムステルダムで同一形態建物に慣れていたためか、もう驚きは本来感じないはずでした。しかし、ストックホルムの場合、高さ、屋根の形態は、アムステルダムと同様に統一されているのですが、壁の色はアムステルダムと異なり、暖色系の様々な色が塗られています。バスの中では、ほとんど全員が建物を見るたびにため息を出していたでしょう。配色も北海道のように自由奔放ではなく、どこかに全体調整されているのが感じられます。都市計画で厳しい規制をしていることが容易に伺えます。しかし、景観だけを取り上げれば、実に美しいと言わざるをえません。
フィンランドのヘルシンキは、ストックホルムと同様、高さや形に統一感はありましたが、色彩はストックホルムと比べると地味な感じを受けてしまいます。これは、国民性の違いによると思われます。
フランスの場合、やはり、有名なシャンゼリゼ通りは、高さ、屋根の形、ベランダ等に統一感があり、大人の街という感じを受けます。
この様なデザインの統一化の背景には、強力な都市計画規制が存在します。観光で来る人々にとっては美しく、いい印象だけが頭の中に残ります。しかし、そこに生活している人々にとっては、はたしてどうなのでしょうか。フランスではその反動と思われる現象が起きています。コンコルド広場から北西に4km離れたところにあるフランスの副都心ラ・デファンスがそれです。パリの中心部での業務活動に限界が生じたために、開発された地域ですが、フランス人建築家の欲求不満が爆発したかのような印象を受けます。当初の計画では、高層の統一した建築郡になるはずでした。最初の建物が建った途端に計画の見直し案が出現します。全てが統一されると、活力が生まれません。歴史的なパリの中心部は強制的な都市計画が実行され、その結果として、景観としての美しさには成功したのですが、商店主、建築家等の不満が蓄積していったのかもしれません。
ラ・デファンスは、見事にダウンタウンとは異なるパリの別世界と言えましょう。同じ建物は2つとありません。形、色、高さ、規模、どれをとっても建築家であるなら一度は挑戦してみたくなります。ここではどんな建物を設計しても批判する者はいません。
パリのレアール地区にあるポンピドーセンターやフォーラム・デ・アルも統一化に反発した表れであるかのように見えてきます。ポンピドーセンターは、周りの景観から考えると、どうみても不自然な建物です。パリの市民がよくあのような建物を許したのかと不思議です。ポンピドーセンターは、この建物だけを取り上げてもユニークな建物です。建物の内部空間を最優先したために、余計な設備等を全て外側に出してしまいました。外部の景観をとるか建物の機能をとるかの選択だったのでしょう。このことは、パリのダウンタウンの在り方をどうするかという問いかけと同じではないでしょうか。フォーラム・デ・アルは、ポンピドーセンターとは逆に周辺とのバランスを考えて、目立たないように地下に埋めて建設しており、統一化に対する反発とは言い難いのですが、ガラスで覆われたシェルターの造り方は、やはり、石造への反発であるかのように思えてなりません。それとこの建物のそばにある鏡と鉄の芸術とでも言った方がいいような「詩の館」は、周辺の古い石造の建物とはまったく不釣合いに造られており、統一化への反動というなにものでもありません。
この様な現象は、フランスだけではありません。スウェーデンのストックホルムでも最近の団地開発や、フィンランドのヘルシンキ郊外の新興団地でも見られます。ここでは、統一された景観は無く、自由気ままであり、どちらの場合も色彩は派手です。北海道の建物に見慣れていると、色彩はちょっと派手ですが、それほど違和感は感じません。むしろ、色彩の使い方は学ぶべきところが多いかもしれません。ヘルシンキ郊外の開発の場合は、色が派手すぎるという批判もあるということです。ヘルシンキは色彩に関しては控えめの人が多いという印象を受けます。
いずれにしても、景観は規制して統一していくべきなのだろうかという疑問が生じてきます。北海道の景観は統一している部分が非常に少ない。建築基準法という安全性を確保するという観点だけの規制で、それ以外は自由に建築できます。ヨーロッパを視察してみると、景観の統一化の印象を強く受ける反面、その反動現象も感じてしまい、非常に迷うところです。パリのダウンタウンやストックホルムのガムラスタンのような統一化は確かに美しい。しかし、北海道では、新しい街を開発する以外は、この統一化は不可能です。問題は、北海道の今後の景観デザインをパリやストックホルムのような統一化ではなく、景観を良くするために何をすべきかということを議論し、北海道としての景観を良くするためのシステムを作り上げることにあります。短期的ではなく、長期的な観点に立ってシステムを作り上げるべきでしょう。 |
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白い窓で統一されている |
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写-002:アムステルダム |
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写-001:アムステルダムの街並 |
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写-003:スエーデン ガムラスタン |
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写-004:フィンランド ヘルシンキ中心部 |
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写-005:フランス シャンゼリゼ通り |
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写-006:フランス ラ・デファンスの模型 |
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写-007:フランス ラ・デファンス |
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写-008:フランス ポッンピドーセンター |
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写-009:フランス フォーラム・デ・アル |
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写-010:フランス 「詩の館」 |
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セードラ駅周辺の振興団地 |
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ヘルシンキ郊外の振興団地 |
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写-011:スウェーデン ストックホルム |
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写-012:フィンランド |
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