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フ ォ ー ラ ム |
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「まちづくりを考える」
〜 田 村 明 先 生 を 囲 ん で 〜 |
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『まちづくり』とは

『まちづくり』に対して描いているイメージ
(ファーラム前半部分)
●成田真利子
知恵熱人でいろいろな人と関わりを合っている。
3年前の12月に横浜市で行われた「市民フォーラム」に個人として参加したが、横浜市民の『まちづくり』に対する活発な活動に大変感動を覚え、札幌にもその熱意をもってきたいとの思いから、私の『まちづくり』への活動がスタートした。『まちづくり』は一つのテーマに向かって市民一人ひとりがいろいろな場に参加すべきであると思う。
●米一彰夫
北海道ヒューマンネットワークとか道庁の中でもいろんな分野の人たちと月1回集まりをもつようなネットワークをつくっている。
桧山管内にある町に住む青年の話ですが、江差に行ったとき、自分の「まち」はと聞かれたときはちゃんと答えられるが、函館に行ったときは「江差」から来たと答え、札幌に行ったときは、「函館」から来たと答える。恥ずかしくて自分の住む「まち」の名前を出せない。自分の住んでいる「まち」のことを自信をもって言えない。
『まちづくり』とは、住民自身が主役となり、自分たちの住む「まち」に誇りをもてるような「まち」をつくっていくこと。具体的には、産業や文化、レクリェーション、観光や自然保護、さらに福祉と教育、コミュニティづくりなど幅広いジャンルから、地域の個性を活かした活力ある地域社会を創造すること。
『まちづくり』の原動力は、ふる里を愛する人々の情熱とパワーである。自分の「まち」が好きにならなければ『まちづくり』は出来ない。
・住民のそのような情熱やパワーをどうやって引き出すかが行政の大きな役割である。
●高橋悟
5年前に札幌で政策課題研究があった。その時のテーマが個性ある『まちづくり』であった。芸術文化と都市デザインについて考えていた時、都市デザインのモデル都市として横浜市を視察した。田村先生の書かれた「ヨクハマをつくる」を読んで感銘した。
最近よく『まちづくり』と言われているが、一体どれだけ「まち」をその人が知っているのか。
他都市の先進的事例を学ぶという「空間軸」で考える『まちづくり』も必要ではあるが、自分の「まち」の今に至る歴史を基に将来「まち」のあり方を考えるという「時間軸」で考えることも必要である。単に事実としての歴史をなぞることではなく、過去に現在から『まちづくり』の視点で新たな光を当てることである。そこで発見した意味や価値を将来に向けて継承・発展させていくことである。
文化行政は、これまでの行政の価値軸への挑戦である。文化の『まちづくり』に求められるものは「内発性」「総合性」「市民性」である。
行政の中でこれまでのタイプとは違い、自由な発見をし、情報を発信していく職員が多く増えることが必要なのではないか。
●今野亨
田村先生の書かれた本で、都市計画ではなく、都市を計画するといわれていたのを覚えています。
『まちづくり』は最近よく言われるが、ブームに追われていない『まちづくり』をこれからとらなければならない。そのためには、『まちづくり』がどうであるかという理論よりも、一人ひとりがどのように取り組んでいくのかが重要である。
これから『まちづくり』は次の3つのことが必要だと思う。
@「我(が)」を出す『まちづくり』が必要。
結果として間違っているかもしれないが引っ張っていく『まちづくり』が必要
A清毒合わせ飲みながら結果を出す。
とにかく形に出す。結果を出す必要がある。リアリティーが必要。
Bお互いを利用できる仲間をつくる。
その目的が個人のためのものでなければ、研究会や勉強会を超えた関係で仲間を利用することである。
●広田まゆみ
@『まちづくり』はスペースの提供。異なるセクター、分野の異文化交流の場、協働の場である。わたしたちの未来はわたしたちが決める。受け手から作り手に変わる。多くの人がそれぞれの場所で発信するということがこれからの『まちづくり』にとっては大切になってきている。
A古いやり方を手放して新しいやり方をやっていけるかが『まちづくり』にとっては重要。役所と市民との対立と葛藤の時代は終わった。
Bこれからの『まちづくり』には関係性が必要。仲間内の仲良しサークルだけでは本当の『まちづくり』は出来ない。仲間内では対立、葛藤をし、外では関係性をつくるときには新しいやり方をすることが必要。関係性とは、何かを変えようとしたら、違う分野の人と手を結ばなければならない。
受け手から作り手になる時には、権利も責任もある。
●貳又聖規
白老町の自主研究グループのバビルのメンバーの一人です。沖縄に行った時、沖縄では『まちづくり』は人間らしい普通に生きる権利を獲得することということであった。今までもっていた、きれいな、明るい『まちづくり』のイメージがくつがえされた。
『まちづくり』を考える時、そこに生きるという暮らしがそこで見えてこなければならないと考えている。『まちづくり』とは、歴史や風土の中で、人が人らしく豊かに暮らせ、そして共に生きることが出来る空間をつくること。その目標に向かい、人々が共に汗を流し、共に喜び、共に泣く。そのプロセスこそ、豊かな暮らしをつくることや『まちづくり』をすることだと思う。
●七里とみ子
市民ネットワーク北海道の事務局をやっている。市民が実施する『まちづくり』を実践したいということで積極的に『まちづくり』に参加したいということで活動している。
『まちづくり』とは、そこに住む人々がその地域に愛着を感じ、そこにずーっっと暮らしたいと思える「まち」をつくることであると考えている。
身近な公園を見た時に、市民が使いやすいようなものにはなっていない。身近な空間が遠い存在になっている。道路拡幅問題でも対立する2つの考え方がある。丘珠空港の件についてもいろいろな問題があった。
『まちづくり』は広くて難しい問題があるが、情報の公開、地域コミュニティーのあり方などが課題であると考えている。都市計画法も改正になって、市民が関わることが義務付けられたが、どこでどのようにかかわれれのか分からない。出来れば積極的にいろんな方と参加して自分たちの『まちづくり』を目指したいと思っている。
●阿部栄一
昭和48年のオイルショック時期に開発が始まった札幌の北にある「花畔(ばんなぐろ)団地」に住んでいる。石狩湾新港地域のベットタウンとして開発されたが実際はほとんど札幌のベットタウンとなっている。このままここに住み続けることを思うと気になるのは隣近所が全て高齢者ばかりになってしまうこと。
この団地は、段階的に開発分譲されているがバラツキはあるものの現実には団地住民のほとんどが高齢者世帯となっていて、普段でも人通りの少ない住宅街に子どもを見掛けることは稀となっている。団地は高齢化が始まっている。子供が少なくなってきている。団地には活気がない。スーパーがなくなってきている。かつては都市計画としてつくられたが、だんだん寂れてきている。
ベットタウンという団地形成は片寄った年齢層で構成されるため、一度に更新期がきてしまうことは、多摩ニュータウンなどで既に問題になっている。都心の人口空洞化が既に問題となっているが、既存団地高齢化対策を合わせた居住環境再整備を考えていけないのか。基盤整備に多額の費用をかけるのではなく、コンパクトな『まちづくり』が今こそ出来るのではないか。再整備の結果として既存の郊外団地が都心にとって緑地ゾーン「みどりのオアシス」となっても良いと思う。
●加賀千登世
『まちづくり』を芸術文化の切り口で考えた時は非常に広がりをもってくる。文化とは人の生活、暮らしそのものである。伝承芸能の広がっている地域には非行がきわめて少ない。
芸術文化で何か産業ができないのか。芸術・文化・教育とか産業とかいろんなところの関連で『まちづくり』をみていくとなかなかおもしろい取り組みが出来るのではないか。
●日下勉
『まちづくり』は、暮らしの側面、住環境の側面、文化の側面があると皆さん誰でも言われるが、生産の側面も大変重要なのではないか。
生産の側面とは、人間もそうであるけれども農業もそうである。農業ももうちょっと違った利用の面もあるのではないか。
●森啓先生
これだけ沢山の人たちが何を期待して参加したのか。どういう話をしたくて、あるいはどういう話を聞きたくてここにきたのか。ここに来たときに『まちづくり』として漠然としていたが知識として得られるか。しかし、自分で何かやろうと思っている人は話が見えていて話が噛み合うということであるが、皆まちまちであるのはやむをえないことである。だから、『まちづくり』なのである。いろいろな角度からもっと話を出していってはどうか。
●成田真利子
ワークショップは最近全国で広がっている。いろんなワークショップがある。行政が引っ張っているものもあれば、市民が独自にやっている場合もある。行政が陰から支えているワークショップを札幌市はやっている。これは、行政と市民との信頼関係から生まれてきている。今は、いい関係になっている。その辺の話をしてほしい。
●丸田剛久
手稲駅の広場と自由通路の使い方ということでワークショップを行った。始まりは、ワークショップでもやってみたらということであった。今までは、市民が直接関わっていないところで計画をつくっていた。代表者と話合っていたが、住民と意見が違ってきた。何かおかしいと思っていた時にワークショップの手法があったので行った。
3時間のワークショップに30時間の準備が必要である。ワークショップでは、行政ができないところもはっきりさせる必要がある。市民から上がってきた意見は具体性がちょっと欠けている。
行政のやっていることは優位性がるということも言いたいが、今は言えない状態である。『まちづくり』学校などでは市民が先生になってもよい。
行政と市民の中間的組織として『まちづくり』センターのようなものが必要なのではないか。
●田村明先生
ワークショップをやれと言ったのは議員さんですか。
●丸田剛久
局長が言った。
●佐々木周子
ワークショップは公園づくりから始まった。市民もまだ慣れていない。行政の情報公開により、だんだん札幌市もよくなってきた。
●坂東雄志
白老町では、元気まち百人会議をやっている。町民が主人公になっている。従来の計画は落としどくろが決まっていたが、百人会議はその落としどころが決まっていない。行政側が戸惑ってしまう。回を重ねる毎に、行政が出てこなくても進められるようになってきた。
市民参加で計画をつくるというのは、従来型では、行政側に受け皿が必要であり、縦割りでは対応出来なくなってきた。これからは、住民も陳情ではなくて、『まちづくり』に対して真摯な議論をしていただくような環境とか、住民への情報公開が必要なのではないか。今、白老町では、悪戦苦闘している。
●広田まゆみ
コーディネーターが結果に行政から責任をもたされて委託されているならそれはうそのワークショップである。プロセスに責任をもたれて委託されているなら専門のコーディネータはいいと思う。道庁はそこまで達していない。
違う意見を言い合ってそれを行政に決めてくださいというやり方ではなくて、優先順位を決めるところにも市民の人たちが関わっていけるかどうかということが本当の市民参加になっていけるのだと思う。
市民がどこまでどのように参加していいか分からないということも、行政が情報を公開していないという問題でもあるが、市民の問題でもある。市民も自分たちのグループで計画をつくり、それを行政に提案した時に、それを受け付けてくれないと言って、行政は何も聞いてくれないからだめだと言うのではなく、グループの話し合いの中に最初から先進的に活動している人を入れるとか、関係する行政の人を加えるとか、参加のデザインを最初から考えておく必要があるのではないか。
●森啓先生
『まちづくり』は、これまでは行政が公共事業とか、都市計画決定をするとかということで、行政主体で行ってきた。
これが変わり始めてきたから参加のワークショップなどが行われてきていると思う。やはり、役所に対してということがあろうから。函館で元町倶楽部でやっている山本さんの方から、行政の人ではあるが市民の立場で具体的にやってきているから、今のような話しを聞いて、今までの経験から何か話してもらえたらいいのですけれども。
●山本真也
函館そのものがそんなにうまくいってとは思っていません。ただ函館の救いは、市民にいろんな活動が生まれてきていることです。発想だけでなくて市民自らがやってしまう。自分たちの「まち」に愛着をもっている。ペンキをこするというグループ活動の延長線上に公益信託をつくった。
市民活動を支える基金。市民が体力をつける。市民の体力が大切。行政がまだ市民との距離はあるが、ただ、邪魔はしない。
行政と市民とはそれぞれが成長しなければならない。行政と市民との間にそれをつなぐもう一つのセクターが必要なのではないか。『まちづくり』センターのようなものが各地で起こっているので、その辺の役割のあり方が必要なのではないか。
●上野貴之
マルチメディアで何ができるかと町村の方からよく聞かれる。町の計画をつくる時に町民の意見が届いていないところが多い。町の中に住民の意見を受け入れる土壌が出来ていないところに、マルチメディアを取り入れても住民の意見を取り入れることにはならない。
土壌が出来ていれば、マルティメディアを入れることにより、付加価値を与えることは出来る。「まち」の顔がないところで、「まち」の顔をつくってくれと言われており大変困っている。何かこのことに対してご意見いただければと思います。 |
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