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フ ォ ー ラ ム |
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「まちづくりを考える」
〜 田 村 明 先 生 を 囲 ん で 〜 |
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T.『まちづくり』

3週間前から風邪を引きましてね。北海道に来るまでには治るだろうと思っていたのですが、治らなかったんですよ。さっきまでだいぶ風邪だったんですが、皆さん方の熱気でいくらか風邪が良くなってきたのではないかと思ってます。今日は、まあ、新しい形式でやりたいと田中さんからお話がありましてね。私も大変楽しみにしていたんですがどうなることやらと思ってます。
皆さんの一々に対してですね、全部実は聞きたいんですよ。でも全部聞いていたら時間も数倍もかからないと出来ないんで、とてもそれは出来ないんですが。それから、まあ、私の本を非常に良く読まれていて随分咀嚼されている人もいますし、また、そうでない方もいるでしょうしね。いろいろまちまちですね。私自身は、具体的にやってきた人間ですし、プランだけをやってきた人間ではありません。実際に、具体的な『まちづくり』の中でやってきた人間です。
(「まちづくり」は大変)
今日の話しには出ませんでしたが、『まちづくり』はものすごい大変なんですよ。そんな簡単なことではありません。『まちづくり』がはやりだから『まちづくり』をやればいいという、そういうものではありません。でも、やっぱりちゃんとやると大変楽しくなるもんですよ。初めからはやりだからやるとかね、楽しいからやるとかね、簡単にそうはいかないかもしれませんよ。しかし、最終的になるところが面白いのですね。そういう実務の話しをすると、これも大変できりがありません。
(これまでの取り組み)
私は、今大学の教師で、この3月にやめる人ですけれど、私はその前は、『まちづくり』のいろんなアドバイザー的なプランナーという仕事をしておりました。私の経歴を知っている方はご存じだろうと思いますが、初めに中央官庁にちょこっといて、実は北海道開発庁に任務の選択というのがございまして、この企画課に来るはずだったのですが、来なかったりして、北海道の縁は無いことはない。それから民間で不動産を、実際に実務をやりまして、どういう投資をしてやるかということをやりました。
それから地域開発のコンサルタントをやりまして、地域のいろんなお手伝いをしたんですね。その中の一つに横浜のお手伝いをして、「おまえの言ったことは空想だ」と。出来ないということで。そんなことはないんですよ。ちゃんとやれば出来る。じゃ、おまえ、そんなことを言うなら「入ってやってみろ」ということでやったのが「みなと未来21」とかいろんなものがあります。その中にそれだけではなくて、アーバンデザインとか都市計画とか、いろんなことも合わせてやってみました。だけど、私が一番苦労したのが、実はあまり書いていませんけれども、土地利用ですね。これは権利関係が大変錯綜しているからものすごく大変なんですけれども、実はそういうことも全部一緒に入っているところが『まちづくり』なんですよね。楽しみがあるから楽しさだけを取り出すというわけにも実はいかないんで、苦しい部分もしんどい部分も楽しい部分もいろいろなものが入っているんですよ。だから面白いんですよ。ただ面白い、ふわふわと面白い。今日は面白い。今日は面白かった。何か見てね、ああ面白かった。だけど直ぐに忘れちゃったということもありますから。私のやったことはほとんど全部良く覚えています。いい点も悪い点も。まあ、どっちかと言うと、こういう時の話はいい時の話しで楽しくやりましょうという。私は、応援団だと思っていますから、応援団としてはそうなんですが、本当にやるということは大変なんです。やりだせば、だからこんなはずじゃなかった。『まちづくり』なんて言われたからやったんだけど、こんなはずじゃなかったと思われる方もいるかもしれませんよ。でも、それはね、やって見るとだんだん面白くなってくるんですよ。
(やってみるとだんだん面白くなる)
やはり物事の本当の面白さとか本当のいろんなものというのは初めからやってちょっと面白いからやったら大変だと、こんなしんどいことやらなかったらよかったと。絵を描くんでもあるいは音楽をやるんでんもそうでしょう。そんなにスーと直ぐにうまくなる訳がない。2度も3度もいろんなことにぶつかって、それを超えてくるとだんだん楽しくなって面白くなってくる。ああ、もうやめれなくなるということになるんですね。だから、この『まちづくり』も何段階もあると思います。
(『まちづくり』は奥が深い)
まちづくりは非常に奥が深いし、非常に幅が広いからね。普通のちょっと絵を習うとか音楽を習うとかと比べてみるとものすごいいろんな段階が私はあるんだろうと。でも、それぞれは地域によって違うんですよね。私、一般論でそれがいくつあるんだということではありません。まったくそれぞれの地域によって違うんです。
1.平仮名の『まちづくり』
原則論だけもう一度繰り返しておきますけれども。私は、いつでも、この平仮名の『まちづくり』という言葉をなぜ使ったか。勿論、『まちづくり』は何のためにするのかがまずありますね。それは、我々が協働して、そして安全で、それぞれ楽しんで、快適で、生き生きして現在を暮らしていく。我々だけではなく、将来の孫子・子までの時代までもそういう「まち」にしていきたいということ。簡単に言えばですね。そうでないという意見も沢山ありますでしょう。じゃ、それを直していかなければならない。あるいは、将来このままでやっていたらおかしくなってしまう。それじゃ、今のうちにそれを何とか直していかなければいけない。あるいは、将来必要なことは、今のうちからやっておかないとできないことがある。まあ、そういうことを含めて、しかし、我々が生き生きとそこで住むことをやるわけですね。それが『まちづくり』なんですが、その『まちづくり』が今まで市民がやっていなかったということは、一番重要なことなんです。
(北海道の開拓使)
特に北海道の方々は、ここは開拓使という偉い人がいまして、全部お偉いさんが決めつけてやると。「その中でおまえらは住んでいる」というのが基本だったわけです。でもこれは北海道だけではありません。他も全部そうなんですよ。他もそうなんですが、北海道は特にそれが強かったと言うだけで、北海道だけではありません。どこでもそうなんです。でも、それはちょっとおかしいのではないかなあと。特に民主主義の世の中になって戦後になりましてからね。その通りあいかわらずやっている。これは北海道だけではありません。横浜だってそうだったんです。どこでもちょっとおかしいんじゃないかなあと。
(『まちづくり』の基本)
もっとその地域の人たちがそれぞれに考えてやるべきではないのかなあということを言い出したのが『まちづくり』の基本なんですよね。なぜそうなのか。
(地域はそれぞれ違う)
だって北海道と横浜が一緒というのはありえないんですよ。今日は雪が降ってましたよ。横浜はもうすぐ桜が咲きますからね。だから、そのように違うんですよ。沖縄へ行けば全然違うし、鎌倉行けば桜咲いてますしね。だから、そんなもの同じくすると言ったって出来ません。それから、歴史ですね。例えば、横浜と京都を比べてみてね。歴史がない。そんなこと1200年の都と比べてみてもあるはずがないんだから、比べられるはずがないですよね。だから、地域というのは全然違うんですよ。
違うところに我々はたまたま住んじゃって、そこを安全に快適に、そして楽しく生き生きと暮らしていこうとしているんですから、いやだっていう人はどこか行ちゃえばいいんですよね。だから、いやだって言わない人は、自分のところを良くする以外にないいんですよ。多少気に入らなくてもそのうちに楽しくなってくるもんなんですよ。だから、そこがおもしろいんですね。でも、どうしてもいやだっていう人はしょうがないですよね。そりゃ、行っちゃえばいいんですよ。人間の移動の自由は憲法上保障されていますから、どこへ行ったらいけないということはないんです。しかし、そう簡単に動くわけにはいかない。私は、いくつかのところを動きました。それは私にとってはいい経験でしたけれども。でも私は、自分のやった、住んでいた、今でも横浜に住んでいますけれど、横浜というのは非常に好きです。まあ、東京生まれですから東京も好きなんですがね。好きな「まち」のことにもうちょっといろいろなことをやっていきたい。誰でも思うと思います。現に住んでいれば愛着がわいてくるものですね。そういうところを自分たちが、それぞれ違う自分たちの「まち」を考えてやるんだと。人の言われたところに住んでいるんではない。住んでいる人たちが自分たちでこの「まち」をつくるんだということを考える。これが『まちづくり』の基本なんですね。というのがなぜ今までこの平仮名の『まちづくり』を使わなかったが、なぜ最近また使われているか。今まではそうでなかったからですよ。今までは全部、人が決めて、その中につくれ、法律でも何でも人が決めると。その決めたところにおまえらが住め、ということですよね。そうではありませんよ。それぞれの地域、それぞれに違うんだから、そんな画一的にやったって出来ませんよ。我々、そこに住んでいる人たちが主体的に自分たちの「まち」をつくらなきゃだめですよ。
2.地域の主体性
地域の主体性と私は良く言いますけれどね。地域の主体性を持つ。さっき地域は「我(が)」を持たなければならないとおっしゃいました。まさにそうなんですよね。「我(が)」なんですよ。自分たちは自分たちであるということを言わなければいけない。おれたち沖縄と同じにすれと言っても無理なんですよ。沖縄の人だって北海道と同じになりたいなんて言いませんからね。だからどっちも別なんですよ。横浜は別なんですよ。だから、参考にしてないんですけれど。同じには絶対にならない。人間に個性があるとおり、全く一人の人に別の人格にしろなんていうことは不可能な話なんですよ。そんなことを強制する方がおかしいよ。ですからやっぱり我々がその地域に対して主体性を持つ。
(市民が政府をつくる)
それは、同時に市民がつくる。今まではお役所がつくる、官がつくるということだったのですが、官ではなくて市民がつくる。しかし、官の役割はどうかと言いますと時間かかりますから。要するに、今までは官だけがつくっていた。官だけじゃないんだ。本当は主体的に市民がつくるんだ。しかし、市民というのはバラバラですね。だから市民が政府をつくらなきゃいけない。市民が自分たちの政府をつくらないと、市民がと言ったって、1万人がいると言ったって1万人がいろいろなことを言ってるだけじゃしょうがない。じゃ、自分たちが政府をつくって、ひとつ「まち」をつくって、そこに市長さんなんかを決めて議員さんも決めて、ひとつやりましょう。
自分たちは、私、事務局あるいは政府と言っているんですけれども、そういう自分たちの市民の政府をつくってやる。しかし、主体的には市民がやっているんですよ。その考え方を入れて、『まちづくり』という言葉は誰でも分かりますわね。都市計画なんて言われるとちょっと難しくて都市計画というと私知らないと言う人もいるけれども、『まちづくり』と言うと、そうか、私も関係あるかなって、どんな素人だって分かります。だから、素人がやる事なんですよ。素人がまず基本なんですよ。しかし、素人だけで済むか、素人がみんなわいわい、1万人の素人がわいわい言っているだけじゃ済まない。やっぱり、それで何んか機構をつくらなきゃならないということはある訳ですよ。でも、ベースは素人だということですね。だが、その素人と精神を認めていなかった。
今では、でも素人いいじゃないか。素人は生活者なんですから。生活者の立場からものが言えるということになってきた。いうことになってきたということにしたいということが、この『まちづくり』という願いに含まれている。
3.個性的な「まち」
3番目は当然にさっきから申し上げているとおり個性が出る。個性的な「まち」ができる。これは当たり前のことですがね。
4.総合性
4番目の問題としては、総合性。今までは、ハード、物だけを造る。どっちかというと物だけを造る。あるいは、何とかだけやる。教育だけやる。あるいは保育園だけやる。そういう行政があるんですね。私もいつも言うんですけれども、実は中央官庁、さっき言った北海道開発庁はその一つにすぎないんで、毎年いろんな官庁に入って辞めてを繰り返してきましたから、中央官庁の縦割りは私の実体験として良く知っているんですね。こんなことをやっていたら実際に地域は良くならない。中央官庁が必要ないと言っているんではありませんよ。それは必要なんですが、これはどうしたって縦割りなんですよ。縦割りが自分たちの縄張りをやっているから、それで全部下ろしてくるから、地域に行くとみんなバラバラになっちゃう。他の省庁管轄部署は、向こう行ったらああ言っているということになります。だから地域は主体性を持てません。地域は本当の主体性と総合性を持たなければならない。総合的にやんなきゃいけない。農業の問題も通信の問題だって一緒なんですよね。
ある地域に行きますと下水道を造った。都市の下水道を造った。その隣には、これは建設省です。そうすると片方は、まったく隣に農林省が集落何とか整備、何とか事業。やっぱり一種の下水道ですね。それ造っちゃう。だけど下水道というのはかなり水の高いところから低いところに行きますから。だいたい同じようなところに造るんですよ。隣に造ったんです。でも絶対この水をこっちに入れちゃいけない。それぞれ別々に集めて来て別々にどっかに出さなければならない。その水がどこに行くかは知りませんけれどね。でもそういうバカげたことをしちゃいけないんですよね。でもそういうバカげたことになっちゃうんです。私なら、中央官庁にいた時にしょっちゅう毎晩自分たちの権限をね、延ばすために頑張れと言われるとそうなっちゃうんですよ。まあ、そういう総合性を本当に持てるのは、私は地域しかない。地域はいろんなものが含まれいます。日本国中で考えるとそれは無理なんですよ。日本国的な総合的なんて言ったってね。全国総合開発計画なんてありますから、あれは一つのちょうちん上げですから総合性はないんです。地域の総合性だけあるんです。
5.質的開発
その次はね、質的開発。今まで私は量の問題ばかり言っていましたが、『まちづくり』の中にどうしても質の問題を言わなければいけない。質というのは何か。人間の環境として考えるということですよ。『まちづくり』というのはただ物が出来て、道路がいくらあります、建物がいくらありますじゃない。それは人間環境にとっていいものなんだかどうなのか? 例えば、美しさという問題もそうですね。あるいはちゃんとしたリサイクル、ごみが変なふうに汚くならないということもそうですよ。いろんなことを含めて人間の環境として考えるということがその次の問題なんですよ。
6.実践性
その次が『まちづくり』の実践性といっているんですけれども、『まちづくり』とはただの理念じゃないんですね。学者の言葉じゃないんです。「まちづくり学会」をつくったのが私で会長になっているんですけれど。従来の学会の考え方では「まちづくり学会」じゃ学会にならないんでないのかと、都市計画学会ならまだよろしい。「まちづくり学会」で学会にならないわけですよね。だからそういうものが実践の中にいかなければいけない。従来の学問の中に無くたって、やはり、学問と実践と実際につながっていかなければいけない。
実際にいいことであれば、それを実現しなければいけない。実現しないようなものは理論が悪いんですね。だいたい理論とは何かというと、外国から直輸入した、外国のどこかでやっていた、スウェーデンどうだイギリスではどうだ。それは結構な話で知っている方が知らないよりはいいんだ。それは状況がいくらか違う。いい点もあるけれど日本じゃそのままではうまくいかないものが沢山あります。しかし、いい点は勉強しなければいけませんよ。
まあ、そういうことをちゃんと原則論として申し上げましたけれども、皆さん方のを聞いていると一々全部何か言いたくなって、今のようなことから言い出しましてね。
U.「まち」について
1.「まち」は生き物
もう一つ「まち」という点で重要な点を、どういう「まち」を相手にしているのかということを申し上げたいんだけど。これは動いているということなんですね。動いていない都市はないんですよ。さっきのように極端に人口が5分の1になっちゃたというところの動きもあります。しかし、そんなに極端じゃなくったって、「まち」は常に動いているんですよ。高齢化すると当たり前の話なんです。ぼくだって高齢者ですけれどね。人間が年とってくれば当たり前の話なんですよね。そういうことは初めから分かりきっているんじゃないですか。今急に分かったのではなく、初めから分かってるんですよ。で、問題になった時に問題にしているだけなんですよ。分かっているんですよ。動いているんですよ。予測のつかないような動きもありますよ。しかし、予測のつくような動きも沢山あります。動いているんですよね。常に動いているんです。これからも動いて行くでしょう。永久に。「まち」というのはそんな生き物なんですから。なんか石みたいに造ったものではないんですよね。『まちづくり』とは石じゃないんですよ。動いている生き物なんです。一種の生き物と考えなければならない。中に住んでいる者も生き物なんですけれども、「まち」そのものが生き物なんですね。「まち」そのものが自己主張している。動き出すかもしれない。そういうものを相手にしていることを考えなければならない。
2.「まち」は異質のもの
それから同時に「まち」というものは異質のものですね。同じ人たちばかりが入り込んでいるんじゃなくて、全然違う人たちが入り込んで一緒の共同生活をするというところが「まち」なんですよね。今までは村社会。村社会は同質の人だけが住んでいて、後は排除しちゃう。余計者は排除しちゃう。意見の違う者は排除しちゃう。ところが「まち」そうではありません。いろんな種類の人、いろんな職業の人、いろんな立場の人、そういう者が一緒になって、しかし、共同して住もうじゃないか。だから異質の人が住んでいる。異質の人が住んでいるからそこに面白く参加できるし、創造性も出来る。いろんなものが生まれてくる可能性がある。
3.「まち」は矛盾撞着の塊
3番目に重要なことは、「まち」というのは矛盾撞着の塊だ。だから放ってそんなにうまくスーといくもんじゃなんですよ。パッと絵を描けばそのとおりになるもんじゃないんですよ。矛盾撞着の塊なんですよ。常にいろんな矛盾があります。何か物を造る、道路一つ造ろうたって、さっきどなたかのお話のようにね。そりゃいいという人間も必ずいるんですよ。でも止めるという人間もいます。道路はどうしても必要かどうかは分かりませんが、下水道処理場はどうしても必要だ。だけど、そんなものおれのうちの前に造ってくれるなということがありますね。ごみ消却場は必要なことは分かっている。だけど、おれのうちの前では困る。おれのうちの前をごみの車が止まるよ。通るようでは困る。ひどいのになると、保育園を造った。保育園も困る。保育園も公害だ。ギャーギャー子供たちが泣くからうるさいと言うし。そりゃ、どうしても是非造ってくれという人もいるしね。いろんなものが一緒になっているのがこの「まち」なんですよ。
(市民参加)
だからこそ、いろんなものをどうやって解決するかということが市民参加なんで、市民のいろんな立場がある訳です。参加するということは、何んとなくね、行政が今まで官僚で偉かったから参加さしてあげるよという意味の参加もありますけれど、ほとんどの参加は、その次元の参加じゃないいんですよね。始めた時点では、参加させてやるよというくらいなんですが、ほとんどはそういう矛盾を市民同士で自分たちで解決しなければいけない。そういう同士に矛盾があるのですから、その矛盾を解決するのは誰か。行政がお上が大岡裁きでね。おれはこれでやる。お上に頼んだって、そんな能力はお上もないんですよ。だから、自分たちで考えなければいけない。それが市民参加なんですね。市民参加もいろんな段階があります。勿論、初めのごく簡単なものであればものを申し上げるとかね、いろんな話をやりとりするとか何とかいうふうな、今まであまり関係なかった人だから、まず関係をつくるぐらいから始める。でも、もっともっとやってくると、自分たちが自分たちでそういう矛盾を問題を解いていかなければならない。そういうことまでやらなければいけないということで、実は、市民参加なんですね。こういう都市のもっている動態的なものであり、生き物であり、それから異質なものの中に入り込んで、だから、矛盾撞着は当然ある。だけど、我々は現在そこに住んでいるし、まあ、他に行きたい人は行ってもいいけれども、でも、多くの人はそんな沢山、どこか他に行くわけにはいかない。だから、自分たちの「まち」をね、より良くしたい。よりいいものにしていきたい。よりいいものに出来るんですよ。出来ないんじゃないんです。今までは人がやるから、お偉いさんがやってくれるか、やってくれないかだったんですね。しかし、今の段階では、自分たちが努力すれば、それは確実に良くなるんです。絶対的に100点取れるかは分かりませんよ。でも、今30点なら38点に43点にすることは出来るんですよ。確実に出来るんですよ。だから、それをやっていこうじゃないか。いきなり100点取るよりも、現在よりやっぱり確実に良くなる。
4.『まちづくり』の永続性
その良くなる方向を将来に向かって繋げていこう。今だけでは、急に言っても上がりません。3点でも5点でもいい。しかし、3点でも5点でも上げたことが将来に繋っていく。将来に繋っていくということが『まちづくり』の面白さです。『まちづくり』の永続性です。
『まちづくり』にとって大切なのは、過去の人たちと対話する。物を見てなるほどそうだったんだなあと感じることもある。あるいは、物語を聞いてそういうことを感ずることもある。いずれにしてもいろんな対話をする。もう一つ、私は、現在だけではなく将来まだ見ないシーンですね。そのお子さんたちなら分かるでしょうけど、でもやっぱり100年という単位では、今100年先の人、生きておりませんけれどもね。加藤シヅエ(エッセイスト)さんなんか、この前テレビで出ていましたけれど、100才でもまだかくしゃくたるもので、100才でもあのくらいの方もおられるんですけれども、普通は100年はなかなか生きられない。でも、100年先の人たちもやっぱりこの「まち」にいるんですよ。急にいなくなっちゃって誰かになるわけではありません。その100才の100年あるいはもっと先かもしれない。実は、そういう人たちとも対話しなければなりません。どうやって出来るか、まあ、ほとんど出来ないですね。出来ないんですが、出来ようという精神でいかなければいけない。時間軸で考えるのは、そういう物の点がね、遺跡や何かをやっぱり大切にするということも、まあ、姿形に現れた方なんですけれど、ほんと言うとそういう心の中で『まちづくり』の中に継続されている精神みたいなものと対話していかなければならない。
(地霊)
ゲイ・オブ・ロッジと言いますけれども。まあ、地霊と訳すんですね。地の霊がある。この地霊とどのように語るかなんてね。オーストリアなんて新しい国でしょ。若い国ですよ。オーストラリアの都市計画がね、ある国際会議に行った時そういうことを言ってましたよ。これはヨーロッパなんかで言う話なんですよ。そういう古い伝統的なとこじゃなくて、あまり伝統の無いところでもね、やっぱり自分たちの地霊と話し合ってやっているかなんてこと言うから、ああ、こういう若い人でもするかな。若い人というよりは若い国ですね。アメリカなんかもそうですよね。やっぱりそういう中で、今まで自分たちの持っている伝統とか何とかと対話しながら、それをどうやって自分たちに生かしながら、勿論さっき言ったように動いているんですから、まったく同じようにそのとおりやっるって言うことはできません。だけど、現在の状況でそれをどうするかということを考える。
それで皆様方のことについて言うと時間がないのでこのこのくらいにしておきます。
■ 質 疑 ■
●森先生
じゃ、皆さんに関連しましてね、田村さんにちょっと質問しますね。今日ここに集まっている方に限らず、この『まちづくり』ということについて、それぞれなりに考え方というか自分の経験というか、自分の見識というか、見解ね。それを何かこう抽象的に、定義的にきちっと言うという、ここはあまり受けとめなくて、自分なりに『まちづくり』について、自分の考え方を持つということが大切だと思うんですよね。それが『まちづくり』とはこういうもんだとか、『まちづくり』にとって必要な大切なことはこういうことがあるとか、あるいは参加の問題だとか一つの見識を持つと。それは、今後の学習なり、実践なり、その中で自分の言明したことは次第に鮮明になっていったり、修正されていったりするものだと思うんですね。それは、まあ、人々がその問題についてその人の状況に応じながら学んで行くということだと思う。そこでは、最初にその『まちづくり』という概念やイメージを持つという意味において、そもそも、今日言っている『まちづくり』という計量化出来ないということで、平仮名で『まちづくり』と最初田中さんも『まちづくり』と言った。こういうことが言われ出したのは振り返って見るといつごろからなのですか?
●田村先生
まちづくりという言葉はあるんですね。『まちづくり』というのは古語でもあるんですよ。江戸時代の古語でも。でもどういう意味かというと、『まちづくり』とは町並みとかそういう意味なんですよ。動的な意味ではなしにつくられた。既につくられちゃったものになる。それから時々ね。本の中に昭和の変遷以降で見ると「タウン」で出てきているんですよ。だだし、私の平仮名ではありません。いろんな意味でちょっとソフトのことを言いたいときに『まちづくり』を使っているんですよ。
都市については、割合ハードの人の方が都市に強く、ソフトという時に『まちづくり』という平仮名だけ、そこだけ「づくり」にして、それが30年代の初めぐらいですね。40年ぐらいからね。40年前の昭和38年ぐらいに私横浜の計画づくりを手伝っていた時、都市のいろいろな提案をしたら、一種の本当のハードの都市づくりもあるんだけど、やっぱりどうもね、それだけでものを言っちゃまずいなと、何かいい言葉はないかと、少し柔らかく言いたい。その頃だと、何んとか長期計画だとか長期整備計画だとか、そういうことになっちゃうんですよ。
それはね、何か別にもうちょっと市民的に言い換えて、何も官庁に言うんではなくて、この案は市民に対して提案する。役所の内部の言葉じゃいけない。それで、私が考えたのが、「都市づくり」と書きまして、都市は漢字なんですね。「づくり」が平仮名で、それを「都市づくり」と読まして。ということをやってみたんですよ。で、それは、市民に対する提案。その次に私は、市に入りましてからね。この総合計画をつくった時に、総合計画も、これ、市民に対する提案をするんです。その時にね、「都市づくり」と言って「都市づくり」と、それにルビを付けてもなかなか読んでくれないでしょ。それで『まちづくり』というのを使い出したんです。だいたい昭和40年オイルショックぐらいの時です。今の「都市づくり」を『まちづくり』と言い出したのは60年代、言葉としてなってきたのは70年代。
●森先生
実際にやり始めだしたのが60年代の後半だったんだけど、言われ始めてきたころに文化行政なんてこと言われてきたんですね。そこで、今度、なぜ1997年という現在の時点から考えて、いろんな人が言い始めてきて、建設省も『まちづくり』というようになってきた。厚生省も国土庁も自治省もみんな言い出してきて、都市計画決定、つまり、今まで漠然とお役所が予算で公共事業を行っていく。道路や都市の再開発をすることが公共建設事業を始めていくと。イメージが基本にありますから、実質的にだんだん中央省庁がなってきましたね。今振り返って、なぜ、こういろんな人がお役所の中以外の人も『まちづくり』というと、このように集まってくるとか。こういう状態になぜなったのかを振り返って考えるとどういうことになるのでしょうか?
●田村先生
結局、さっき言った画一的にやるということが限界ですよね。一つは、画一的に全部の町が出来てしまうということはちょっとおかしいんじゃないかな。おれたちのものは、そんなものであったはずがないと。それそれに個性があるね。全部制服着させられちゃってね。制服止めようと今学校の方は言っている時に、町の方は全部制服着ちゃったわけですよ。これはおかしいと思うのは当然ですね。それからもう一つは、総合性ということかな。それがなくて縦割り過ぎる。中央官庁がいろんな縦割りでやってくるでしょう。このままやっているんじゃおかしい。だから、今の画一になった結果がまずい。それからやり方としての縦割りがやっぱりまずいということになってきた。
●森先生
まあ、インフラという基盤整備事業に問題はあるんだけれども。つまり、ハードとソフトは切り離せられないんだけれども。しかし、何となくハード先行型というか、物を造る。それがある程度出来てきたということもあって。個性とか質とかということが言われてきたと見ていいですか?
●田村先生
もう一つね。中央官庁がやっぱり新しい価値観を出せなくなっちゃった。政策を、例えば、公害問題なんかでも一生懸命やりましたよ。公害の時にさんざん妨害されました。そんなもの公害策なんてとんでもない話だということをね。ぼくなんか、実践として企業とおおやりあいをしましたよ。今は、それを認めざるをえない。例えば、今度書いたね、この美しい都市景観をつくるアーバンデザインというね。美しいはとんでもない。今の人はそんなこと言いませんが、美しいとはとんでもないと正直言って言われたんですよ。そういう価値観をまったく持っていなかった。今はね、みんな言ってますよ。だからね。新しい価値観をもう持てなくなったんですよ。私は中央官庁にさっき言いましたようにいた人間ですから、分かんなくはない。非常に短い間ですが、居ましたからね。あそこの体質は分かるんだけど。価値観を出したいんですよ。出したいんだけど出す能力がなくなっている。なぜそうなのか? あそこで出すと一般論でしか出せないわけですよ。例えば、白老町とかね、そういうことになれば、他のところはどうであろうと白老町はこれでやるんだ。
どこそこで、これでやるんだ。札幌はかなり大き過ぎるから、函館ならこれでやるんだ。函館は少し大きいけれど。小さい方がだからものが言えるわけですよ。これでやるんじゃということは中央になる程言えなくなっちゃうんですよ。
●森先生
さっきおっしゃった『まちづくり』は全部違うわけですからね。省庁の場合は画一的にならざるをえないということになりますね。
●田村先生
法律なんかも全国画一的につくるということが大前提ですからね。もし、一部だけに適用するのであれば、これは憲法上で言うと、住民投票にかけなければいけないんですよ。
●森先生
さっき今野さんが、「我(が)」を通すと言っておられましたね。「我」を出すということを引っ張っていく『まちづくり』。つまり、迎合しないでポリシーを持ってということを。それから2つ目は、背丈合わせの部とちょっと言葉にはあれだけれども、きれいごとだけでは『まちづくり』は進まないとかね。お互いに利用できる仲間をつくり、というようなことを言って意見を持ちたいとおっしゃっていましたね。これについてどうですか?
●田村先生
(我(が)を通す)
1番目の「我(が)」を通すということは、さっきから言っていますように、そのとおりなんです。まさにそのとおりなんです。そうでなきゃ『まちづくり』は始まらない。
(実践する)
2番目のやはり実践するということであると思いますね。理念だけでなく形にする、言うだけでなくて、これは実践するのにはね、有りとあらゆるものを、やっぱりどうやって活用するかという総合力がないと出来ないですね。そうでないと単発になっちゃうんですよ。何とか市長さんにお願いして、何とか補助金を貰って、それだけは出来たけれど、これはさっきのね、またこっちもお願いしたら同じような下水処理場が2つ出来ちゃったとかね。いうようなことになっちゃうけれども。そうじゃなくて、やっぱり自分たちが構想力を持って実践力を持ってやるということは、これはどうしても必要です。
(プロジュース能力)
3番目にうまいこと利用する。これは私が言わなかった点だけど、これからの自治体に求められる能力の一つは、プロジュース能力なんですね。つまり、自分は今までは自治体というのは、国から補助金を貰うなり何んなりして自分で事業をするしかなかったんだけど、自分でやらなくてもいいんですよ。要するに、それと同じようなものが市民に対してサービス出来ればいいんですよ。市民から見ればそれが何であろうとかまわないんでね。それをうまくプロジュースして、プロジュースするだけでなく、後々うまく市民に使われるような形のものでね、コントロールできるというものであれば、むしろ必要なんです。それが今までの行政能力はないんですよ。そうすると自治体は良く改革しなければだめなんですね。
●森先生
女満別の人からですね(道庁に今執行している)。暮らしの側面、住み安い、住み心地、文化の側面、いろいろあって否定するわけではないんだけれども、産業の側面からの『まちづくり』も重要でないのかということについてはどうですか?
●田村先生
安全に快適に生き生きして暮らしていけるのに全然金がいらない。ということであれば、これはとても生き生きしませんよね。金があったからとうだけで生き生きするかどうかは分かりません。でも、金も必要です。生き生きするための非常に重要な条件ではあります。全然金が無い、これでは困りますね。
だからそういうものも含んだトータルなものとして考えないといけない。今まではね、金の面は言われ続けてきたわけです。地域開発と言えば金もうけなんだ。金が落ちるんだ。地域に落ちるんだということで地域にいいこともいっぱいあるんだということが地域開発の必要理論で昭和30年代、1960年からズーと続いたわけです。20年くらいね。これはちょっとそうでもないぞと、いいこともあるけれどもおかしなことも沢山出ちゃって、何かめちゃくちゃになっちゃうぞと、だから、経済だけじゃないぞ。人はパンのみで生きるわけではないぞと言って。だからと言ってパンを否定しているわけではないんです。でも、パンだけじゃなくて、いろんなものも一緒に考えなくちゃだめなのよ、ということを言い出したということであって、だから、今まで表に出ていたものが下に沈んでいるかもしれないけれども、でもそれは基盤ですよ。さっきのだから人口が5分の1になっちゃったとかね。半分になっちゃったとか、沢山ありますけれど、それは喰う金がないとしょうがないね。それは当然なんですね。
●森先生
最近は、例えば、世田谷区の「まちづくりセンター」があって、こちらにも来るんですが、『まちづくり』というのは、これは主として大都市とかですね、政令都市とか、ああいう東京の区みたいなところで頻繁に行われるように思えるのですが、「まちづくりセンター」とか「まちづくり公社」とか、それからワークショップか何かが、『まちづくり』の何かモデルのようになっていますよね。『まちづくり』とはワークショップというような感じすらあったりするんですが、それについて一長一短あるんでしょうけれども、これについてはどうお考えですか。
●田村先生
(ワークショップ)
ちょっと2つ整理する必要があるんで、先ほども言ったかなあ。最近本を書いた東大の都市工学の西村君と話をしたんですが、最近ワークショップという言葉がはやり過ぎますねと彼が言うから、それはそうだね・・・・と書いてあるけど。やたらとワークショップで、ワークショップは一体誰が始めているんだと言ったら、彼もあまり良くわからないんですね。ぼくの知っているところでは、ワークショップと言い出したのは、ウォーレン・サンプリンという人で、造園家なんですよね。ただ造園をするんじゃなくて、その時に、全然別な発想からいろんなことをね。自分が動くことによって問題を考えていこうと。例えば、そこに造園をしようとする時、ゆったりと街を歩いて見て、何か見つけてきましたとか、そういうことをやってみて。そういう結果ね。もっと全然違う発想からいろんなことをやってみるという方法論に割合使ったんです。それが、『まちづくり』にだんだんなってきたんですね。『まちづくり』におけるワークショップの意味はね、そういうふうに自分で何かの作業を伴うということがないとだめなんですよ。ただの陳情をして、行政がそれに答弁して、3時間やるところを30時間一生懸命答弁の練習をしてきて、それでやっているんでは。ちょっとそうではないんです。もう新しいことに出て、その中で考えちゃって、それぞれに作業をさせると。行政屋だけは30時間作業して、答えられるということではなくて。ああそうですかね、困りましたね、そんなことになりますかねというようにして、一緒になってね、その代わりみんなで作業をしちゃう。
(矛盾撞着)
それからもう一つ、『まちづくり』で重要な点は、矛盾撞着があるんですね。一方的にいいことばかり言っているだけでは、うまくいかないわけですよ。何かを言えばそれはお金がどこかで掛かり過ぎる。掛かり過ぎたらどうなるか、税金が高くなる。小さな町だと議会に出ちゃうわけなんだけど、アメリカなんかだったら、何かをやろうと市民参加でやる。これをやるんならお金がかかりますよ。税金だからこれだけアップしますよ。これでいいですか、その代わりにバスを通します。路線バス通します。その代わり税金上がります。どっちがいいですか。住民投票したら、こんな税金が高くなるんなら止め。それならバスを通しません。そういうことになっちゃうわけですよ。そういうようにはっきりしています。ぼくは学生に、皆さんが今言われたようなテーマが出て来るんですが、論点を出しなさいと言っています。必ず、ただの報告して調べているだけじゃだめ。ぼくの本だけ読んできて何か報告するようじゃだめ。必ず論点がある。論点というのはね、必ず分かるようになる。普通2つでいいです。2つなり3つ。それぞれいろんな意見の人たちがいて、その意見の人たちが話しをしないと本当のワークショップにはならない。ワークショップというのはいろんな形のものがあってね。何か作業をするということだけでは共通しているんだから。これからやるのはやはり少し違うような論点がその中で議論されて、しかも、その中に何か自分の作業を伴って、それに対して議論されているということが必要じゃないかと思うんです。
(まちづくり公社)
それから公社のようなものがこれからどんどん出来るんですが、いろんなタイプのものがあって、例えば、有名なのが世田谷の「まちづくり公社」があって、これはどっちに属するのかというとやはり金を出している方に属さざるをえない。だから、彼は今、専門学校で参加の『まちづくり』ということで、専門学校でやる夜の特別講義をしたりしている。そしたら、講義を夜の6:30から始め、9:00過ぎくらいまでやるんですが、その講義に仙台からバスでやってくる。週に2回ですよ。どうするんだというと、うち(家)に帰れないから泊まっているんだという。毎週2回泊まって、彼女は女性だけでちゃんと仕事持っているんですよ。だから、朝一番で帰って仕事して。
あるいは静岡からやってくるとかね。あるいは、議員さんをやってるとか。そういうちゃんとした人たちというのは実際に自分でやっている人たちだから、これに疑問を感じて、本当に参加しようと思って来るのだから、彼もその意味ではもう少し生き生きしてやっていいですよ。行政が金出せばその行政の顔を潰すわけにはいかないから。行政がつくった「まちづくり公社」が無意味というんじゃないんです。しかし、それはね、その限界を持っている。だから、そういう式のものもあるけれども、函館の元町倶楽部などというものはね、ちゃんとお金をあるところからせしめて、そういうものをやるとかね。あるいは、足利の未来科学というやつなんかは、足利で1人2万円かな。2万円か3万円か1人が出し合って、それが何十人くらい集まって、100人くらい集まって、それで何かやろうという倶楽部方式というかね。倶楽部というのは字のとおり、共に楽しむというですね。だから共に楽しみ合いながらやろうじゃないかという。これは、純然たる市民の側からやるようですね。だから、いろんなものに交錯していく。ただ私はね、行政側の肩を持つんだけれど、行政というのはね、お互いにさっきも言ったとおり、今まで行政ですか市民ですかとすぐに対立的に考える。たしかに今までの行政はそうだ。機関委任事務でも何でもそうだ。決まりきったことをやっている。霞が関やあるいは道庁さんの方ばかり向いているというのが多いわけですよ。でも、本来的には市民の事務局なんですから、市民の方がこれはもうちょっと全然違う機能を発揮出来るはずなんですよね。今のところは充分に機能を発揮していない。発揮させるのも市民の力なんじゃないんですかね。市役所にいる人でも実はそういうやり方でもう少しおれもやりたいんだと思っている人もいるわけですよ。だから、そういうのはやらせるようにうまく持っていく必要があるのではないだろうか。
●質問
学生の役割、若者の役割について
●田村先生
学生に限らない。だから一般市民の中で体を動かせるという役割なんだから。だから、ワークショップでいうワークしなければだめだ。一番ワークショップの中の戦力なんでないの?
●学生
自分でやりたいと思っても、戦力としては結構なれるのに一歩踏み出していない。学生が出れる場をつくりたいと思っている。起爆材ないか。
●田村先生
都市政策とは専門家の都市政策だけではなくてね。市民の学問なんだから、市民として別に学校の中だけではなくて、これから将来の問題としてあんたがた考えておいてと話しはいつもしますよ。だけど、どういうふうに行動するかしないかというには、それぞれの自由があるからね。おまえ、これで引き連れていくからどうか行こうなんて言うことは、ぼくは少なくてもやらないけれど、やりたいという人がいていいかもしれないし、それは自由ですよね。そんな中で、自発的に自分が動かないようなものはだめだよね。問題の提起は、問題点をさんざん分かっているし、状況も分かっているんだから自分からやらなきゃだめですよ。しかし、むしろ強制し合うんだったら学生同士だったらね。まだそりゃお互いにやろうじゃないのかと言えるんでないか。先生がやれよというのは、私は昔からそういうふうにやられたから、そういうのは嫌いなんだな。
●学生
プロジェクト方式。どうしてプロジェクト方式を一つの方法として思いつかれたのか?
●田村先生
プロジェクト方式の説明をすると大変長くなるんだけど。それは一つはね、長期総合計画というものがあるわけです。そういうものを見たことある?
●学生
ぼくは専門ではないんですよ。
●田村先生
これは専門でなくても。これは市民に向けてやっているんだからね。どこの自治体でもあります。全部、北海道庁にもありますし、各市町村に全部あります。そういうのはみんなあるんだけれども、専門じゃなくて、市民のためにやっているんだよ。市民が読んでくれないじゃないの。それではっきりものが動いているかと言ったって動いていないじゃないの。そういうやり方でなく、もっと具体的に市民に言える形でものを動かしていくということをやらなきゃあ。特にぼくがやっていた場合にはね。ここに総合計画でやられています。いろいろ書いてあります。沢山書いてあります。いいこと沢山書いてあります。じゃ、とても動かない。じゃ、どうやって動かすか。それでプロジェクト方式というものを考えていったわけで、片方にそういうものがあるわけです。じゃ、総合計画が全くいけないかというとそうではないわけです。まず、安定している状態なら、まあ、そういうのもそりゃあってもいいかもしれない。だけど、横浜の場合大変な状態にいましたから、米軍が街の中を全部占拠しちゃうとかね。いう状態の中でどうするか何もしようがない。ただ、今までどおりやって、一応計画をならべて、こんなもんですよ、何んて言っているようなやり方じゃだめだと、戦略的にやらなきゃいけない。戦略的にというのは工期の筋道をつけながら、実際に、具体的に動かしていく。実践から必要だということを言って、まあ、こういうプロジェクト方式を言ったわけですね。ただ、今までのその時の状況に対してそうじゃないよと言っているわけで、何となくプロジェクト方式があるわけではないんです。その後、いろんな自治体のところに行きますけれど、そうすると、大きなプロジェクト方式のプロジェクトが10も20も並んでいるんだな。ただ、並べて上げることがぼくの言うプロジェクト方式ではないんですよ。もうちょっとぼくの言うプロジェクトとは、市のお金を使わなくても出来ちゃうんですよ。
しかしね、市のお金を使うよりものすごくお金がいるんです。お金がいるのにどうして使わないのか。だから、そこが知恵なんですよね。そういう意味でプロジェクトだから。大きな事業を並べるということはできるかもしれない。だけど、お金がないからできませんよ、でおしまいでしょ。そうじゃなくても出来る。出来る方法が今度は必要なんですね。そうするとプロジェクトを並べるだけでは済まない。そうすると相当難しいことになって、組織から何から人間のやり方から、全部変えなければならないことになる。それを変えようとすることを含んでいるんです。
●小笠原さん
北海道大学の大学院にいる。道職員で派遣されている。自治体計画、総合計画とはどういうものであるか? プランナーとして先生が携わった時の計画と今の計画とではつくり方にしても運用の仕方にしてもだいぶん変化があろうと思うのですけれども、その辺の仕方について参考になるお話しをお聞かせ願えればと思います。
シビルミニマム計画をやっている東京都とか、社会計画であると言っている神奈川県庁には興味あるんですけれども。他にも何か先進的なところがあるのでしょうか?
●田村先生
うまくいっていないと言うと全部うまくいていないんです。初めから総合計画でうまくいったものは一つもありません。ただ、総合計画の何がうまくいかなかったのか、それに対して修正がね、ある時期ある時期でやっているんですよ。それはね、前の時よりは多少ましになっている。じゃ、何を問題にしてきたかということはね。あなた、総合計画の歴史をちょっと勉強してもらわなければ困るんですよね。だから、最初の総合計画は建設計画だったんですよ。社会計画は神奈川県が言い出したわけではないんですよ。問題は昭和38年代に福祉計画を入れて社会計画というのを入れて、そういうものをやり出した時期があるわけ。ある時期にある自治体がいくつか問題点を入れてやってきたんです。でも、なぜうまくいかないかというのは、ぼくがさっきから言ってきたことに関係するんだけども、自治体が、主体性ない人が計画をつくっているんだから。総合性がないのにつくっているんだからうまくいくわけがない。だから、並べたものになっちゃう。それから最近だと参加の問題を盛んに入れているわけですね。
だから、その時期時期によって建設計画からその社会計画、都市計画とにね。それから、もうちょっと幅の広い文化性とか何とかを入れようとする。それからさらに市民参加を入れようとする。時期的に言うとそれなりの進歩はしてきているわけですよ。だからと言って今の法律的なところと主体性、総合性がないといくらやったって、まあ、それはそういうもんでしかない。しかし、じゃ、全く意味がないのか。そうではないんですよ。評論家ならね、そこはだめだと言っていればいいんだが、ぼくは理詰めでやってきたから、実践的には、いつでも使える要素はあるんだから。それはその自治体にとってそれをつくることにどういう意味があるのかということを考えてやれば、いろいろ使い方はあるんですね。つくり方よりもむしろ使い方なんですよ。つくり方を含めた使い方なんですよ。
だから、総合計画がどういうもんだということではなくて、その自治体にとって何が問題で、その時に総合計画をつくるというプロセスを含めて、それが何だかの意味を持ちそうだったらそういうふうに演出をしていく。ぼくは、そういうふうにやりました。ぼくがつくったものは非常にいいものとは言えないんだけれど、その時のその時代のものとは違うものをつくりましたよ。じゃ、それがものすごくいいものであるかというとその自信もないな。
●小笠原さん
計画に戦略性を持たせるということが必要なんですよね。
●田村先生
だから戦略性を持たせるためには、さっき言ったプロジェクト方式のところで総合計画と離れたところで戦略性を持たせちゃって、それをもってむしろ自治体の組織から、やり方から、考え方から、思想まで、ひっくり返しちゃうということはやったんです。総合計画ではそれは出来ないんですよ。
でも、それが段々消化されてくれば、むしろ総合計画にその一部が自然に入ってくる。後から入ってくる。総合計画で入ってくるんではなくて、総合計画の中に入ってくるんですよ。結果の親戚みたいなもんですけれどもね。だけど総合計画であろうと、ないことはないですよ。
昔にやったソ連のポスプラン、このようなものだったたらそれでもいいんですよ。でも、例えばね、道庁計画、全国総合開発計画なんて、これからね。第5次では言わないんだとか何とか、下河辺さんが言ってたって言うけれど。それはそれでいいんだけれども、全国総合開発計画なんて言うのはだいたいそもそも必要なのかということを、もと(根)からも、本当は考えなければいけないんですよね。じゃ、市町村の計画、全国があって、都道府県があって、市町村があって、じゃ、全国というのが本当に必要なのかということをあなたの中で考えてみるといいですね。その答えが出てくると、じゃ、道計画がどうなのかな。今までだと何となく納まっているわけですよ。全国があって都道府県があって、こんな納まりではないということも本当は出てくるんですよ。
●森先生
(『まちづくり』の主体)
私の『まちづくり』ということは、誰が主体かという問題ですよね。どういう方法でという問題もありますけれども、その前に何をというのがありますよね。従来は、道路は都市計画の基本であるという都市計画決定、行政が公共事業をやると、進めていくと、その時に、計画をつくる時に、あるいはその前の総合計画をつくる時にあるいはもっと下位の何とか振興ビジョンをつくる時に地域に住んでいる人の意見を言ってもらえる場をつくると。ところがガス抜き集会であったり何かしたりして、あるいは、役所にとっては痛くもかゆくもないような文章上についての要望を聴く会が何か参加であるような錯覚もありますよね。ですから、参加という声は70年代から20年以上ありますけれども、その実質は何もないという実態がありますよね。つまり、主体が誰かというのが今までは、役所がと言っていたのが、今度は地域の方々というふうな、あるいは、地域の方々が一緒にという、それから課題を、つまり、自分の『まちづくり』論は福祉の仕組みをつくる場合もあるし、私は先程も言ったが4つですね。
1.安心して暮らせる「まち」
先行き非常に過疎が進んでいるから安心してくらせる福祉、安心して暮らせる老後、安心して暮らせる「まち」の仕組みをどうつくるかという問題ですね。
2.産業
それから、2番目は、おっしゃった産業。つまり、地域に合った産業を、企業にやってもらうのではなくて、地域が産業をつくるという。
きのこの『まちづくり』愛別町というふうにですね。あるいは、池田のワインという自慢の産業をあるいは観光もそうでいいんだけれども、ただ、観光客のために地域の人が奴隷になるような後始末をするような観光ではなくてですね。産業政策。
3.環境
それから3つ目ですがね。3つ目は環境。つまり、美しいという都市が故郷という先生の最近書かれたこの都市が美しいという仕組みに、都市部においても農村部においてもどうつくるかということが大きな『まちづくり』の重要な政策課題ですよね。
4.文化・芸術
4つ目は、まあ、文化、むしろ芸術。楽しい、働くだけではない楽しいというような、勿論、安全、その他いろいろありますがですね。私は大きくは、つまり、いろんなものがインフラが整備された地域、都市も農村もいろんなインフラ整備が進んできました。そういう中であるから個性とか質とか魅力とかアメニティーとか潤いとか歴史的なものと言ってきているわけですから、そういう数字では表されない。だから、『まちづくり』を平仮名で書く。つまり、数量化、計量化できない。直ちに金銭で、直ちに換算できないようなことが重要な狙い。課題、テーマになってきたのでありますから。
『まちづくり』ということも時代的に70年代80年代90年代というように自分の座標軸、自分のその時間的に、今、どういう時代条件、つまり、現代社会に対する時代認識というものがね。それが、まあ、その地方分権が必然になっている時代になっているとか、いわゆる『まちづくり』の時代、普通の市民が「まち」をつくる主人公になるという。「まち」の市民が、普通の市民が町村、村であっても市民がですね。そういう人が『まちづくり』の主役だという。そう問題意識が必要なんですが。その人たちがそれで何をということがはっきりしないから『まちづくり』のことが漠然とするわけですよね。何か参加だとかワークショップと言われるが、ワークショップもいいものもあるけれど、ちゃんちゃらおかしいワークショップをやってですね、技法とか芸術だけ教えて『まちづくり』の名人みたいに言っている。何も、公共的に関わっていない人を講師に呼んできているというのが研修所ですね。そういうようにですね。自分自身の問題、自分自信の課題がなければ自分の『まちづくり』が不鮮明なんですよね。自分に自分の住んでいる地域社会に愛情もなければ関わりもなければ何をしなければいけないということも何にも問題意識もなくて、『まちづくり』の学校を行ってきて、『まちづくり』の勉強をして、そりゃちゃんちゃらおかしいですよ。つまり、誰がという問題、行政と市民、何をという、つまり、それぞれの人にとっての課題が漠然としてではなくて、少しずつ鮮明になってきて、しかし、それは全部やることはないんで、実に、ある身近なことなんだけけれども、身近かなことをやりながら全体を見てきて、全体を見ながら身近な問題を見るという、これが相関関係なんで。自分の「まち」のトータルプランが見えなきゃ自分の問題だけで熱心になって、まるで、優先順位なんていう問題。意識は全くなくって、自分の地域のこれさえ出来ればうちの「まち」はおんの字だみたいに。客観的に見れば、小さいことに拘っていてですね。もう社会的指名おびた終わりつつあるような施設をつくってくれって言っているのが、だいたい労働組合の何とかですよ。そういうふうに問題意識が、問題の課題が、相対的に全体的に優劣とかね、体系化されていると、そりゃ、最初から体系化されていると、抽象的な議論ばかりやっていて、大学院の学生ばかりなっちゃいますね。ですから、具体的な問題を見なきゃいけない。
(『まちづくり』の方法)
しかし、誰が、何をって、その次が方法なんだね。方法が参加。参加は現実にはほとんど制度化していない。ところが参加は必要ですかという話を12月13日、旭川のNHKでやった。参加は本当に必要だと思いますが、その時に田村先生と一緒に書いた文化行政と『まちづくり』の中で北海道の「まち」もいくつか古典的になっているけれども。いくつかの事例が出ている。これは32のキーパーソンが書いた事例がでているんですね。
これの中を見てみれば、どれも今日の都市問題を先取りしたような問題は、全部地域の人と行政がスクラムを組んで出来ているわけです。だから、参加というよりも協働なんですね。つまり、優れた『まちづくり』というものは、質とか魅力とか個性とかいう、そういう問題は、地域の方々と行政が、何度もおっしゃっているように自治の事務局というように行政がなって、統治支配する。お上ではなくてですね。自治の自治体となっていく。事務局のというような役割に自己を位置づけた行政と地域の方々が主体的に関わることによって、しだいしだいに少しずつ少しずつ。一揆には無理なんであって、少しずつ少しずつ自分の「まち」に対する愛情や誇りの感情が心の中に育っていくというやり方をしているところが優れた成果を上げている。つまり、理屈ではなく現実にキーパーソンに会ったり、視察をしていって、驚いてきて、びっくりして、帰ってきて、で、白老がやっているようなやり方を進めていくというのがですね。これは、まあ、一つのいい方法だと思いますね。それから、いつも行政を行政をというのではなくて函館の元町の市民倶楽部のようにですね。自分たちでやられるパブリックな問題を見つける。問題を設定する、発見する。見つけるだけでなく、何かやって見る。何かやって見ると、たちまち周辺に矛盾や課題や、足引っ張りや、自分がつらい立場になるということがあるんですよ。そのあることを超えて、その人の視野が広がってものが見えてきて、協働のスクラムが、仲間づくりが出来ていくという、そういうプロジェクトを学ぶ。そうでありますから、まず、学ぶとそれからいろいろなキーパーソンに会って交流すると。そのためには、まず、例えばですね。北海道自治体学会にまず2000円ですから、会に入ることですね。それから、まあ、土曜講座ですけれどもね。今度400人に絞りますけれどもね。何らかの実践をして仲間を増やす、何にも今言ったのは、それではなくて、皆さんが既にやっているようにグループでお話し合いになって、いろんな方に交流して自分のものを見る目、今日では『まちづくり』の時代でありますから、『まちづくり』ということに自分が何らかの関わりを持つ。関わりを持つということによって、自分の問題意識が広がってくるというようにですね。そのきっかけに今日の集まりがなければ執行委員会の隅っこにいるものとしては大変うれしいと。
●田村先生
今、言われたとおりね。私も本当は皆さん出されたようなことをやったらいいですよ。私、時間的問題もそうですし、政治的問題もそうですし、実際的問題も。いろいろな体験をしてますから、私もお役に立てるかもしれませんけれどもとてもこの時間で全部の問題に答えるわけにはいかないんで、非常に乱暴に言っちゃってしまったかもしれません。でも、要するに皆様で考えてもらいたいと思いますし、北海道は凄いと思いますよ。どっか他の県が何かないかなと思うけど、これだけ土曜講座をやると、800人がやってくるとかね。こういうことをやってもこれだけの方が来ると、私の風邪も少しはこの時間中に良くなったみたいで、声の出が少し良くなったみたいですから。そういうところは、なかなかないですよ。でも、本当にね。北海道は凄い可能性をこれから持っていると思います。
皆さん、それぞれに、全然違う。北海道って広いからね。なにも札幌だけじゃなしに、いろいろなところで事情も違うし、問題も違うんだと思います。
(協働)
まあ、是非、そういうところで皆様方が協働して、協働とは私は良く共に協力して働くという字を使いますけれども、行政もその中で一緒になってやる。しかし、そこでいう行政とはね、決して普通の、今まで言った行政じゃないいんですね。行政対市民というとちょっと抵抗があるんですよね。私なんか一市民からいきなり行政の中に入って、そして実際にやったんでね。そういうふうな行政だって本当はいいわけですよね。市民と一緒のレベルのはずなんですよ。私はそのつもりでやりました。行政も変えました。今は、またちょっと、元に戻っちゃったかしれないけれど、だけど、そのつもりでやればね。だから、行政と別々のものではありません。昔、よく、田村さんがやったのは、行政指導だったんじゃないんですか? 行政指導とは、昨日まで市民でいたんだからさ。それをこっちからいろいろ調べてやること、そりゃあるから。それは、事務局の方から仕掛けてやることはあるんだから。やりたい方がやればいいんであって、いろんなケースがまた有り得るということを是非、考えていただきたい。
(『まちづくり』はアート)
それから、まあ、現実の問題を言われたんで、私は、パブリックアートなんていう問題について会をつくって私が代表をやったりなんかしてる人ですけれど。まあ、広い意味でも、パブリックアートと訳すと野外彫刻とか何とか。雪の彫刻もそうかもしれないけれども、そういう意味の狭い意味のアートだけではなくて、私は、『まちづくり』はアートの世界だと思っているんですよ。広い意味で。で、物をつくる点もそうですし、イベントもそうですし、あるいは人に何かインパクトを与えるということも私は、一種の芸術の行為じゃないかなあ。その意味では私は、『まちづくり』は皆さんの市民の協働作品なんだというふうに言ってますんで。まあ、大きな意味での皆様方の芸術づくりに参加をしているというつもりでやっていただきたいなと思います。 |
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