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フ ォ ー ラ ム |
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鼎 談:「分権時代のまちづくりを考える」
〜 市 民 の 果 た す べ き 役 割 〜 |
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●今川
東区役所に勤務しております今川と申します。今日、進行役を勤めさせていただきます。よろしくお願いいたします。皆さん早く鼎談に入ってもらいたいと思っていらっしゃると思うのですが、簡単にですね、今日の会の主旨と3人のご紹介をさせていただきたいと思いますが、ちょっと時間をちょうだいしいたと思います。
昨年、ご存知のように地方分権推進委員会から第4次の答申が出ました。
これはいろんな評価があろうと思いますが、これは間違いなく分権の歯車が動き出したと皆さんも思っていらっしゃると思います。
なかでも、機関委任事務の廃止というのは、これまで、国と地方との上下の関係においていたということでしたので、廃止については、非常にい大きな成果であったと期待されているところだと思います。
年末には自治省の方から機関委任事務の廃止を受けて、機関委任事務の廃止がもう地方自治体の事務や制度のあり方も考えたいというのが発表されました。その大綱の中では、国と地方は役割を分担する、対等な関係であるというふうに、その中の言葉を借りますと、地方における行政を自主的かつ広域な存在であるというようなことをその中で自治省は言っています。
これは、今更当たり前ではないかと私なんかも感じるのですけれども、まあ、実態はそのあたりまえのことが出来ない法律ですとか制度が、いわゆる別の常識が今まであったのではないかと思うのですが、この別の常識というのは、国と地方だけではなくて、行政と市民の間にもあったということをたくさんの方々が感じられていらっしゃると思います。
分権社会というのは、間違いがなく、そういう関係を変えていくのでしょうし、現実に今までのルールが通用しなくなって、少しずつ変わってきているように思えます。
例えば、札幌市なんかの場合でも、最近、パートナーシップというのをいつも言い出しているんですが、そういうのも一つでしょうし、あと、市民を始めとして、企業団体、行政機関が一緒に考えて協力して実行する協働の時代に入っているのだと思います。そこで、本日お招きしました田村明先生は、早くからこの協働ということをおっしゃっておられました。それで、先程お話した別の常識といいますか、制度や法律がもっと頑固で窮屈だった時代に、横浜市の職員としてまさに地方行政を実質的に行うということを実践された方でいらっしゃいます。そういうことがもう30年前であるんだということで、その先駆者ということで、私はその驚きを感じないわけにはいかないのですけれども。
田村先生は、地方分権を地方主権とお呼びになって、本来主権者である市民が一人ひとりでは力が弱い。それで最小の政府をつくったので自治体なんだという話しをされています。自治とは、市民参加であって参加は双方向のものである。決定権がなければ参加とは言えないし、参加には責任が伴うとずーっとおっしゃられておりました。これは、舞台を変えれば具体的な自治体には、主体的に考えて、責任をもって行動する市民がいるということだと思います。
今回、伊達市から参加していただきました中村恵子さんはそういう意味でまさしく市民であると思います。中村さんは、伊達市のゴミの有料化政策をきっかけにゴミの減量、それから分別、リサイクルシステムの提言への実践を中心にまちづくり活動を10年近く取り組んでこられました。
また、拓銀総研の研究員である伏島さんは地域づくりのアドバイザー、プランナーとして、道内の地域振興に深く関わり、自治体と企業と市民との協働の実践者でいらっしゃいます。今回の鼎談は、この3人の方に実践を通して考えていらっしゃることなどをこれから分権時代に向けて、市民が主体のまちづくりについて考えていることなどを1時間半お話していただきたいと思っております。後半の1時間は皆さんも一緒に参加していただいて、私たちが住んでいる北海道を北海道らしい主体的なまちづくりを進めていくために、何が出来るのか、何をすべきなのかといったことを話し合っていきたいと思っています。
最近読んだんですが、「言葉には足」があるそうです。今日の2時間半の話し合いの言葉が皆さんの心に届いて、広く伝わっていくということを願いまして挨拶に代えさせていただきます。貴重な時間を使わしていただきまして大変ありがとうございました。
●中村
今、今川さんの方から紹介がありました。実行委員会の方からメモ紙が届いておりまして、まず最初に自己紹介を5分程度して下さいということですので、まず私から活動の10年間について5分程度、5分ではなかなかまとまり切れないのですが、お話したいと思います。 私は、現在伊達市に住んでいます。伊達市に住む10年前は毎年引っ越しておりました。道内のいろんな町を見ていたわけです。夫の仕事の関係でそのような状態であったわけです。
伊達市に住むということは夫の仕事の関係でちょっと長く住むようになったわけです。「そこで地域が少しでも良くなることをしたいなあ」と思っていたところですね、総合地域開発計画の道央をつくる企画会議の委員を公募するという情報がラジオから漏れていたわけです。これなら私にも出来そうだということで直ぐに応募しました。手弁当で5月から11月まで伊達の町をどうしようかということで議論していたわけです。
11月に答申を市長に出した翌月、12月議会に突然有料化提案が出されたわけです。総合会議の企画会議ですから、この伊達の町をどうするかということを半年に渡って話していたところが、その半年間ゴミのゴの字の話しも市の方からは何の情報もなかったわけです。それが翌月議会に有料化提案が出されたということで大変驚きまして、このやり方はちょっとおかしいのではないかと、市民の新たな負担を強いるのに、合議のようなものも情報も何一つ、総合開発計画の素案をつくるメンバーにさえも知らせていないというのは、やり方がちょっとおかしいということで、調査を始めたのが私の活動の始まりです。
その経過をいろいろと話すと長くなりますので、かいつまんで話しますと、その先進自治体の実態を調べた結果では、有料化提案前に私はゴミの減量のPRとリサイクルシステムの確立とゴミに関する総係りビジョンというものを市民にきちんと示すというのが行政の責務であろうということを確信したわけです。実際この3つのことが伊達市からは残念ながら示されてはいなかった。
だが、伊達市を責めるのは少し酷です。その当時は道内のどこの自治体でもゴミについては、10年前ですが、関心がも持たれていなかったということも事実です。
ただ、私は、このゴミ問題は環境問題の根幹をなす問題である環境問題の後始末の問題であるということに気づきまして、先程の3つのことについて実践的に活動をしなければならないと思っています。なぜかというと、学生時代に一応、環境問題に手掛けておりました。その後10年活動をしているわけですが、主に私の活動は2本立てです。個人としての活動と、肩書きとして紹介されました市民まちづくり研究会の代表としての2本の柱を持っております。
個人としての活動としましては、まず、足下からの実践として自治会で資源をみる自主回収方式を実現し、それから夫の開業した医院で職員を徹底して教育して、院内の資源を全部資源ルートにのせ、最近の新しいこととしては、生ゴミを酪農の資源にする。それから灰を養鶏の燃料に回す。環境問題と農業とをリンクさせるということをやっております。 それから一番私の大きな仕事だと思いますのは、有料後の実態で市民意識の調査を伊達市と倶知安町で平成3年、平成4年と続けて行いまして、この廃棄物全体で発表して、全国でもいち早い発表でして、それと同時に全国市の6・2、従料制有料化の意義を考える必要があるのではないかという意志を伝達しました。このことによって伊達市にゴミの従料制、有料化というものがどういうものかということで、全国的に学者、自治体、そしていろいろな事業者の方々が殺到したわけです。
実際伊達の従料制、有料化は道内では初めてではなくて、北部桧山衛生センター組合が4年前に始めていたわけですが、伊達に人が殺到したということがいつの間にかこの方式が伊達方式というネーミングまでついてしまったわけなんですが、詳しく話すと、環境政策の中における環境税課徴金、こういった問題にまで話しが発展していって、環境問題を決定する有望な方法として一番分かりやすい例として取り上げられているということになっております。
それから「ゴミはこうやって仕分けするんですよとか」、「資源化の方法はとか」、「ゴミを減らす方法は」とか啓発活動を行っております。これは私の個人としての活動です。市民のまちづくり研究会での活動としましては、ゴミの減量、それからリサイクルシステムの確立、そういったものを実現するためにはまず住民がどうやったら減量できるのか、どうやったらリサイクルできるのかということを知らなくちゃいけない。そのために、住民に対しての提案活動をこのシンポジウムとか討論とか、いろんな提案活動を行っています。
また、事業者に対しては、容器包装削減要請、例えば、米の必要性チェックと材料システムの確立を狙って、平成2年、非常に早い段階でこれを市内の大型店5店全部にお願いして、道内では5企業で全部の資源回収パスが行われたとか、身体のことで持参生涯システムの要請を行って、これを平成2年の12月に行って、平成3年には5店にまで発展し実現するという非常に早い事業者の動きをいたしております。
それから行政の方には、行政サービスの充実と生産コストすなわち民間ルートの維持、民間ルート民間システムの維持に関する、行政に全てお願いするのではなくて、なるべく今ある民間ルートを最大限活かして、リサイクルシステムをつくろうという、そういった意味ではいろんな論点を伺っております。この過程で行政といろんなぶつかり合いがございまして、そういう要請を行う時点でトピックスとしてお話したいのですが。
要請文書を出す。その文書に対しては、お答をお願いしますということで回答をお願いしたところ、こんな要請の文書では答えられないと怒鳴られたりですね、いろんな経験をしております。
その後も行政側が具体的な施策が出せないものですから、有料化して7年も経ってやはり、市民の側もこれではまずいということになりまして、それで具体的にゴミがどのように流れているのか、それぞれの再生資源の流れのデータを把握する調査を行いまして、それを基に回答があったのですが、具体的な案は回答として出ていません。
それじゃ議会の議員さんと一緒に考えてもらおうということで、議会の方々に陳情を出したわけです。この要請陳情が功を奏して、また、容器包装リサイクル法という法律が制定されたことによりまして、市町村が全面ゴミ収集計画を立てなくてはいけないという追い風もありました。更にもっといいことには、非常に意欲的な職員をその部署に配置したという、いいことが重なって8年目にしてようやく私たちの言っていることがほぼ全面的に認められたんですね。全ての行政項目に対して、ほぼ全部実現の形で取り上げられ、伊達市のゴミ収集計画が出来上がったわけです。その間、非常に苦労をしました。
この一連の活動で地域活動を解決するために、行動を始め、ぶつかったものを行政がつくった住民、例えば、自治会とか何とか協議会、推進委員会からの意見ではなくて、任意のこの町が良くなるためにはこういうことが必要じゃないか、というそういう市民の任意の声、これに対して市の側が予想していないというか予定していない、で、あげくの果てに真面目に対応する気が最初は無かったと。そういう態度に対して私は非常に驚きまして、「あら、行政は市民のために、市民が住みやすいように仕事をしているのではなかったのかなあ」。そこで改めてクエスチョンを付けてしまいました。
民間なら一つの結果を出さなければ給料を貰えないのですが、収集計画が出来るまで8年という時間が経って、それに対して実効性が無かったことに対しても給料を貰っているんだなあ、とちょっと驚きますねよね。
私は常日頃、行政は社会主義体制じゃないかと言っているんですがね、本当に市民のためにベストの仕事をするという評価がきちんとされていない。動機付けがされていないが故に真面目な取り組みが無いんだなあ、とこういうふうに感想を持ったんです。それで一番述べたかったのはその辺だったわけです。
それで、もう少し勉強しなければならないということから、北大の大学院へ行きまして、公共政策コースに進みまして、そこでいろんな先生のお話を聞きまして、山口先生とか神原先生とか森先生とか、こういう話しを行政が聞かなくてはいけないんだなあと思ってまして、まあ、行政を変えるには市民意識の向上が大切。しかも、その知識を行政と市民が共同して持たなくてはいけないということで、生涯学習講座を平成5年から開設しています。
介護の話題もこの生涯学習講座が開いておりまして、森先生の文化行政とまちづくりというテーマのあたりから関係する行政担当者を一緒に夕食を食べてもらって、一緒に先生とも話してもらって本当に行政と住民の情報共有を目指してやっているわけです。
これをやっていたことによって、私たちの活動が一段と深まった。そして結果どうなったかというと、この行政と先生の話しを聞くという体験を通して理解が深まって。例えば、第7回の女性とまちづくりをテーマとした生涯学習講座で伊達市のゴミ収集計画を市の担当者が市民に説明する場を私たちが提供したわけですが、そこの場で、市の担当者が思いがけなく「市民まちづくり研究会、ありがとうございました。8年前から先見の明があったんですね」と本当に信じられない、耳を疑うような発言が飛び出したわけです。
問題解決のために、何んでも話し合える行政と住民との基礎が出来たなあ、という実感をしたわけです。おいおいお話したいと思います。伏島さんお願いします。
●伏島
伏島です。今日は道内のあちこちでお世話になっている方々がいらっしゃるので、さしさわりのある話しをしたいし、また、どこでストップしようかと思いますから、お話しさせていただきますが。私は2つございまして、一つは拓銀総研というシンクタンクの人間として必要なまちづくりのプランナー、ある時はコーディネーターという形でお手伝いをしております。もう一つは、私も北海道大好き人間としてやってきたわけですから、個人で勝手にいろんなところに関わっております。特に最近ですと環境、文化、食糧、農業、この辺ですね。お話し合いに参加したですね。これからどういうふうに行動をとろうか、というようなところがだいぶ増えてきました。
私はそういった意味では、道民、市民、今もの凄くこういった言い方はおかしいのですが、意識が高まっている。となると、本当に嫌な言い方なんですが、自分の意識が高まっていないのに人の評価をするのは嫌なんですが、少なくても現場が道内に結構出来ています。で、仕事の面ではですね、これ多分今日私が呼ばれたのは仕事の面が一番あると思うんですが、まあ、行政の現場におられる方々がたくさんいらっしゃいますので、余計なことを言いますけれど、私一日、中公新書を拝見して、「わあ凄いことをやっているおっさんがいるなあ」とその時思ったんですけれど、先生が当時言われた協働という言葉がありますよね。これが今一つの反省材料になろうかと思うんですよ。働く、協力して働く、協働の字を使う自治体もあれば、これからはこの協働を使うのはおかしいよという自治体もありますし、このような協働という言葉一つとっても、行政の側のかなりバラツキが見えてきているのではないかと思ってます。
それから、計画の策定過程に関わることが多いのですが、何んでここで情報公開もしないでヒソヒソ話をするんだろうと。本当に大したことではないというと失礼なことなんですけれど、なぜ、市民、道民に話しを掛けないでやるんだろうかと、そう思って手伝いをするとストレスが溜まりますので、こんなのもっと皆さんにオープンにしましょうよ、楽しいしょ、というふうにですね、行政の方に言うと、最近は聞いてくれる方が多くなりましたですね。
例えば、私の話でよくあちこちの委員会の委員をさせられるのですが、今日は文化関係の方々もいるんですが、まあいいや言っちゃおう。例えば、道立劇場の委員会で、私、基本構想段階から関わっているんですが、関わっている人間はある程度分かります。だだしですね、関わっていない人が圧倒的に多い中で、道立劇場とは一体何んなのと。今、凍結になっちゃった中で、もうおしまいじゃないかという誤解まで生まれるわけですよね。こういった誤解が生まれる前にどんどんオープンにしましょうよと。少なくても、道立劇場、稽古場をまっていらっしゃる文化関係者については、どんどんお話しましょうよと。
道の方にも随分申し上げました。そうしましたら、最近はやはり覚えてくれましたね。かなり行動してくれる公共の側の人が増えてきたと。しかし、全道的に見た場合には、まださき申し上げた通りバラツキが多いと。このバラツキを何んとか高い方のレベルに持っていくためにはどうしたらいいだろうか? 私としても、日々悩むことが多いのが実態でございます。それと、さっきの話しに戻りますが、環境、文化、食糧、農業、これはですね、共通事項がございまして、ライフスタイルなんですね。自分たちのライフスタイルをどうするんだということは、企業であろうが、自治体であろうと、我々一般のおじさんおばさんであろうと、これみんな同じ課題なんですよね。
そのあたりをみんながもっと共有していけばいいですね。不幸せな対立はとれていくのではないかと。そのへんが多分一つのキーワードになってくるんではないかと。
この北海道の自治体をどうする、経済をどうするというでもありませんけれども、そのへんがですね、これからの多分大きな試練だろうし、そういった中で、NPOというようなことや地方分権社会、地方主権社会と本当は言いたいわけですが、そのへんが一揆に出現してくるのではないかとは思っています。雑ぱくですがそのへんにしまして先生次お願いします。
●田村
私が今回来ましたのは、今日朝から夕方までやったんですけど、札幌市立の高等専門学校、知らない方はどのくらいいますか? じゃ、知ってる方、だいぶ知っているので安心しました。でも、知らない人も少々いるようで、もう歴史もかなり経っているんですね。卒業生を出して、清家清さんという先生が校長さんで、ごく最近までいましたが、清家清さんに一辺話しに来たらと、ある会合の時に言われまして、それで伺ったんですよ。ですから、今日と明日集中講義しまして、デザインという話でしてね。今日の話しとはだいぶ違うんですね。でもデザインは本当は関係あるんですけれど。で、夕方までいまして、さっきここに駆けつけてきたんです。
ここに去年でしたか、一昨年でしたかね、同じ部屋だと思い出しまして、北海道は相変わらず凄いなと思いましたね。そのついでにちょっと何か話してもいいよと言うからおしゃべりでも一杯飲みながらしようかという気持ちでいたのですが、こんな状態になっちゃってね。
前回もそうだったんですがね、ちょっと来ると言ったらこのくらいの人たちが集まって来られてびっくりしてます。こういうのは他に無いんじゃないかなあ。東京では有り得ませんね。横浜でも有り得ませんね。大阪でも無い。どこでも無い。やっぱりこの北海道というか札幌という地域のせいじゃないかなあ。それをどう読むかというのはみなさん方で考えることですけど。でも、凄いことじゃないかなあ。これはやっぱり明らかに変わってきているんじゃないかなあということです。
(指定都市札幌)
私は、指定都市におりますからいろんな指定都市とお付き合いがございました。札幌市ともお付き合いもしていました。その時の感じから言ってこういう雰囲気は札幌市にはあんまりありませんでした。もっと正直に言うと、その当時の企画室長を最後にやったのは桂さんという方なんです。その前は向当さんというお医者さんでしたね。公衆衛生のお医者さん。これ、なかなか豪傑でね、いかにも札幌らしい人でした。桂さん、ちょっとスマート過ぎる。こんな話しをしにきたんじゃないですけれども。だから、その頃の感じからすると偉い違いかなと正直偽らざることなんですね。
我々も言いましたことを、今、今川さんがうまくまとめられて私の言うことが無くなっちゃいまして、全部私の言うことを言ってしまいましたし、私の本も引用していただきまして本当にありがとうございました。私はあまり言うことがないいんですが。
(自己紹介)
自己紹介的にやれということなんですね。私は、人生を、大学を昨年3月に定年で退職しまして、今は名誉教授ということになりますけれども。だから71才なんですね。随分経っちゃったもんだと思うんですが、自分で自分の歳のことを言うとちょっと恥ずかしくなっちゃいますがね。でも、大きく言うと、人生2つありましてね。36才から始めたことと35才までと36才以降の2つなんですね。
大きく分けた場合ですけれどね。じゃ、35才まで何やっていたかと言うと、何をやたらいいかと探し倦ねていた時です。そのため、大学もあちこち行きましたし、仕事もいりいろいろやりましたし、直ぐに辞めちゃったり。しかし、ずーと35年間考えていたことは、何を自分でやることなのか。勿論いろんないい仕事もあるでしょう。ただ、私は職場ではなくて職業、いつも私はこれを分けて言うのですが。職場だけではやはり満足出来ない。それで職業とは思えない。それで職業を探し倦ねて35才の時に決心し、36才の時から始めてちょうど考えてみると半分なんですね。これからどうするかは別として。
(都市づくり、地域づくり)
その探し倦ねて決めたということが都市づくり、地域づくりをしようということなんです。その時私はね、大阪の保険会社の不動産部に居たんですね。不動産部に居た時に私の問題意識を書いたものを時々出して見ますと今でもほとんど変わらない。その時の問題意識、どういうふうに具体的にやるかということをやってきたということなんです。て、言いますのは、その時ちょうど高度成長期が始まりまして、池田内閣から始まりまして所得倍増計画、いろんな計画が各地で行われた。ところがオモチャ箱をひっくり返したように成り始めた最初なんです。戦後の復興から今度は高度成長という。
(バランバランな都市づくり)
しかしね、まったくバラバラなんですね。だから専門といのはおよそ細かく分かれておりますが、私も理科系やったり文化系をやったりして、本当、トータルなことを考えたくてやったんですけれど。およそバランバランにやっている。これは間違いなく。で、私も中央官庁にいくつかおりましたが、間違いなくバランバランにやっている。それぞれが縄張りで、いかに自分たちのところを伸ばすかということをやっている。そこで自分で体験していますから、みんな知ってるんですよ。そのようなビヘービアになることは。びっくりすることはない。それが個人まりとやっている時はまだ無害だったんです。それが有害になってきたんですね。皆んなが大量に力を持って、お金を持っちゃったがために地域開発が行われる。
(トータルに考える−総合性−)
確かに掛け声を掛けられてバランバランだったら問題になります。やっぱり、誰かトータルに考えなくてはいけない。それからなんと言っても非常に重要な点はね、一体誰がやっているのか? 中央官庁がいろいろ企画してやっているんです。じゃ、地方はどういうことか。地方はやられる場に過ぎない。
(当時の地域開発の解釈)
その当時の地域開発という言葉がありまして、その解説をある中央官庁の課長が書いたんですけれど、地域開発というのは、最近地域発という言葉は使いませんけど、地域開発センターというのは今でもありますが、その当時は、流行の言葉だったんですね。ここでいう地域開発とは、地域が地域のために行うものではないとはっきり書いてあるんです。どういうものが地域開発かというと、国家、国家目的のためにある特定の地域にそういう行為を行うということが地域開発であると。地域が地域の中だけでね、地域がよからんと思ってやっていることは地域開発ではないと名言しているんですよ。
今そういうことを言う方は一人もいません。その当時の問題意識は、まさに地域なんて無視されているんですよ。だから国のご都合でその当時は安い物を工業生産活動を早くして、出来るだけコストを掛けないで、公害を出してもかまわんから工業製産を安くして海外に売っちゃうと。そのためやっているんだと。露骨に言えばそういうことですよね。
その前はね。治水とか何んとか安全とか食糧とかという問題をやっていたんですが、高度成長期間の時は、完全に早く安く物を売ると、そのためには少々社会的ロスがあってもかまわん。非常に名言するんですよ。これはちょっといくらなんでもおかしいじゃないかな。
(地域を無視した地域計画)
地域を無視した地域計画は有り得ないはずじゃないか? やはり地域の立場で言う者はいないのかという問題意識が大きくなってくるんですね。でもいないんですよ。だからその当時、北海道に来てこのようなことをやろうとしても誰も集まらないですよね。
せいぜい北海道開発庁の人は来るかもしれませんよ。少なくても自治体職員の人は集まりませんよ。当時は自治体職員でしたけれども、上の言われる通りにやっている。だた場を提供しているというだけなんですよ。何んの主体性も無いんですよ。これでは困るんですよ。やはり地域は主体性を考えないと、ぼくの最初の問題の総合性が確保が出来ないんですよ。
(地域の主体性)
国の環境が縦割りでバラバラならしょうがないですから、一府12省に再編成しようとね、何しようとね、そんなの関係ないんですから。やはり地域が主体性を持ってきちんと考えないといけないんだろう。
(地域との関わり)
ところが主体性が無いんじゃしょうがない。この主体性をどうやって回復するかということが非常に大きな問題。ところが3番目の問題が、今、皆さん方が言われたもっと大きな問題は、じゃ、戦後民主主義になったんだけど、地域とどのように関わってきたんだろうか? 自治体だって関わってこなかった。まして市民なんて入る余地はない。国から言われたことを自治体が主体性無しに下請けでやっていればいい。こういう形が大半で地域開発が行われかけていましたし、行われてもいました。やはり、市民のところを代弁するというのは自治体なんですよね。
しかし、当時の方は、自治体を自治体という言葉を使う方はまずいません。せいぜい地方公共団体。まあ、法律的に言えばそうですよね。地方自治体という人は余程の人ですね。まあ、本にそれをどう書いてあるかでその本を判定出来るよ。中に地方団体というのはいろいろな団体がありますが、自治体のことですね。地方団体が一番悪くて、その次が地方公共団体。自治体と書いてある本はほとんど無いという時代なんです。自治体と思ってないんですよ。ただ地方にある公共団体という考え方だからね。だから、市民の側に立つわけがない。
(自治体とは)
自治体とは文字通り市民の自治体、英語で言えばローカルガバメントというのは市民の政府なんですよ。主権である市民が登場しないんですこの中に。これはやっぱりどう考えてもおかしいのではないかな。初めに総合性という問題を考え、そして地域の主体性を考え、そしてその基になるのは何かと言えば、市民なんですよ。自治体の人たちが仮に主体性を言うとすれば我々が中央官庁よりも知識や知恵があるから言えるんですよね、自分たちの地域を代表して、地域の市民を代表して言えるから。
だからそれで初めて力が発揮出来るんですね。知恵や力で少々書いた情報を持っているかどうかはそりゃ中央官庁の方が多く持っていますよ。専門毎に持っているかもしれません。そうじゃなくて、地域の人が主体性を持って言えるのは、市民をベースにしているということが非常に重要ですね。中央官庁も市民をベースにしていないんだから。国民の代表者である、国会を代表している、それはよくわからないけど。
(総合的に考える)
もう一つ重要な問題は、時期の問題。総合的に考えなければならないこと。これは中央官庁は全く出来ないんですよ。私もいろんな中央官庁を回り歩いた人間ですから、やらなくても分かることなんですけど、縄張りをね、守れるということがキャリアたる人間に要求されたことなんですね。頭で分かっていても、そんなこと言っちゃいけないんですよ。
最近はね、そうでもなくなってきて、少しは柔らかくなってきてきましたよ。もうちょっとくらい分かるようにはなってきたんですが、昔は分かってもそんなこと口にしちゃいけないいんですよ。分かってんですよ。総合的に考えなきゃいけないということは分かっているんだけど、そんなことを言ったらね、キャリアーは使いものにならないんですよ。
私が会社の圏域を残すということが自分たちの仕事なんですよ。はっきりそう言われるらしいですよ。「おまえら抽象的な国民のことのためのことをやったって駄目なんだ。おれたちの省のために役に立つ幹部としておまえを採用するんだよ。これでどうだ」と露骨に言われましたよ。勿論一般の人にはそういうことは言いませんけれどもね。これちょっとおかしいんじゃないかと思うんですが、事実なんですよ。
(総合性、主体性、市民は三位一体)
市民なんて出てくるわけないですよね。総合性も主体性も市民も、これ三位一体なんですよね。じゃ、地域づくり、まちづくりをやろうと、ただどういう立場に立つか。ただかっこいいデザインとかね、面白いまちづくりとかね、関心は勿論ないわけではないのですが。でも何んのためにどういう立場でやるのかということが重要でね。今の3つの立場、総合的なであり、地域が主体性を持って、そして市民がその中心になってやる、そういうもの。
(プランナー)
地域づくり、まちづくりをしようと、それをやるのをプランナーと称したんですが、プランナーでもいろいろありますね。官庁都市計画をやってね、法律通りに行う、それもプランナーと言えばプランナーですがね。私が今新しいちょっとカタカナを使ってプランナーとあえて言ったりしたのは、そういう新しいプランナーが必要でないかなあ。自治体の中に居るべきなんですよ。だけど当時の自治体にはそんな人たちはほとんどいません。30、35年前の話しですが全然いません。
皆さん方の責任じゃないんですよ。居ないから安心して下さい。その時代の話しですから。だからそうするとね、我々が何かそういう、民間で今ではシンクタンクというようなかっこいい話しが出てきますが、せいぜいやったのは大学の研究室。研究室はね大学の研究でね、せいぜい修士論文を書くだけですからね。本当にそれをプロとしてやる、そういうことを始めたんです。
ですから私の人生は、そこで一転しまして、それからまちづくりや、コンサルをやったり自治体に入ったり、大学の先生をやったり、いろいろやってますけど。だから半分半分。今半分回ってこれからどうするか。やっぱりこれから変えようがない。いかに多くの地域の方々にやっていただくか、私が35年前やった時代には、本当に自治体の中にないんですよ。居ないんですよ。大学に少々居た時はね、大学の方はね、主務官庁の下請けをやって構想的なことを言ってりゃそれで済んでいたんですが、本当に居なかったんです。それがね、こういうことをやったらこれだけの人たちが集まって来るんですから。関心を持ってやっておられるという方々が現におられるということですから。35年なんてたいした年じゃないんですよ。大変な変化だと思います。それからちょうど今年で私は、民間から横浜市の職員になった時から30年目になるんですね。
ちょうど30年になっちゃったんですね。勿論そのためにやりましたことは、大きなプロジェクトを動かすとか土地利用の開発のコントロール、これは本当に大変なんですが、ものすごく大変なんですが。その当時は大変なんですよ。ふざけることを言うなという時代に私やったんですよ。それはなぜ言えるかと言うと主体的に総合的にものを言える立場だから言えるのであって、かっこいいからかっこいいように言ったつもりではないんですよ。
(アーバンデザイン)
私の言うアーバンデザインは絶対王政みたいな時のアーバンデザインではなくて、市民の立場から考える、まちを美しくする、自分たちのより住みいい形にするという意味を持っているわけですから、それから考えると凄く大きな変化ですね。美しい言葉にだめだと言われたのが、今は美しいということが結構なことなんです。
(環境という言葉)
それから環境という話しが今出ましたけれども、わたしどもが35年程前に始めたころの事務所の名前が環境開発センターといいますが、今はありません。その当時は、環境という言葉は全く通用しません。これは私の命名ではなくて、私の始めた先輩が初めて付けたんですね。彼は東大の建築学科出身の丹下健三のプロジュースなんかやっていた人なんですが、ただいいかっこうのいい建物をつくるのではなくて、もっといい本当の都市をつくらなけれいけない。それには環境的発想が必要である。ただ建築をつくる道路をつくるね、そういうもんじゃないんだと。それは全て環境というものをつくって、環境というものを考える以上、その前には自然というものがあるわけですね。自然の土地や自然の坂や自然の地形、そういうものがあって、それに人間が手を加えて段々人間の住み良いものにしている。私流に言えば、自然と人間があって、それが一緒にあるのが都市だと私は思います。
しかしながら、それら全部を合わしたものとして人間の環境を形成している。特に環境という言葉は、アメリカあたりで当時出した言葉なんですが、これは元々生物の生成に関わる全ての要因のトータルなものに関したものが環境なんですよ。
私は実は35年前はあまりよく分からなかった。都市づくり、地域づくりをやろうと思っていたんですが、環境というのは言葉は知っているけど通用しない。人に言ったって環境なんて皆んな字が書けない。環境庁は勿論ありません。環境基本法なんてものもありませんからね。だからよく分かんなかったんですよ。でも、段々考えているうちに成る程、ぼくらの都市や建築学会もただ物を造るんじゃなくて、人間の環境をつくる。ただ物を加えるんじゃなくて、環境というものは脆弱なものだから、絡み合っているものなんですね。だから何か一つやることにより、何処かで波及効果がいろいろ出る。波及効果はいい方もありますが、マイナス効果もある。今環境アセスメントという何か形骸化された制度がありますけれど、まさに環境全体に対してどういう意味合いを持つのか、丹下健三が一個の何かかっこいいものをつくったとか、磯崎新が何処かで新しいものを造ったとかね、こういう話しをしてもしょうがない。
それで一体、世の中全体がその環境がどうなってんだということから考えて、やっぱり自然的にこういうものがあるというように考えるべきであるという思想なんで、非常に共鳴しまして環境という言葉を使うようになりました。その後10年経ったら、世の中、環境環境というようになって、今では環境という字が無い文書が無くなってしまいましたね。 ですから、私ら環境という言葉を最初に使ってきた人間です。ですから、環境というのは水とか、
CO2だとか、大気とか、緑だとか、非常に限定して言いますが、自然環境審議会の委員を長くやっていましたから、環境庁的環境なんですけれどもね。私にとっての環境とは、環境庁的な環境だけじゃないんです。勿論水とか緑とかも問題ですけれど、それは全体に絡まっている環境として意味があるんでしてね、水だけ取り出す、空気だけ取り出す、何かそんなことをしているが、それだけで言うもんじゃないですよ。水と空気だけが環境かというとそういうものじゃないですよね。
建物だって、道路だって、橋だって、川だって、みんな環境なんです。そのくらいの中で、大気もよくなければならないと思われなければならない。それぞれがトータルにそして複雑に絡み合っているんですよ。
私もこの頃話しをするんですが、昨年、ブータンというところに行きましてね。ブータンで1年生の時から身の周りの環境というものを、外に連れ出して雲の動きがどうであるとか、そこに咲いている草が何んであるが草の名前は何んであるとか、これはいい薬物になるとかならないとか、そういう身近な環境をですね、1年生でそれだけ知っていればいいんですよ。英語が出来て、国際的な話しが出来て、身の周りがどういうことになっているのかということを知る。私がね、環境という言葉を使わせてもらったのは随分昔のことなんですがね。
やはり、これから環境的な考えも注目されて、私の転機の35年前決心をしまして、半分経っちゃったと、後どのくらい生きているか分かりませんが、半分の半分くらいかもしれませんが、私の考えてきたような地域づくりをやる以外に無いなあと、それがこれだけ大勢の方々に関心を持たれるようになったということは、非常に心強いと思うし、皆さん自信を持って進めていいです。35年前は全然いなかったですから、30年前はちょっといた、20年前はかなりいるようになってきた。今はね、これだけ、もっといるでしょう勿論、ここに来られた以外にも、そのくらいになっている。考え方が広がったということは事実です。
しかし、本当にやるのはね、これからだと思うんですね。ということで皆様にもお願いしたいなあと思います。
●中村
あの、非常にね、本当に先駆的な動きをされていたと思うのですが、今川さんの最初の言葉にもありましたように、双方向としての市民参加はなくてはならない。35年前から形成されて地域づくりに携わって来た。今やっとそういう先生のお考えがの時代の要請がですね、ポスト近代社会、ポスト産業社会、ポスト国民国家、しかもグローバル化社会ということで、グローバル化トックスという話しがよくあるのですが、地球全体の問題になったからこそ小回りきいて、消費者の要件が全て開発していかなければいけない現在では、グローバル化すれば中小企業がどんどん増えていく。
それと同時に、中央政府と自治体の関係も同じだと、どんどんグローバル化になっているんだけれども、いろんなニーズが出てきた。それに応えられるのが地方自治体だ。様々な時代的要請で先生の35年前に取り組まれたトータル化、主体性、市民参加ということが日程に登ってきた。今まさに、それを全国民的に取り組まなければならないということで地方分権推進委員会の第4次勧告が出て、機関委任事務が廃止されて、自治事務が6割という状態なのですが、中央政府の地方政府への関与の縮小、廃止ということをメインにしたこの勧告を受けて、先生の知っている限りで分権時代のまちづくりの変化というか、これはというような変化、身にしみて感じるようなことはございますか?
北海道の多くの事例もご覧になっていると思いますが、身に染みて感じているようなことがございますでしょうか?
●伏島
明るい話しと暗い話しの両方から言わなければならないと思うのですよね。
暗い話しの方から申しますと、どちらかと言いますと、地方分権、地域主権、そんな法案が通ったら困るわ、NPO法案が通ったら困ると考える人が地方自治体の中には確実にいると思います。今日いらっしゃっている方々は全然そうでもないですがね。ひょっとして、さらに中間の考えの人もいると思うんですがね。適当にやっていこうやというようなみたいな。
例えば、先生の挙げた事例のようなもので言うなら何んぼでも挙げることが出来るのですが。自宅に帰って来ると、自分の家の前の歩道を工事しているんですよね。それはですね。ただの歩道の整備じゃなくて何やらタイルをはめ込むんですよね。そして何か綺麗な舗装が出来まして、これを桂通りと言う。桂が植わっているんですね。これが区の何んとか道に指定されて桂通りになった。何んか数十万かかったものがあるわけでね、そしてタイルがはめ込みなんですね。
言ってみれば私からみれば無駄ですよね。何んとなくまちをデザインする。その課長さんは、まあそれくらい、区単位でやったらどうかと進めていると思うんですが、このようなことが、札幌市の中でもごく普通にあるわけですね。調べてみるとちゃんと予算化されているわけですよ。予算化されているということは議会を通っているわけですね。ところがそういった議会のチェックがほとんど無い状態なんですね。さらにですね、私たちそんなものいらないのですね。桂が植わっていればいいんですよ。別に桂通りなんて看板はいらないわけですけれど、無駄なところにコストをかけるなと言いたいけれども、全て事後になってしまうんですよね。この辺がですね、まだまだ北海道の自治、そしてわれわれ市民、道民参加となるとですね。そういった問題はたくさんあると思います。
で、こんな暗い話しではなく、明るい話しをしたいと思いますが、今日も旭川方面に行って来たんですが、最近変わってきたなあと思ってきたことはですね、役所の中の垣根が少しずつやはり壊れているところもあるんです。勿論、そうでないところもあるんですが。その話しをしちゃったらまた暗くなってしまうので止めますが、上川管内のある町で仕事にお手伝いをしている中でまちづくり、特に市街地の問題もちゃんとやって行こうということで、これはもう市民、住民に大きく関わることなので、完全にオープンでやりましょうということで役場にお願いしたんです。夜6時から誰がきてもO.K.。但し、それだけではまずいんで、役場でちゃんと出している。月一回出している広報ありますよね。広報できちんとお知らせして、フルオープンでやろうと。それまでにいろんな人がお目見えになっているんです。 勿論、段々固定化されていくわけですが、熱心な方が、固定化されていくわけですが、ふと気が付くと役場はその担当課だけなんですね。実にこれはしょっちゅうあるわけでありまして、市民参加あるいは市民の果たすべき役割のまちづくりうんぬんといった場合、やはり、その辺の細かなチェックをしていてですね、やっていかないと駄目な場合が一杯ありますから、私たちがお手伝いする時、これは絶対横断的にやらなければまずいという案件がしょっちゅうあるんですよね。その時はですね、町長さんにお願いしてまず助役さんに座長になっていただいて、大プロジェクトチームをつくらないと話しが進みませんとよく言うのですが、それを嫌がる首長さんもいるんですけれどね。
最近はそれが、まあ、やむをえないということで一応形だけのプロジェクトまではいくんですね。ただ議論が厄介なことになると、それは主幹課の仕事だからおれはあんまりしゃべんないでおこうというような、みんなお互い様の意識があるんですよ。ここで本当は、ここがおかしいからここまで言いたい。それを言っちゃうと相手が困る。それが今度自分の問題だったら私も困るということで、みんな首のこの辺までですね、言いたいし手伝いたいのですが、相互に遠慮しちゃってしまうと。それをまた、市民、道民がチェックする場面というのはあまり無いわけですね。
ただ、この辺は暗い話しばっかりになっちゃうんですけれども、先生が横断的に、今の、勿論うんと時代が変わっていてですね、さっきのように環境という言葉やらそんなことをごく普通の日本語になってきましたが、まちづくりの現場における文化だとかですね、まちづくりそのものの文化、そのあたりの時代の変容とかですね、まちづくりをつくる過程そのものも文化だと思うんですよね。それは先生ご覧になってきてどうでしょう。私などは進んだところもあるし、変わんないところもあるなと、日々悩みながらやっているわけですが、その辺はどんなふうに感じていますか?
●中村
それからちょっとお尋ねしたいのですが、地域によってまちづくりの文化の違いはあるんでしょうかね。その辺を一緒に合わせてお伺いしたいなあと思うのですが。
●田村
まず、分権推進委員会の答申の問題が出ました。答申が出たからどうだこうだという話しもありますがね。私は細かいあの膨大なものをどれだけ詳しく読まれた方がどのくらいいるか分かりませんが、それよりも、分権推進委員会があそこまでやったのか、やれたのかということを言いたいですね。地方分権でも何度も言われているんですよ。条制度調査会というのがありましてね。これは国の立派なシンクタンクですよ。なかなか立派なことも書いてある。
何十時間も答申がなされているんですね。だけど何んにもしないんですよ。国が自らやって、やらないのね。そういうことを繰り返してきました。13日答申とか有名な答申がいくつかあるんですが、今見てもかなり立派な、なかなかいいことを言っているじゃないかと。ぼくが言いたいようなことを言っているじゃないかと。ずーと昔の話しですよ。ということが、国のものは求めるのももううんざりしていた感じがしないでもないんですよ。それがもう一歩進んだ分権推進委員会となったということは何んなのか?
それは実態がそれだけ進んだということなんですよ。皆さん方がこいやったらこれだけ集まるとね、いろいろな地域の中で地域の方々の方がいい、自治体がやった方がいい、全てその方が合うんじゃないか。まあ、私もその事例をいくつかやったかもれませんけれど、私だけじゃなくて、その後たくさんの方々がいろんな事例をつくって、そしてこれはやはりかなわんなと、やはり実績がものを言うんですよね。理屈だけ言ってね、理屈で理論闘争したって、どっちが勝ったと言ったって、どちらも勝ったと思っていればそれでおしまいなんですよ。
事実は、勝ってないんですよ。だからこのような地方分権推進委員会が出ましたということは実態がやはり進んだというように思った方がいいですよ。
もう一つ、国の側からするとね、ちょっと金が無くなってきた。この辺でうまいこと地方に押しつけちゃって、その波に乗ってやろうかなという裏側の魂胆がないわけでもないんですよ。しかし、それはね、裏側の魂胆であろうとなかろうととにかくまず進めちゃう。で、進めざるをえないということにね。
昔だったら金があろうと無かろうと、とにかくしがみついて、少なくとも金がないのが縁の切れ目でもないけれども、まあ少しはそういう気持ちにね、国の方の連中もなってきたということは、ぼくらがやってきた時と比べると、まあ、一つの進歩か退歩かしりませんが変化なんですよ。だから自治体側からのいろんな実績を積み重ねてきたという変化。そして中央官庁の変化。そして市民活動でねNPO、NGO、様々な形でやられている方々が昔から比べてはるかに出てきたという、そういう大きな変化がやはり地方分権推進委員会という形で今までのマンネリ的な条制度調査会という形でない、それから一歩踏み出したということをやったと思ってるんですよね。その結果どうなるかではなくて、やったから出たんですよ。
今度出たからどうかと言ったら、あれはね。まあ、法律的な問題でね。細かく見るとごちゃごちゃ書いてあるので、まともに読むと大変なことになるんで自分の関係するところしか見てないかもしれないが、まあ、とにかく500いくつかあるやつを全部いちいちやった。あんな真面目にやった分権推進委員会は無いんじゃないですかね。ほとんど1週間何か詰まっているんですよ。目一杯やっているんですよ。 だから西尾さんなんか、私の自治体学会をやった人なんです。元々多少老衰しちゃってたのですがもっと老衰しちゃったというね。地方分権推進委員会にかなり精力吸い取られちゃって、彼なんか本当に一生懸命やったものですからね。出来たから何んかではなくて、まずそういうものをつくった背景が何んなのか、それで一応いろいろなものが出来た。
出たものでは、私は一番大きな成果は機関委任事務という言葉を廃止したということですよね。言葉を。じゃ、中身はどうかというとね、中身を変えるのはね、何か変わったように見えるけれどもね、やはり実際の自治体の行動の仕方なんですよ。あるいは市民の行動の仕方なんですよ。でも外形を変えるということはなかなか大変なんですよ。外側を変えるということは大変なんですよ。ある時までいかないと外側だけがんばってたということになるんですよ。外側は少なくても変わった。
じゃ、外側が変わったからと言って当然ながら中身が変わるかというと、私が中央官庁の役人だったら、外側変わったら昔の機関委任事務に似たようなことを画策しますよ。画策してますよそれは。しかしね、少なくとも外側、鎧が少なくても落ちちゃったんですからね、それはかなり動きますよ。そこにやっぱりつけ込む。つけ込むというのはおかしいんだけどね、実際にやるということがもっともっと出てくれば、さらに次のものを送り出すような時代になりますよね。今度の勧告の問題は財政的な問題がきちんと議論されていないとか、財政が与えられていないとか、いろんなことが言われているわけですよ。
勿論、財政の問題は極めて大きい。地方の首長さんのところに行きますと、財政がついてきてないからどうだとかこうだとか必ず言いますよ。まあ、それはそれとしてね、そんなことばかり言ってもしょうがないしですね。とにかく一枚のかなり厚い鎧だったんですよ。実際変化したから鎧が落ちたんですよ。鎧が落ちたから実態の変化を更にさせるのはこれから先の皆さん方の力なんですよね。今までの中身がちょっと変わってきたんですよ。だから機関委任事務なんて今更言っちゃいられないんですよ。
じゃ、まだ何んにも来ていないから、でも来ていないわけでもないんですが、主務官庁はやるきになれば何んでも出来るんですよ。だから、そんなことをさせないうちに、やるかやらないかは皆さん方なんですよ。これは勿論各自治体は、首長、議員、職員もありますが、もっと言うと国民、市民がそういうことを望ましいと思うかどうかですよ。
地方分権、私は地方主権と言っているのですが、韓国の人たちと議論したことがありましてね。韓国は勿論中央集権の国なんですがね。でも、少しずつ自治を増やそうとしているわけですがね。その中の学者がいた時に議論になって、学者が本当に地方分権にしてもいいのですかね。これは正直、あんまり変な関係を持っていない人ですよ。やっぱりそういう危うがね、そういう人たちにはあるんですよ。学者でもですよ。だから、今自治体は信用出来るの、はっきり言えばそういうことですよ。信用出来ないことをやるんだったら、どっちが信用出来ないか、信用出来ない度合いの差ですね。出来ないにしてもあいつらの方がまだ何んかやるんじゃないのかな。そのくらい自治体がね、韓国の自治体は勿論そうなんでしょう。
今の段階では、日本の自治体がね、文句なくね、自治体がやった方が市民から見たって市民の利益になるんだという感じに皆さんがなればね、遥かに進む。しかし、今の段階では、いやそんなっこと言ったって、まあね、特に北海道の場合は大御上ですからね。開拓時代からの大御上ですからね。御上がやることは間違いがないのかなあと思っているのがね、相当数おられると思うし、そういう気分があるうちは、どういうふうに制度が変わろうと変わらない。 しかし、中身が変わりつつあることは間違いない、それがやっぱりもう一つ変わることが、さらにその中身を皆んなが変えていくことが、これからどうされるかなんですよ。それじゃそういう実態があるかというと、私は北海道自治体学会、この前来ましたが本当にびっくりしました。森さんもおられますけれども、土曜講座もありますし、本当にびっくりするくらい集まると言うし、札幌でやるから北大でやるから初め集まっていると言っていたが、そうでもないと。これはもの凄い変化だと思う。私はその実態が本当に動きつつあるのだと思います。
北海道はそういう意味ではトップを切っているかもしれませんよ。でも、いろんな実態はね、やっぱり他のいろんなところでやっている。私は、自治体学会の創設の時から関わっていた経験から言って、まあ、それを辞めてからというわけじゃないのですけど。ある人が小さなまちづくり学会をつくりたいと。それには私、今会長になっているんですが、これは自治体学会より遥かに小さな学会なんですよね。潰れちゃうかもしれないんですよ、お金も無いからね。私は何もそれと張り合うこともないので、それはそれでやればいいのですが、私は月に一回東京でまちづくり塾というものをやっているんですがね。 でも、この学会は図々しいことに、全然お金もやらないのに一番事業で、3年前くらいに出来たんですが、何やったかというと、まず自治体を表彰しちゃたんですよ。紙一枚ですよ。経費がかかっていないんですよ。最初の第1回に何処に差し上げたかというとね、真鶴町に上げたんですね。真鶴町ってご存じある方もいるかもしれませんが、神奈川県にある小さな町です。人口1万人の。ここはマンションが、東京から近いもんですから建てちゃったんです。そこの水源が全くないいんですね。これは隣の町から貰って来なければならない。それから、真鶴町は自然の景色が非常にいいところなんです。そこに変なものが建つことによって、まったく景色が変わっちゃう。これは自分たちで何んとかがんばろうということでまちづくり条例をつくりまして、さらに美の基準なんてね、美しさというのを法律に入れちゃってね、それでやっちゃったんですよ。
神奈川県は、まちづくり条例なんて法律に馴染まないなどと文句言ったらしんだけど、でもつくっちゃったんですね。つくっちゃてからどうしたかというと、今まではね、いろんな人が関わっていて、孫受けの孫受けとかね、誰が書いたか分からない。だからあまり真面目にやっていないんですよ。
しかし、今度の場合は、自分たちでつくっていろんな議論のあげく苦労しながら県にも反対されながらつくっちゃった。だから今としてはね、課長だか、係長だか、住民が相談に来たら生き生きやってんですよ。まさに、自分たちで市民主体、市民政府がつくった条例なんだから国があんな法律はどうだとかこうだとか、県がどうだとかこうだとかと言ったって、自分たちでつくった、自分たちで苦労してつくった。だからこれはこんなんですよ、ここはこうなんですよというように説明が出来て、皆んな生き生きしている。地方主権であるということはね、その町のことも当然良くするんですね。画一的にやるんでなくて、真鶴に相応しいことをやったんですから。 真鶴は全国画一でやられたらかなわん、真鶴の問題を解くということで同時に人を生き生きさせたんですから、一番は職員を生き生きさせたんですよ。
決まっていることを言っているなら、そのうちそんなの皆んな行政をロボットにして、ロボットにした方がよっぽどいいと思うんですけど。通達や法令だけを言うんでしたら差し込めばちゃんと答えが出てくるみたいな装置で充分出来るんだから。だが人間がやっているんだから、自分たちの町を人間がやっているんだから人間を仕事で生き生きさせないということは最大の悪である。このような条例を自らつくるということは職員を生き生きさせる。それがまた町を良くする、市民も生き生きすることなんですよ。全体が総合的作用をやっているこういうような実態が既に出てると思う。
もう一つその時やったのが、長浜で黒壁ということで、第3セクターで有名になった長浜という町は秀吉で有名になって、これはかつてセゾンというグループ、大型スーパーですね、出店したんです。それで町の方に人がついたんですね。
今までマンネリで何んとなくやっていた。出店することにより、そこにいた人たちが自分たちで何かをやらなければならないという動きが出てきた。その中の一つに出てきたのが黒壁というものなんですね。黒壁というのは自分たちの象徴的な銀行だったんです。地元の銀行、それを銀行を止めてキリスト教会に変わって、さらにその教会も何処かに売り払ってしまう、もう無くなっちゃう。それを何んとかしよう。市がお金を出してやろうということになった。市だけじゃそれを支えきれない。市が第3セクターをつくって、これらは市が主体じゃないんですね。市が3割くらいかな。4割くらいかな。残りを民間の人たちに出してもらおうということをやって、いろいろ相談していううちに、出そうということになって、黒壁という会社をつくったんですね。
この黒壁という会社は市が仕掛けているんだが、市は主導権を全く持たない。役員会に出てもその人は入らない。主体は後から参加した民間の人たち。この人たちが黒壁というのを保全しながらガラスを中心にということで北海道も随分勉強したんですよ。小樽なんかを勉強したんです。小樽から刺激を受けて、しかし、俺たちは小樽を真似してんじゃない、小樽なんて、あんなものと違うんだと息巻いていますけど。まあ、それはともかくとしましてね。北海道から刺激を受けたことは事実でしてね。それで、黒壁の非常にくすんだ壁とガラスを売り出した。古い家がいくつかあって、家を買い取るなり、契約を結ぶなりして、黒壁は今は、15、6軒くらいあるかな。今出来ちゃったんです。
これはね、むしろ、市が仕掛けたんですが、主体は市民そのものなんですよ。役人の発想じゃないからね。全然考え方が新しい。店がありましてね、店にいる人は全て女性です。地元の女性ですね。この女性が私、初め行った時、びっくりしたんですが、実に生き生きしているんですよ。つまり、そういう新しい条件、全く古いものを活用しながら、そこにいる地元の人たちを生き生きさせちゃったんですね。少し労働基準法違反になっているかどうかは知らないけれど、彼女らがもの凄く生き生きやっているのを、ぼくはね、後で知ったんだけど。最初に知らないで行って、地元の女性の店長さんの説明を聞いたら、今でも非常に迫力がありますが、店の代表者よりあっちの女性の方がいいんだけれども、やっぱり人間はまちづくりによって生き生きさせているんですよ。
それから、次から次といい波及効果を生んでいるんですよね。ただ、自治体は、行政が変わるということはなくて、行政がちょっと水を抜いたら、そこからパーッといろんな人たちを入れたら、その人たちが更に膨らませる能力を持っていたら。これはそこの中心となった人たちは、交流の専門家という人は全然いないんですね。むしろ、民間ではあるがこの問題については素人の立場なんですよ。
だから、発想が新しいんですね。従来からやっている人は、民間は民間で、私も民間にも長くいたから分かるんですが、民間だって官僚以上に官僚的なところもありますからね。酷いところもあるんだから、だからどうしても頭の中が固まってきちゃうんですよ。それを全く新しい発想で自由な発想でやった。やらせる条件だけをちょっと口火を開いて、それからどんどんどんどん開いて、今、黒壁というのはそういう点では非常に成功した。第3セクターというのあまり好きじゃないんですが、こういうふうに明るい方で言えば、いろんな意味で自治体が自らやった真鶴町とか長浜市とか。こういうものが随所に出て来ている時代だから、自治体の方は変わりつつあるというふうに言える。
●伏島
今先生のおっしゃった、自分たちで築いていくことが難しい時に、光あてて表彰したり、競争意識を出させるということは、結構意義がありますね。私の生まれた故郷は群馬県なんですが、あそこも毎日新聞だったと思うんですが、賞を貰ったと思うんですが、あそこは今の話しと違って官主導なんですよね。官主導なんですが、私は現場の人間ですからそれぞれで意味があると思うんです。長浜の場合は民の入ったということでいやな言い方ですが意味があると思うんですが、本当の過疎のところで、疲弊したとこでは役場が役所がもう株式会社的に戦略的に動かざるをえない部分というのはかなりありますよね。北海道をかなり走り仕事をやっているのですが、私の故郷群馬県の新治村というところはですね、基本的にはこういう性格なんですよ。基本的に村全体が農業公園。その中で一つ一つ丁寧に造っていく。 その代わり、働きたい人は誰でもO.K.。村社会を自ら壊すくらいの、但し、コンセプトを持っているんです。それに賛同するんだったら、前橋市でも東京からでも仕事においでと。それからもう一つ、昨年行って感動したのが、そんなに感動しちゃいけないんですが、きめ細かいなあと思ったのはですね。農家のかあさんたちが小銭を稼ぐシステムがちゃんとあるんですよ。今もう簡単ですよね。バーコードさえあれば、これは山口さんちの馬鈴薯だと簡単に入れちゃうんですよね。そういうことでパッパッとあまりコストを掛けないで、かあさんたちの社会参加を担保しているんですよね。それに掛かる行政のコストは少し掛かってもいいんだと。
3セクに出向している行政マンが言っていたんですが、それはちゃんと議会に対しても説明出来ると思うんですよ。必要なコストだということで。それは、ぼくはもっと新治村をもう少し勉強したいと思うんですがね。北海道もそういった町村がだんだん見えてきたことも事実です。今のままでは農業やっていけない、今のままでは漁業をやっていけないというところが、相当出来てきましてですね。そういった中で、実態も変わるし、名前も変わるんですね。 例えば、私は羅臼にこのところ最近出て行くんですが、あそこは魚の城下町脱というように役場も決めちゃいましてね。企画がないんですよ皆んな。魚の城下町推進指針死すという中で企画があったりしましてね。名前も実態もどんどん変えていこうというふうな役場が相当増えてきましてね。役場の若い課長が元気ですと民間のかあさんたちも元気になるんですんね。それはおそらく信頼関係じゃないんですかね。信頼関係が出来ると役場の職員と住民の皆さんが相互に元気を出すんでしょうかね。トライするみたいな。そんな関係が長浜にもあったんじゃないかと思うんですがね。伊達なんかどうなんですか? 伊達は端から見たらいい町でないかと思う時もあるんですが、まずいことばかりじゃないですよね。
●中村
あの、噂によると、北海道で一番排他的町という時もあったんです。というのは明治2年には藩主と家来が心血を注いで開拓した町でありますから、その子孫がゲンユウ会という会をつくって、市長選なんかにもその会が決める。そういうような、本州の町にもそういう伝統は消えたのではないかと思うのですが、そういうのも根強く残っている町なんですが、ただ、ゴミ問題、いろいろありました。その前に伊達環境権訴訟、私はそれに関わっていなかったので良く分かりませんが、いろいろあっていろんな人々の交流があって、そういう風土も徐々に変わってきつつあると思いますね。
特にうれしいのはゴミ問題で理想的な形のゴミ分別収集システムがあって、そして廃棄物減量等審議会が設置させることになって、設置するにあたって公募公開でお願いしますという要請をしたんですね。審議会の委員に。しかし、その時は時期早昇という回答が返ってきたんですが、平成8年は、時期早昇だったんですが、平成9年になりまして環境権訴訟をやった人たちが、環境基本条例をつくろうということを強く言ってたんですね。平成9年になって、じゃ環境基本条例をつくろうということになって、そして、私たちが廃棄物減量等審議会を公募公開で要請した時は、1年前は時期早昇だったんですが、平成9年になりまして環境基本条例策定に当たって、じゃ全面的市民公募公開でやろうということになりまして。今私もそれに参画しましてね。将来は横断的な検討プロジェクトをつくる。そして、市民が全員公募で公開でつくっているところです。条例の策定委員の中にも市民が入って、行政の人と一緒に条文をつくると。こういう動きが過去にあります。
もう一方、代表的な話しで言えば、他の町ではカルチャーセンターという文化施設が無かった。市民のかつての願いだったんです。そういう文化的活動の場がほしいと、やっと出来た。その活動のカルチャーセンターをどうやって運営するのか。今まで市民が要請してきたから、じゃ、市民で運営しようということでメセナ協会というものが出来た。メセナ協会で、そこの中で行う美術関係、音楽関係の催しものを全部決めまして、本当に市民の手弁当で運営していて、稼働率は他に負けない率、隣の室蘭にも負けない人を呼んでくるという、そういう市民が主体となった。もう一方、伊達の市役所前通りというのは非常に歩き難く、歩き難いということは弱者のために非常に悪い道ということですね。
一昨年、商店街近代化整備事業でそこを直すことに。それを直すに当たって各商店街の人々の意向を全面的に入れるという動きにしまして。市役所前通りについては、市長の非常な願いも込めましてね。白壁と瓦で統一しようということになりまして、商店街の人々がそれをまとめるために、商店街の何人かが委員になりましてね。欠席した人が、その話し合ったことからつんぼさじきにならないように、中心になる人が毎回話し合われた内容を全部チラシをつくって回して、それでまあ素晴らしい商店街が出来たんです。それが都市景観大賞をいただいたんです。先生の話しじゃありませんけれども、景観大賞を貰いましたり、リサイクルの方でも、リサイクル推進タウンという賞を貰って、そういうようなきっかけで、あるいは市の方のいろんなちょっとした仕掛けで市民がそれに乗ってきて、自由にやろうという生き生きした動きというのが私が町にも出てきているわけですよね。そういう点で、北海道は先程先生も言っておりましたが、官の王国、先程田村先生もおっしゃって、そいいう官の王国の北海道でもこれだけ多くの事例が出てきて自分たちの町は自分たちでつくっていこうという意欲が算定されるような。 北海道自治体学会のメンバーの中では、一回り遅れのトップランナーになろうという、そういう掛け声もあるんですが、まさに、そいいう状態になれるんではないかなあと最近は思いつつあるんですね。で、いろいろ遅れてきたからが故にやっかみの部分がかえって幸いして、例えば、環境問題とか老人問題、景観の問題とか、あまりにも開発され過ぎない手つかずのままのものを、将来に向けて美しい北海道、環境先進自治体、北海道、景観先進自治体北海道、農業王国北海道、こういった形にもっていけるんじゃないかなと思って、私はそんな予感をしています。
●田村
伊達はどのくらいの人口ですか?
●中村
3万5千人です。伊達市内では、今環境基本条例の策定に当たっては、景観、環境、それから第1次産業とのリンクということを基本条例の中に絶対盛り込もうということで動いています。勿論、市民の意見の反映ということは絶対必要ですよね。
●田村
さっき皆さん方に聞かれていたんですが、まちづくりの過程の文化という問題と地域の違いがあるかということをね、答えたような答えなかったような、じかに答えなかったんですが。過程というのはね、いろいろあっていいと思うんですよ。私なんかでも、私がやったことは、田村がやったことは何回言っても行政主導でやったと言われるんですよね。それはあなたの言う行政とはどういう意味の行政なの。
行政主導か民事主導かなんてそんな単純な分け方をされたら困るんで、行政の質を変えればね。従来型の行政を無くしたからぼくらの時代は出来たんですよ。だから行政主導だ民事主導だという分け方ではなくてね。地域は本当にさっき言った相対的に地域の立場から、主体的に市民的に思ってやる。従来行政という意味はね、法律の執行者なんですよね。法令の執行者の下請け機関なんですよね。そういう意味での行政だったら主体的に成り得よう筈がない。 それが仮に何か言ったって、結局あまり大した意味がないんですよ。だから行政の質が変わっていけば、そうすると当然行政が言ったっていいし、市民から言ったっていいし、ただ、これは都市の規模もあるんですね。都市の規模が小さい程市民が直に行って、そりゃやり安いです。でっかくなると、そりゃやっぱりそこまで面倒みきれない。決定まで持ち込むのにかなり時間を要してしまいます。だから大きな町の場合には、全体のことを言わないんですよ。その場所でどうするかという話しにしていけばいいんですよ。そうすりゃ大きな町の場合も同じなんですよね。
横浜の市民も360万人近くいるけど100で割れば3万6千人なんですから、3万5千人も同じなんですよね。
だからどっちが先にやらせるかというとそんなに差はないし、やれる方からやればいいんですよ。ただし、どっちにしても、その場合の行政というのは自治政府でなければやれっこないだろうということなんですね。それから地域の違いがあるかというと、そりゃあ、それぞれの町によっての違いは、かなりの違いはありますよね。相当やっている町とその隣の町では大したことないところはありますよね。
やっぱり自治体間の競争の時代に私はなるのではないかと思うし、やはり、いいことをやる首長を選び、いい職員を抱えている町の人たちは幸せになるし、そうでないところは相対的にそれより不幸せになる。これはしょうがない。
●中村
そういうことは、いい首長も選ぶ、いい議員も選ぶ、それは全部市民の責任なんですよね。
●田村
そうですね。だから取り替えられますからね。市民の一番の権利と言ったら首長を取り替えられる議員を取り替えられるという権利なんですよ。ただ何んとなくやられていて、あいつらが悪いからと言っているだけじゃなくて、だめだったら、まあ直ぐとは言わないけど、ある機会によりいい人。但し、絶対基準でね。昔のそのジリツボツラクにあるような部落にのっているような、絶対的鉄人があらわれてね。あれもこれもやってくれないかと。それはちょっと私は正直言って無理だと思うんですがね。相対的によりベターな方を、更にどうやってもつくっていくかということと、もう一つは、如何にオープンにさせるかということ。これもさっきどなたかの話しのとおり、やっぱり、これからの自治体の中で重要なことは何かというと、やっていることがオープンであるということですよね。
それがやっぱり、市民の目の前に曝される。曝されていると、そんな変なことは出来ないですよね。曝されないと悪いことする気でなくても悪いことを何かの機会になっちゃうという可能性があるんですね。曝されていればないですよ。如何にして曝されるかということ。それは、小さな単位は本当は曝されやすいということですよ。本当は3万5千人くらいの町で、もし、閉鎖的であるとすると救いがないんですよね。●中村
先生、もう皆さん耳にタコが出来るくらい聞かされていると思いますけれども、情報公開ということですよね。情報公開の中身なんですけれども、やはり、その中で重要な役目を果たすのが広報広聴なんですよ。その問題があると思うんですよね。今も広報というのは行政のPR版であるという議論が良く出ていますけれども、そこのところを徹底的にね、市民の声を反映。例えば、私の経験でもあるんですが、市民の活動がなかなか広報に載らないんですよね。行政の活動はどんどん載るんですけれどもね。市民がこういういいことをやっているということをなかなか拾っていかない。
広報で拾えないことをマスコミが補完するようにして貰えばいいんだけども、記者クラブがあるもんですから、行政も主導権的に、ここから記事を拾ってきて、新聞記事に載せるとかですね。もうちょっとジャーナリストらしい記事の活動をしてもらいたいなあと思うことも、多々あるのですが、情報公開のためにもですね、行政の広報広聴が本当は市民のためになって行われることが大事であると思うのと、マスコミの役割が非常に大事であると思うんですね。
●伏島
今のお話と関係するかもしれませんが、私はいつも、一市民一道民としておかしいと思うんですが、議会は確かにつまらないことをやっているというお話はいつもあるんですが、つまらなくても何んでもいいんですが、パッと分かる状態に何故なっていないんだろうと。例えば、インターネットを見ていてもですね、道議会でこんなことを話し合ったということも分からないし、市役所のことも分からなくて。ずっとやっているんではなくて、ある町民の方が役場に一杯噛みついてですね。ようやく、多分一年くらいですかね。ようやくその部分が公開されて、そして多分彼は落ち込んでいるんでいるんですがね。何んか大変苦労してやっているわけですよね。
おかしいなと、我々の税金でやっているわけでしょ。税金でやっていることがパッと分らない。アメリカ何んかでは、こんなこと考えられないと思うんですがね。それがやはり情報公開ももっと激しくしてですね。国の水準。国がああだこうだ言うよりもですね、北海道レベルの高さでがんがんやっていっても私はいいと思うんですが。伊達でずっとやってきまして、どう思います。例えば、伊達の場合ですね。市議会、あそこは夜間議会だとかいろいろやっていますがね。市役所の中の議会の議論などが整理されて、どのように市民に伝わっているのでしょうか?
●中村
一応、議会だより、議会だよりが議員の手で自ら書かれて運んでいる。
●伏島
議員が作っているんですか?
●中村
議員が作っているんです。でも、それって当たり前のことだと思うんですがね。それが取り立てて素晴らしいと思われること自体がおかしいんですよね。
●伏島
当たり前のことですよね。
●中村
当たり前のことですよね。ましてや議員は、選ばれて議員にサインを貰っているわけだから、自分はこういう活動をしました、市民の皆さんはどう思いますか? という意見をどんどん徴集して自分のこういう新聞を持つべきでね。それが一応議会だよりというのは、市からお金が出ているみたいなんですよね。だから、当たり前のことすら、まだ主権として担保されていないといのが地方分権推進委員会では、まだやることがたくさんあるでしょと思います。これについては先生いかがでしょうか?
●田村
だから、議員さんが、いろいろなことをやるというのは、選挙活動だからね。一貫だから、やる人は個人的にいろいろなことをやっているし。まあ、あまりにも当たり前のことじゃない。
情報公開とか何んとかという問題じゃない。ただし、その中身が問題でね、おれが何やったかという、いろんな話しをして写真を撮って、誰かと握手したとかね。いうような話しになるとあまり面白くないんですね。ただもうちょっと自分でやるのもいいんだけれど、もうちょっとそれが客観的に見れる状態にいつもあるかということが必要なんですよね。
●中村
というのは議員の人何人かで編集委員をつくって、客観的に議会だよりを出すというのも一つの効果的なものですよね。
●田村
しかしね、議員さんというのはお互いにやっぱり他の人のことを悪く言うんですよ。これまた困るんですよね。そうするとそれ以外に自由な言論、自由な言論がなぜ大切かというとやっぱり市民に対していろんなものを明らかにするという役割だからですよね。当時者がこれはいくら言っても当事者の限界というものがあるんですよね。
聞かれたら答えますがね、悪いことはわざわざ言いませんよね。誰でも自分の個人的なことは、でもそれは個人の問題ではなくて、公の問題でやるという以上は、客観的に明らかにするという仕組みを持たないと、その人がやっているかやっていないか、その人があまりやっていないと次の選挙に落選してしまうんですが、それはその人の自己責任なんだけれども。もっと言うと、やっぱり、今のオープンになるということは、そのシステムがあるかどうか、マスコミもですね、やっぱり、複数マスコミがないとだめですね。で、地元のローカル紙なんかあるかな、小さな町に行くとね、意外にローカル紙で頑張っている人がいるのね。あまりそういう方は好かれていない人もいるんですよね。
いるけれどもね。相当頑張っている方たちがいるんですよ。やっぱり、こういうのがもっともっと出て来てもいいんじゃないのかな。そういう方があまり経費も掛けないでインターネット何んかを使うとうまくいくかもしれないがね。うまくやってきて、そしてその役割をすると、当事者だけにやらしているとぼくは限界があると思いますよ。
●中村
時間も最後になってきたと思うのですが、最後にですね、今までのことを総括してですね。生き生きした市民主体のまちづくりが時代の要請で、どうしても必要という、そして国全体の仕組みとして地方分権推進委員会の勧告も出て来ている。しかし、自分たちの足下に転じてみると、行政の方にも市民の方にも、まだまだ、あるいは企業市民というか、事業者の方にも、まだまだ、そういう仕組みとか、そのようなことを政策論議をアップする程の力量がついていないということも言えるのではないかと思います。それで、そういう仕組みですよね。大事な点どういった仕組みをそれぞれ考えたらいいのか、その辺を先生に聞きたいのと、3者がですね、行政者市民、企業者市民、一般市民、3者の自分たちの町を良くしていくための活動のための方向としてはどうしたらいいのだろうかということをお聞きしたいと思います。
●田村
本当は今の地方自治制度というのがそういう仕組みなんですよね。それなりにはかなり良く出来ているんですよ。制度そのものは、勿論欠点はたくさんあります。その建前の仕組みとしてはうまく出来ているけれども、その運営がそうなっていないということがかなり大きい。勿論、市民主体で動くものになっているんですよ。建前上は。だけど実態をみるとそうなっていない。行政なんて、そんなに表に出て書いてはいません。だけど、皆さん方が言っている何か頭の固い行政というのはね、その法律そのものの仕組みじゃないんですね。それを運営していくとそうなっちゃう。それは何故なんだということですよね。一つはベーシックで言えば日本の政治文化が官主導型。あいかわらず根だせないでいる。
もっと言えば市民がいない。市民というのは伊達市だから市民だという意味ではなく、自分が責任を持ち自分が主体的に本質的に動いている市民がいない。あいかわらず、市民が民主主義をつくった。まあ、お陰様でね。日本の場合には、そうでなくて、いないところに何かそういうものが無形として来ちゃった。これは有り難いものらしいぞ。昔ね、何か与えられて有り難いものだぞとね。というのとあまり変わらないんですよね。
主体的な市民が、まず、いないということ。これがやっぱりあらゆる条件で一番大きいんじゃないかしら。これは制度や何か超えているんですよ。しかし、今日なんかをみればそれは明らかに変わってきたということは言えるんだけど、まだ全体としては少ない。そうすると、行政の中の仕組み。やっぱりまずね、主体的に動く職員がその中にどのくらいいるかということですよね。全員という必要はないんですよね。
横浜市なんかは、3万何千人もの職員がおりましたけれどもね、1%いると相当変わっちゃうな。1%というと300人。300人なんていませんよね。だから3万人の組織だろうと何んだろうとぼくはね、やっぱり主体的な職員が全員というのは望ましいけれども、全員なんて急にいることないんだから。まあ、小さな町だったらもう少しその比率は高いかもしれないけど。私は良く、例に聞く、長野県の小さな小さな貧しい村だけど、そこなんか、ある人が一人いるんですよね。今まで、戸籍係の職員だったんですが、彼一人で全部動いているわけ。村長はたいしたことはないわけね。村長はアホなんだけれども、その人が一人いると動いちゃうわけですよ。
前の村長だったら良かったんだけど、村長が変わったもんだから、彼を戸籍係にうっぱらっちゃた。でも、そんなの全然かまわずやっている。最近はまた彼を復活させなきゃいけないようになってきているらしいが。村に掛かってくる電話の半分以上はその男に掛かってくるらしい。全国から掛かってくる。彼はどこでもね。1200CCのバイクを持ってすっ飛んで行って九州でもどこでも直ぐにいっちゃうんですよ。現場を見てくるんですよ。その中のいいものをね、自分たちの村に取り入れているんですよね。彼は天心爛漫で、勿論自費を投じて、そういう凄い男が一人いるとね、そのホームランドも、相当凄い。勿論、彼を育てた人もいる。
また、それがいれば、また他の人も出てくる。やぱり主体的な人間がね、主体的な市民がどう育つか。市民の場合でもそうですし、行政の中でも主体的な市民が、それがたまたま、職員として動いている。行政の何んとかかんとかと言うよりも、主体的な市民、人間としての主体的な人間、それがいて行政という役割りが与えられた時には、それをめー一杯使う。私だって普通の市民ですよね。私だって横浜市に入って権力振るって、けしからん奴だなというようなことを随分言われましたよ。だけどそれは与えられた権限は、市民のために使うべきだと思っているんですから。権限上、紙に書いてなくたって、紙に有ること無いこと最大限使いましたよ。だから随分恨まれた人もいます。その人のある利益をね、抑える役割をする。たくさんやりましたからね。今だに恨まれている。それはぼくは市民にとって利益だと思っているから、今でも構わないけど、市民からみるとそんなこともよく分かんないんですよ。
でもそのくらいにぼくはやったと思っているから、いっこうに構わないんだけどね。じゃ、かわいそうだから、やっぱり何人かいると変わってくる。まあ、仕組みとしては私は企画調整室なんだけど。名前を企画というように置けばいいんじゃなくて、さっき言った、主体的に総合的にそして質の高いものをこしらえていく能力のある。そういう仕組みが必要だから持ってるんですが、それを言う前にまずやっぱり主体的な人たちがいる、職員がいる。市民の場合もそうですね。主体的な市民がいる。何か2、3名いて何かお願いしていりゃこと足りるとか。そういうゴロッとしている感じじゃなくて、もっと自分の言いたいことを言えて、そして決して一人では出来ないことですよね。市民という意味は独立した積極的なポジティブに関わるというと。その一つは市民ですから、やっぱり、さっきどのかたか言った協働。 何んべんもどなたかが言われた、協働出来るというのが市民なんですね。孤立して偉い一人だけいるというのは市民にはならないんですよね。市民というのは多少、自分といろいろと違う点があっても、ある目的が共同した点、共通した点があるなら、それは多少の違いを超えて協働出来るという人ですよね。
違いがちょっとでもあったら、全部排除しちゃうというなら、これは村の論理なんですね。そうじゃなくて、違いがあるのが当たり前という前提に立つと協働できるのは何かなということを見つけていく。そうすると市民でも一緒にやりやすくなる。あれは違うこれは違うと言ってったら、それは一人になります。いかにして自分の懐を広げていって、そして多くの違う人、だから本当は全く違う人が集まるネットワークのようなものが時々あって。その町の一つの条件というのはね、全然違う人たちが自由に集まるクラブがまず存在することだなあとかつては思っていたのですが、なかなか実際には出来ないんです。大都市になると、特に人間が集まるのに時間が掛かって大変なんですけれども、小さな町だとそういうことが出来てくる。
さっきの話しを聞いてもそれに近いものが出来掛けているのではないかなあと思います。そして、企業は勿論ね、その地域の中で暮らしていくんだから、地域としての市民的責任。私は、企業市民という言葉も度々使ってますけれど、その責任を果たしたら企業という法人をね市民としての責任を果たすべきだ。地域のいろいろな恩恵をこうむっているし、長くそこに定着するためには、市民的なことをやるべきだということが一つだけれども、もう一つ意味が、あるんですね。もう一つの意味は、勿論企業を構成しているというのは市民だということですよ。職員は企業を離れれば一個人なんですから、一個人としての市民、そして企業市民としての企業の中の一員、二重性を持っているんだから、いろんな意味で市民性を発揮していいんですよ。
更に、良くぼくは行政市民ということまで言っているんですよね。例えば、国の機関とか何んとかあるけれども、国の機関だってその地域にある以上、その地域との関わりを持つ中で仕事をしていく。これも企業と同じなんですよ。その人はどういうふうにそこの個人としての市民になるか、そして行政ったって、ただ上から監督してやるだけではない。その地域の社会における何かの役割を果たすようなものであるべきなんですね。だから行政市民という言葉もあるんじゃないかなあと言っているんですが。そういういろいろな意味の市民がいろんな面にどういうふうに動いていくか出ていくか、そして、それが一人ではなくて協働出来る体制がどう出来るかということになるんじゃないかなと思うんですね。
●伏島
今日は、企業の方がたくさんおりますのでね。どんな言い方をしたらいいか迷うわけですけれども。私のような現場の人間にはやっぱり行政と市民と企業というこの関わりがですね、もっともっといいものにしていきたいと思うのと、今日の議論のように主に行政の状況を変えていこうと、良く議論されて来ますけれども、同じことがですね、北海道の場合悲しいかな企業にも言えるかと思うんですよ。企業も先程も申しましたけれども役所以上に役所的な企業もあったりしましてね。ちっちゃい声で言いますけれども、農協さんであるとか漁協さんであるとかですね。ええ、あるわけですね。
やっぱり、結構我々のこれからの暮らしに影響するんですよ。例えば、ホクレンさんと農協さん系統、農協やらが、どんなふうに動いているかということが。ところがあの人たちはあの人たちのいわば島なんですね。
島を持っていて、我々一般市民、道民とはまずコネクトが無い。去年ちょっとお手伝いしたのはですね、生命と書いて命というのですが、生命(いのち)を守るというイベントがありましてね、簡単に言えば私の言葉で言えば北海道は北海道のものを大いに食って健康になろうと、ただそれだけのことなんですよ。北海道の物を皆んながんがん食うということは北海道の農業を支えることにもなると、そこからいろいろな交流も始まるだろうという、これはですね、農協さんもいくつか参加してくれているんです。そして農民の皆さん、こういうところにですね、参加する農民の皆さん必ずいます。おれは百姓だと、堂々たるもんですよ。百姓というのは百の姓(かばね)ですよね。それくらい美しい言葉なんですが、今は行政も良くないんですね。百姓と言ったら差別用語だから道民と言いなさいと。私は良く怒られるんですよ。
私、お百姓さんが大好きですから、そのような形で、民間ベースで大変その辺は変わって来たと先生がおっしゃいましたけれども、ある敵対関係じゃなくて、ある一つの共通出来る目標を掲げてですね。その中で協働出来るチームがまだまだ一杯あると思うし、とりあえずやらなければならないのは、農業、食糧、環境じゃないかと私は思うんですが、文化はもっと大事なんですが、特にこの札幌、北海道のことを考えますと、その辺のことを早めに立ち上げていって安心出来る。
金融何んかいいんですよ。金融はまあどうにかなるんですから、まず、基幹産業ですね。これはきちんと問ただせていく、そしてやはり、お年寄りのことも大事なんですが、その辺のことをやっぱり、今日みなさん折角集まっているわけですから何か共通の目標みたいなものを持って、どうやって協働していくか、それを今良く言われる広域の協働があればですね。業界を超えた横の協働もあるでしょうし、いろいろなスタイルがあると思うのですけれども、そういった中で、やはり、具体的な一つ、何んでもいいから一つ実行してですね、何かを生み出すことによって、ホォー、俺たちも出来るんでないかということが生まれてくると思うんです。
私なんか何も出来なくて、出来るのはただ、ハリウタと食うこと。ホシノミを食うこと、ゴミはなるべく出さないこととか。こんなことをしゃべりますと、結構それ一緒にやりましょうという人が最近増えているんです。そういった意味では北海道の将来は決して暗くないと思う一人なんですが、その当たりを効率よく進めるためにもやはり、今日のような議論の中で、もっともっとフランクな形で情報公開をしてですね。そして、プロジェクト、道庁さんが今新しい総合計画で、戦略プロジェクトでもないし、地域プロジェクトでもないし、パートナーシッププロジェクトとか言うんですね。これもあちこち行きますと、今日も上川方面に行っていたんですが、かなり不評でして、あれは何んなのかよく分からん、というようなこともあったりして、これもいわば情報公開してないんですよね。
これまで総合計画の失敗が散々あったにも関わらず、ごめんなさいね、関係者の人がいたら。私もこれから出入り出来るなくなるかもしれませんが、今度はセンプロでもない、地域プロでもない、パートナーシッププロジェクトとは美しい言葉なんですけれども、それは一体何んだということをもっと道民レベルでやっぱり語らなきゃいけないと思います。
話しがあっちこっち飛んでますが、もう一つ言わせて下さい。
今日の公共の会議の中で感じたんですが、最近幸か不幸か役場、市役所がですね、金がなくなってきたもんですから、そういった意味で、うちはハードをもう造るつもりはないんでと言ってくるところが多いんですね。昔は違ったんですよ。昔は形だけはハードよりはソフト、これは皆んな言ったわけですよね。これも東京の偉い先生が言うと皆さん講演してくる。そうすると皆んなもこれからはハードよりはソフトです。わりとその頃は、まだ、余力があったんですよね。
今は、本当に水道の蛇口が閉まってくる状態、本当に金がなくてですね、金がないから知恵出してよろしくお願いします。いう形の中で、道庁もそうですし、市役所もそうですし、あちこちの役場もですね、市民、道民、お役所さんたちがですね、かあさんたちがちゃんと声を聞かないと、うまく地域経営出来ないと思う方がかなり増えてきています。そういう意味では今はいいチャンスなんですよね。市民の側もお互いに巻き込みあっちゃう。この辺が出来るとですね、少ない費用で楽しく暮らす北海道が出来てくるんではないかと私は最後はいつもこうして明るくやることにしているのですが。
●中村
まさにそうですよね。本当に知恵を出し合って、まさに心の時代と言われていますが、行政と市民と企業者の心と心を合わせてですね、そして力を合わせて助け合ってということが地方の分権時代のまちづくりの原点ではないかと思います。
●伏島
それにお金が無くなってきたんですよ。銭子が無かったら何んも出来ないぞというのが結構あるんですね。そういった意味では、公共だけの財政の問題だけじゃなくて、今我々一般道民、家計は足りないんですけれど、もっと皆んなでお金を使い合っていこうというようなことは出来ると思うんですよね。さっきおっしゃったましたよね。ゴミ問題にしたって、既存の民間のシステムを動かした方が、改良して動かした方が遥かに社会的コストは安く出来るんですよね。
●中村
トータルコストをいかにするか。それを皆んなで知恵を出し合って。
●伏島
そうなんですよね。その辺のコスト感覚も含めての財政的には国も道も役場も私たちも結構大変なんですけれども。しかし、韓国に比べたらまだ余力があるわけですよ。韓国の方がいたらごめんなさい。そういった中で、その辺もうまくお金を束ねていく。これは単純に官公庁が銭子が無くなったから、新しい意味で認可したとか、そうじゃなくてね。そのあたりは、こういう機会を得てですね私なんかも10万円くらいしか出さないかもしれませんけれどもね、やっていきたいと思っています。

●今川
どうもありがとうございました。ちょうど今伏せ島さんが、鼎談を開いてくださったので、この辺で会場の方、鼎談の中で自治体のまちづくりを考えるキーポイントということで、いろいろな問題提起だとか意見が一杯来ていたので、こういう意見ということでも結構ですし、こういうことを是非質問したいということでも結構ですので、手を上げていただければマイクを持っていきます。
藤本さんから質問が出ていましたのでお話をお聞きしたいと思います。
●藤本
藤本です。札幌のまちづくりをしています。市民が果たすべき役割というのは、一人一人が市民であるという自覚を持つことが大事なんですが、得てして、活動するとエゴの方が強くなる場合が多くなるのではないか、ちょっとそういう危惧があるんですよね。
共存共栄していくためにはどのように理想的なまちづくりをするべきなのだろうか。結局、市民の意識を高めれば、それは解決するんではないかと思うんですけれど、なかなか難しくて、どのようにしたら市民の意識が高まるのかということをいつも思っているのですが、どのようにしたらいいのでしょうか? 何かありましたらお教え願いたいと思うのですが。
●田村
何か市民が声を出すということは、エゴか何か知らないけれども、市民の身の回りに関係あることですよ。そうですね。地球規模でCO2かどうかで氷が溶けちゃうとか、ということは、だから、市民感覚では良く分かんないんですよ。身の回りにゴミが散らかってね。自分の子供が学校へ行く途中なのにこんなことはちょっとおかしいのではないかとか、それはエゴかどうかは知らないけれど、自分の利害関係のあることですよ。それはかまわないんじゃないですか。ただし、それはエゴかどうかわからないけれど自分の身の回りのことについて発言することからスタートするんですよ。
ただ、さっきから私が申し上げてるんですが、それは一人はだめよ。一人じゃ、それでいて、はいそうですか、何とか解決しましょうか、ということになっちゃって、それならそうしない、ならしない。
行政の関係は違う次元なんですよ。同じような市民がいろいろいるわけでしょ。そうすると違う人間もいてもいいですし、全部同じじゃありませんよ、皆意見を持っているんですよ。その中の複数の市民の中で、そういう話をいろいろやると確かにそりゃそうなんだけど、その話はもうちょっとね、どうしたらいいんだ、こうしたらいいんだ、私としてはこれが出来んじゃないとか、もうちょっと何かね外でやってもらったらいんじゃないかとか、あなたはそういうけど、反対のあれもあるよとかね、そういうことを自由に話す場があって、初めて市民が成長するんですよ。
だから初めは自分の身の回りの利益関係についていうことはごく自然のことなんですよ。それ以外は頭に入った知識以外にはないんだから。やっぱり自分との利害関係のことがまず出るということは当然なんですよ。それとお互いの中で切磋琢磨しながら、切磋琢磨ということがいいのかどうかは分からないんですけど、いろいろやり合いながら、そうすると違う人間が集まって、同じ人間ばかりとは限らないし、違う人間が集まるということが一つ。それからやっぱり、自由に発言出来るということ、そこでね、たちどころに喧嘩になっちゃうということではなくて、ああ、それはそんなもんか、それは自分とは違うが、そんな意見もあるのか、そういうことも自由に聞けて、そしてその中で建設的な考えも持っている人もいるという、こういう条件があれば、スタートはそれで構わないんじゃないかと思うんですよ。 それから、段々に動いていく。ただそういうように自由に言えるような違う人も集まって。同じような人だけが集まってやるということは比較的に出来るんですよ。だが、違う人間が集まって自由に話が出来る場というのはなかなかない。これが本当にないと市民参加にならないんですよ。ある程度利害関係を持っている人たちだけが集まってわーっと押し掛ける。これは住民運動ではあるんだけど、ホントの市民参加になると違いも分かる、違いも聞ける、そしてその違いの中で、さらに実行力を持っているということが必要ですよね。
●藤本
おっしゃるとおりだと思うんですよね。自分の意見を主張するということは、まず市民参加だと思うんですよね。
私が時々感じるのはね、あまりにも自分たち地域のことを強く言い過ぎて全体を考えたときにバランス的にどんなものかなあ、ということを感じるんです。
●田村
違う人の意見だから、言うことだけではなくて、言うことの他に聞くという能力が同じ程度無けりゃだめですよね。言う能力しか無い人は、片手落ちなんですよ。だから、市民というのは言う能力もあるけど違いも聞ける。多少自分の意に違っても、違うと言うことだけでも聞いてられる。それはだめだよと言って押さえるのではなくて、押さえるのは強圧的に上下関係の社会ですよね。対等平等なんだから、今も、地方分権推進委員会でも対等平等だと言っているんだが、対等平等ということは自由に違う意見でも言い合える。市民同士でも自由に言い合える。 言い合えると言うことは人の意見も聞ける。聞いてみて、半分は納得して半分は納得しないということでもいいんですが、そういうことが出来るということが条件でね、ただしそれがどうしてもそれだけでまずければ、まったく全然そのどっちでもない利害関係が比較的少ない客観的な第3者をその中に入れるという手も方法としてあるんですね。そういう人はあるところではそうなんだけれども。
●石垣
市民が市役所に言いやすい環境になった。何でもかんでも言ってくると、市役所に行けば何でも解決するような錯覚をしてですね、苦情を申し出てくると。大変困った苦情もたくさん受けますけれども、やはりそういう時代なのかなと。要するに市役所に自由にもの言える時代になったのかなと。これは一見いいのですが、やはり言いっぱなしというか、そういう市民も多くいる。という実態でございます。
私ども直接環境で生身に感じるのは、現在、札幌市と江別市の間で行政区域は札幌市なのですが、江別市と札幌市との境の所に、ある意味では迷惑施設が札幌市側に建つと。そういったところに札幌側の区民は了解したけれども、その隣の同じ土地は繋がってますので、江別市民には了解がないということで江別は住民が騒いでいるという問題があります。
この時は、単なるその自治体だけの問題だけでなくてですね、やはり札幌市民も江別市も同じなんだとということで、やはり、解決にあたらなかったと、札幌市の説明がもう一ついるんではなかったのかと、第一印象として持ちましたけれども。
ただ、江別市の側にも問題が無かったわけではなくて、早めに話を聞いたときに情報をきちっと提供しなかったと、まあこういうことが年末におきまして12月議会でも議論になりましたし、年越してもまだ解決していなくて現在もなお論争になっているという、このような経過にあります。ただ、このこと自身をもってですね、一自治体だけでこういった問題を解決するという問題ではなくて、やはり両市むしろもっと広域的に迷惑施設をどのようにするかと、住民合意というのは、なかなか迷惑施設というのは取れない現状にあります。むしろ私ども環境課の立場に立てば、むしろ産業廃棄物だとか、そういう施設の企業さんを応援したくなる、というかそういう感じすら受ける。
というのは単純に自分たちの目の前には来て欲しくない、だけれども必要な産業であることも事実なんですよね。そのことがいつも問われるんですが、自分の家の前にはいやだとこういうことばかりでいつも論議される。本当はもっと、実は別の防ぐ方法があるんじゃないかと、全体の中の土地利用だとか都市計画法だとか、そういった法律ばかりではないところの議論というのがこれからは必要になってくるのではないかなあと、そういうふうに感じております。
で、特に今、産業廃棄物関係ではですね、江別市、北広島市だとか、石狩市、特に札幌を中心にですね、人の多い所にゴミも多く集まる。周辺市町村では、結構悩みの問題というふうになっているんじゃないかと思いますし、むしろ、こういうところに北海道がですね、何かしらですね、リーダーシップをとってくれると有り難いなあというのも一面あります。 それから後、今、伊達市の方で、環境基本条例をつくるということで市民が持ち寄るという形態をとっているということなんですが、江別市でも大変環境団体が活発でいろんな人がいらっしゃいます。確かにその活発な意見は無視する訳じゃなくて皆んないい意見、そんなのこっちだって皆さんがたの言うことは分かってますよと言うのがたくさんあります。
されど、やはりそういうことの場面というか、これからいろんなものを政策決定する場面をやはり見せていかなければ物事が進まないのかなあということと、もう一つは情報公開だなんて言ってみてもですね、むしろ市民にどうしたらいいんですかじゃなくて、行政側は素材を提供しながらですね、選択をしていただくと市民の側にどういうふうに判断してもらうかで、要するに、ただ意見はありませんかと言っても当然それは意見が出てくるものでもないし、むしろ情報の提供の仕方に問題があるのではないかと。
ただ、江別がきちんとやっているかということではなくて、むしろそういう意識はもっているのですがなかなか組織の中で生きていかないというのも実態としてあります。
このやり方として市民も考えるのですが、庁内的なところにあるというか、むしろ庁内の職員に情報公開をもっとすべきじゃないかなとかですね。庁内職員の建て直しをしながらむしろ市民と共に考える。これは従前から言われていることなんですが、今話を聞いてですね、改めてそういうふうに感じました。
●中村
環境担当の方ですね、実は江別市にも呼ばれたこともありまして何年か前なんですけれど、市民の意見を聞きたいという環境のセクションの方のそういうご意見で行ったことがあるんですが、環境基本条例の話で言えばですね、その前にやはり気づいたことは言わなくちゃいけないというのは田村先生もおっしゃたように、どうしても譲れない点だと思うんですよ。
私は市全体あるいは国全体を考えていて意見を述べてきた人間ですが、それでも自分の身の回りから気づいたことから声を発した訳なんで、そこのところを抑えられるというのは暗黒世界につながりますから、そこは一回保証しなければいけないことだと思います。そして自由に発言し協働ということが何度も何度も出ましたけれども、お互いにお互いの意見を尊重し合って何が言いたいのかなあと、耳を傾けるということだと思います。
お互いに尊重し合うこの機能が、行政と企業市民あるいは行政と住民・市民の間にどうしてもなくてはならないものであると思うわけです。環境基本条例の伊達市の状況をもうちょっと詳しく説明しますと、やはり庁内の調整というのが市民の側から見ても非常にうまくいったんだと思います。しかも横断的な検討委員会というものが出来て、それが今度本会議の形で集まった市民会議に全部検討委員会の内容を知らされるようになった。
そして、市民の側からも私たちの環境基本条例策定の審議内容を広報にちゃんと載せましょうと、それを強くそしてその間に市の方から環境市民会議メンバーだけじゃなくて市民全体4,000件のアンケートを行った、それの結果も広報に載せましょうということになった。
さらに環境市民会議の提案で1回の公聴会を2回にしようということになった。私たちの意見だけじゃなくて市民の意見を聞く公聴会を2回くらい策定までに入れようということになった。広報だけじゃなくて自分たちも自らもチラシを作って配ろうかと、そういう動きを今しているんですよね、でもその時というのは本当に疲れるんですよね。あの先程の藤本さんのお話じゃないんですけれどもやっぱり初めて参加したような人の場合は、自分の意見のみを述べてきますので、ものすごく時間が掛かって議事運営委員会で5時間とか本当に疲れます。
だけど伊達市ではこれはどうしてもやらなきゃならないものだという思いでみんなで疲れながらも力を振り絞って、私たちはほんとボランティアです。私も事業経営をしていますからね、皆んなもう何らかの職業を得てその上でさらに町が良くなるためにはこうしなくちゃいけないという信念の基でやったのですから、だから行政の人もその辺のことがよく分かるので粘り強く議論を一緒にしていますね。やっぱりそれはどうしても避けて通ることの出来ない過程ではないかと思います。
●田村
どういう状態であれね、今までの中央集権制であれね、それなりに安定した状態になっちゃているとすればね、そのままの状態でいるという方が楽なんですよ。人は今までやった通りのことしかやらない。それじゃ世の中より良くなっているかというと良くならないということが今の状況なんですよね。そしたらやっぱり一番の問題は何かというと中央でね人間をいじくり返しているんじゃなくてね。やはり日本の民主主義が育つということになると市民がきちんとして自分たちの責任を持って自分たちの身の回りに参画してそれを変えていく市民が生まれてくるかどうかということに関わるわけね。それが無い限り、いつどきヒットラーが現れるかそれは分かりません。特に不景気だとか何とか言って、いやおれが全部解決してやると言って別の形でヒットラーが現れるという危険がいつでもあるんですよね。
だからそうでないために一人一人がやっぱり知恵を持つか、市民として発言出来る行動出来る市民がいるっていうのが絶対条件なんですよね。それが私は地方分権だ何だとかその辺の権限の法律的なことを言っているんじゃなくて、一番のベースだと思っているんです。だから地方政府なんですよね。
で、しかし、そこで市民が今度ものを言ってきたらね、従来の行政の人はね、ちゃんと納まっているのに、皆んなにわあわあ言われてたまったもんじゃないよと、2倍も3倍も時間取られてさっぱり仕事のはかがいかないし、困っちゃうということで。まさに、困っちゃうから地方分権なんですよ。それが、ちっとも困らない条件だったらね、地方分権にする必要ないいんですよ。困っちゃう条件にある。それは、民主的に言えばね、市民たちが自覚を持って自分たちで発言出来るということは立派なことなんですから。但し、それは国では全く解決出来ないんですよ。中央も、道もあんまり解決出来ない。だから市町村がきちんとして、じゃ、市町村が解決出来るか、まあ、解決出来ないかもしれません。でも、解決出来るとすれば橋本龍太郎さんではないわけですよ。道庁でもないわけですよ、やっぱり市町村ぐらいの単位ですね。様々の矛盾撞着がひしめくかもしれない。都市生活、我々は、そういうことしているわけですよ。我々人類文明というのは、まさにそういう矛盾撞着の中にあるわけですよ。CO2の炭素、二酸化炭素もまさにそういうわけですよ。まさに、矛盾撞着の中にあるわけですよ。
じゃ、矛盾撞着だからってやっていれば評論家ならそれで済むわけですよ。やっぱり何らかの形でよりベターな形に解決して行くし、誰かがしなけりゃいけない。そのために市町村自治体があるんだから。だからそういう条件になって大変難しくなっちゃうんですよ、だからこそ私たちが出番なんですよ、少ししんどいけれどやっぱり自治体の出番が来たということは市民がそれぞれ発言するということと裏腹なんですよ。
市民が裏腹するから地方分権でなくちゃだめ、地方主権じゃなきゃだめということがはっきりしてきたわけね。その代わりしんどくなるんですよ。しかしそれを乗り越えるとね、やっぱり新しい仕事が出て来てやるということは、ぼくなんかも自治体にいる時に喧嘩ばかりしてましたけどなかなか楽しいもんでね。後から考えればですよ。その時は楽しくないんですよね。後から考えるとあの時が一番楽しかった。
やっぱりそれは仕事をしたという実感があるからね。何となく済んでいりゃ時間だけ経って定年になっちゃっておしまい。あの時は苦労したけど、まあやったな、そういうことが積み上げられていって今の地方自治も育って行くんだと思いますしね。地方分権も育つ、地方主権も市民も育つし。思うにいろいろ、そこは全然経過していないわけね。ほとんど外国のね、まあ西欧の例ばかり言って悪いんだけど、西欧の民主主義の出来る過程はもうもの凄いストラッグをやっているわけですよ。
日本は全然したことないわけよ。ある日、マッカーサーが来たらあんた方民主主義だ、今まで帝国主義だと言ってたものがね。いや民主主義だなんてやって来てるようなことをやって来たんだからさ。今まで一辺もストラーグにしていないんだからさ。それで民主主義国だなんてさ、無理なんですよね。だがこれからやるなら本当の民主主義というのがやれるとかやれないとかということを今しようとしているんじゃないから、まあその中で自治体の人たちが大きな役割を果たす、その矛盾撞着の真っ直中に立っているということが後から考えりゃ楽しいということを思ってやっていただきたいと思います。
●今川
そういう矛盾撞着の中でいろいろとかなり苦労されている方がいるんじゃないかと思うわけです。会場の中で私の経験はこんなことでなどということで。
●奥山
道庁の建設部で河川の仕事をしております。奥山と言います。つい先日ですね、先輩と酒を飲みながら住民参加の問題になりまして、河川も去年河川法の改正がありまして住民参加ということが大きく出て来てですね、いろいろ議論することもあるんですけれども。ずうーっと話しているうちに、基本的に話した相手は40歳後半の先輩なんですよね、優秀な方でよく仕事も一生懸命やる方なんです。けれども、最後にスタンスがちょっと違うなということに気がついたんですよ。住民参加を重ねていっていろいろ議論して、でも先輩からのイメージでは住民というのは所詮自分勝手のことから抜け切れないんだから、どうしても何回やってもまとまらない時というのが絶対あるだろうと。そういう時どうするんだという話になりまして、そこまでだめであれば、採決するかあるいはもうその話はないことにしても良いではないかなという話をしたら。
それじゃ行政の責任はどうなる。やはり行政の責任を果たすということは、行政がこれは良いと思ったことは実現しなければならない。
基本的なところでぼくがその時思ったことは、先輩は、行政は最終的には決めていかなければいけないという、それが責任だという感覚で思っているんですね。
ぼくは、行政はいろいろ情報を入れてベストに近い案を提示するのがぼくらの責任であって、決められないだろうというのが私の感覚なんですけれど、今までの行政というのはやはり決めてきたんですね。それが行政の責任だと言われた時に自分とは違うんだけどまあ今までいろいろやってきた先輩たちそれ以上はなかなか言えなかったんですよ。田村先生ならその場合どういうふうに言うのか、その辺ちょっとお聞かせ願えればと思うんですが。
●田村
大変面白い話で、この辺から佳境になってきたという気がするんだけど。私も河川の河川審議会の基本政策委員の一人としてその議論に立ち入ったわけですよ。一昨日も実はナショナルトラストと環境という問題で高橋豊君という河川の方の専門で私の友達なんだけど、彼が来て河川局も変わってきたと、あんたを審議会の委員にするくらい変わってきたと、ぼくは高橋に言ってやったんですよ。高橋のことも拒否していたんですよ。東大の河川工学の教授ですよ。彼の弟子たちが、建設省に入っている河川屋たちがそれを拒否したんですよ。
なぜかというと、高橋君は河川はただの3面張りのコンクリートのお化けみたいなものを造るばかりじゃ能がない。やっぱりいろいろな問題を考えろと言って、昔から主張していたんですよ。そういう人はいらなかったんですよ建設省ではね。でもある時から昭和40年代の後半から変わってきて、高橋君も入れるようになってきたんですよね。
今は高橋先生、高橋先生なんだけど、ついに高橋君だけじゃなくて僕みたいな、彼が言っていたけど君みたいな反体制の者も入るようになったのだからと。別に反体制じゃない私もちゃんとまちづくりをしていますからね。それくらい広く問題を考えなくちゃだめだということがあの頭の固い河川屋にね。 本当に河川屋というのは頭の固い典型もいいところですよ。しかし同時に変な責任を持っているんですよ。聖域がビィーというくらい水を治めるんですよ。俺たちは天下を治めているんだという自負は持っているんだね、かたや。でも昔はそうなのかというとそうじゃないんですよ。高橋君の話の中でもそうなんですが、1890何年かの旧河川法の時に、今までの川というのは溢れて当たり前というふうにそれが川だって、川の性質だ、天の自然の性質なんですよ。それが溢れさせないように初めて治水工事を始めたという、それは行政が自分で責任を課したんですよね。でも、川というのは別に行政が進めたって技術で進めたってそれを上回るものを天の仕組みは持っているんですから、時々はそうじゃないことが起きているんだから。
段々やっていくうちに何がなんだか訳が分からなくなってきて、この辺でもう少しね、柔らかい考え方を持たないと何が何でも自然に対抗してね、あの水の力を押さえ込もうだなんていう、押さえ込むことは押さえ込むとしてもちょっと緩やかに考えないと俺たちの責任は果たせないのかなということが今度の河川審議会の河川法の考え方。まあ充分にそれが反映されるかどうか分からないけど。
ところがね、建設省の河川局長なんかね数代前からすごく頭が柔らかくなってきているから、まあ私審議会でも言ってやるんですけど、あんた方はね、凄く頭柔らかくなって、180度転回みたいなこと言ってるけど、だけど地方に行ってね、県庁や何んとかね、河川課は相変わらず頭堅いけどあれいったいどうしてくれるんだとよく言ってもんだと言ったら、それはこれから徐々に言うと言ってたけどさ。 だから今の話はね、非常に真面目な人たちはね、今の建設省から何が何んでも水を押さえ込むんだということを教育された方だから、それが行政の責任だと思いこんでいるんだから。こういう方がね40になって急に変わったと、180度違うこと言ったって頭が転回しないですよ、それは気の毒なんですよ。
建設省の責任なんですよ、建設省はどんどん局長も代わっちゃて人間も代わっちゃてるからさ。、あれは旧のやつが言ってるんだ、今は違うよ。同じ人間でもさ場所が変わったら違うことを言うからね。同じ所にはご承知の通り3年もいないのだからさ。2年くらいで代わっちゃうんだからさ、その時その時でやってられるわけですよ。それで末端ていうかね、そんなにころころ変われない、一貫してやっているんだからさ急に代われない。
だから、今の方は非常に気の毒だし、非常に真面目な行政官だと思いますよ。まじめな技術屋だと思います。でもね、じゃその人の言うとおりやってうまく変えない方が良いかというと僕はやっぱり変えていった方がいい。世の中というのは変わって行くわけですよ。世の中の状況は変わっているわけですよ。それは昔の仕組みでは対応出来ない、新しい酒は新しい革袋に入れなきゃ対応出来ない。
では、誰が変えるか、だから末端から変えていくという方法もあるんですよ。でも中央からね、河川なんかの場合には変わってくるという、これもまた一つの方法だと思いますよ。今度の場合は上の中央から変わってくる。しかし彼らはなぜ変わったのかというとそりゃやっぱり今の住民のいろいろな動きなんかがあって自分たちはそれにもう対応出来ないということが分かってきたからです。だから変わらざるを得ないと思うんですよ。
ただその40代の方が言ったという行政の責任ということはちょっと気になるんだけれどね、行政の責任とは誰かに対する責任なんですよ。行政の責任なんてないんですよ。行政というのは何かを執行して行くんだから、誰に対する責任なのか、だから国家や建設省から命令されたことに対する責任なのか、あるいは地域住民に対する責任なのかそこをはっきりしてもらわないと困るのよね。仮に地球の住民が皆んなまとまらない、地球の住民、ここは基本的に建設省に対する責任よりも地球の住民に対する責任の方がずっと重いから少なくても自治体の場合はそうですね。道の場合、北海道に対する責任、地球に対する責任、建設省に対する責任よりは地球に対する責任の方がずっと重いわけですから、で地方分権というのはまさにそういうことを言っているんですから。
そうするとね、行政の責任というのはね、住民に対する責任でしょ。住民が決定権者なんですよ。で行政の人たちはですね、決定権者の意向を受けてこういうことが良いんじゃないかということを提議する。自分が決定権者じゃないんですから、だから決定権者がみんなの意見がまとまらない、それはしょうがない。その代わり自己責任ですよ、水が溢れようと何しようと、自分たちで決められなかったんだから。行政はそこまで責任を持つ必要がないんですよ。行政とは独立になったって住民の上に隔絶して、それでおれの責任を果たすなんてね、そういう時代じゃないんですよ今は。川を治めた時代の話しなんですよ。
住民には決められない。ただし住民には分からないんだから決められるような条件を整理したり、決められるようなアドバイスをしたりね、そういうことをいろいろやってこういう考え方もあるよということを整理してやることは技術者として当然のことですよ。これは当然の責任、住民に対する責任。しかし住民に対する責任なんですよ。行政の責任のために俺は何が一体果たせるかと言ったって無いわけですよ。
国の行政が何に対して責任を持っているのか、昔は、これはね、全部天皇だったのですよ。戦前は天皇に対する責任だったということで、本当はそうであったかどうかは分からないけど、それなりに意味があるんですよ。今はね何に責任を持っているのか、そこからまずはっきりして議論をしてみるとまた面白いんじゃないの。でも、この問題は大変具体的な例だし面白い課題で大いにお酒を飲みながら楽しく話しましょうよ。
●中村
ですから、今の議論で言うとまちづくりの主体っていうのが、まだね、住民であるということを認識していないということなんですよね。
まちづくりに関しては行政だけが考えているという間違った誤解がね。だから住民がいろいろ言ってくる、そうじゃないんですよ。住民のために行政がまちづくりをするのですから住民の意見を聞かなくちゃなんないのは当たり前のことで、行政だけがやっているという凄く大きな錯覚があるような気がします。
●田村
行政はその意向を受けてやるんですよね。本来的な建前が逆転しちゃたったんですよね。
●伏島
市役所や行政マンたちがですね、あんまり真面目過ぎるのも基本的に問題あるんですよね。それとですね、江別市の石川さんがオプションということを言ってましたよね。選択してもらうこと、これはやっぱりこれからの行政のやり方のヒントではないかと思うんですよ。普通AかBか、右か左かみたいな形だと不毛の議論になってしまいますよね。河川の話で言いますと、200年確率のこれは暴れるという河川とした時にですね、その辺のどうやってコストをかけるのか、リスクを受けていくか、これはかなり複雑な方程式だと思うんですよね。例えば保証ということもあるんでしょうね。
保証という形にするのか、全部防水をですねがっちりと溢れさせないように工事するかですよね。そしてそのコストをどうするのか、かなりいろいろな少し複雑だけども、しかし整理できないことではない。それを河川局の人間だけじゃなくて農業者や、例えば水が溢れて稲が200年確率の場合だと、もしかして1/3がアウトになる。その辺の所は市民サイドがカバーする。従ってある程度人が死なない程度の洪水は勘弁してもらう。その辺のやっぱり議論は本来あるべきなんですが、これまで無かったんであの放水路の話なんかも、私なんかから見ていると、まだ皆さん真面目過ぎるなと。もっと広いオプションを持って議論して良いのではないかと思うんですがね。そこら当たりのことは私たち市民のサイドも勉強しなけやいけないし、業者の方たちももう少し柔らかくなっていただければと思うんですがね。
●森
一番最初の藤本さんもね、ご自身の経験から言って具体的な経験でして、特定の人達のグループがどう見てもエゴなんだけどなあと思う人が盛んに主張して、その主張されられない状況がしばしば見受けられることがあるんですと、これどう考えたらいいですかということ、これが一つですね。まちづくりにおけるエゴの問題ね。
それから役所の中で一番怖がっているのは札幌とか川崎のような大きな都市の場合の人の話では、オープンにしたばかりに一部のグループの人達に結局占拠されてしまって施設や単体や事業の民営がね。 だから言わんこっちゃないよと、自分勝手な住民が実際は多いんだ。世の中、西を向いても東を向いても、政党だって皆んな自分勝手に動いているんだから地域の住民がそんな理想的な人なんかほとんどいないよと、みんな自分本位なんだから。
だから、役所が理念に走ってそのわずかしかいない市民を市民、市民と言って実際にオープンにして情報公開して市民参加にしてやったら結局まとまらない。そこで、管理職が一番嫌がっているのは市民参加はまとまるものもまとまらない。お前たちは理想を言うけれど100年早いっていうようなことを言っている事例が事実しばしばあるわけですよね。それを論理、理念、建前だけで、それは市民社会ではないといってもですね、現実にはあるわけですよ。 そこをどうするかですね。私は石垣さんにもうちょっと説明して欲しかったのは、そういいながらもやっぱし、ご自身としは市民社会というのは公共の公開討論で情報公開してみんなが賢くなって行かなきゃならないというお気持ちがあるもんだから、そこで議論がですね、庁内にむしろ大きな問題があるんだと、こういうようなことを言ったんですよ。
実際、自分がそういうセクションに立っていなけりゃ理想論を言えるんだけれど、今環境担当をやっているもんだからね。だから理想論で通らないわけですよね。彼は、でありますからバックヤード、大きな欠陥は庁内側にみたらいいんじゃないかと言った。そこの所をもうちょっと詳しく説明して欲しいんだよね、そうすると具体論と理想論をもう少しくっつけた話がもうちょっと出来るんじゃないかと思うんですがね、いかがですか。
●石垣
森先生がおっしゃったところも部分的にその通りになりましてですね。これは江別ばかりじゃなくてですね、むしろ敵は城にありと言うかむしろ、私たちが行政執行する側にですね、たくさんの問題があるんじゃないかと考えている一人です。
たまたま組織の人間で言うことと個人で言うことはかなりの乖離があるんですけれども、個人的には従前新聞にもちょっと書いたことがあるんですが、街が変わるのは役所が変わらないと街は変わらないんだと一度書いたことがございます。それはむしろ役所はまじめな組織形態、縦割りが非常に綺麗にいっているが故にですね、個別には非常にいいんですが、田村さん流に言うとそこに横糸を入れるのがまちづくりですよって簡単に言うんですが、なかなかこの横糸が通らないというのがむしろ実態としてあるんですね。
よく言われるように縦糸と横糸があって面が出来るように布が出来るようにまちづくりというのはいろんなものが複雑に絡み合うと。田村さんの言っている通りなんですが、なかなかその組織的にですね、役所の庁内的にそういうことがやはり理解されない。むしろこういうような分権の話だとかですねいろんな話をしても、市長だとか理事者だとか部長、議員さんですね、まあこういう人たちがもっと深く、その辺を意識を持つことがですね、意識を変えていただく。それからむしろ勇退していただくことが一番早道かも知れないとこういうふうに個人的のは思ったりもします。
ただ、歳はとっても非常に積極的にやっている方もいらっしゃいますし、頑張っている方もいます。それは年齢ではなくて、やる気がいというんでしょうか、あの71才になっても頑張っている田村先生のようにですね、そういう方がたくさんいるとですね、町はやはり変わっていくというふうに思っています。ただ、やはり、建設部だとかですね、保健福祉部、今私自身は環境にいますけれども、環境は環境だけで解決する問題でもないし、市役所が全部、ぼくは解決するとは思っていません。市民の方からやはり苦情が来てもですね、それはあなた自身はどう考えるのかと、こういう問いかけも私自身しますし、何んでもかんでも役所に言ってくるんじゃないと、いうこともやはりはっきり言います。
ただ一部の課ではですね、非常に親切にやるところもあるんですね。あそこの課はいいけどここの課はすぐだめだとかですね、やはりそういうとこで、庁内的にもですねどこまでが行政の仕事なのか、どういうことが行政の役割なのかということをきちんと整理すべきでありますし、市民の側にもですね、どういうことを市に求めるとむしろその辺のところからもっと学習し直さないと、双方で学習のし直しが必要なのかとこういうふうに思っております。
それにもう一つはやはりマスコミのその論調もですね、今回の場合も、結構怠慢の市役所とかいろいろ書かれましたけれども、市役所にいろいろ書くことが一読者を増やす一つの材料になるようなんですが、やはりマスコミの書き方も一元的な市民団体の意見だけを書くんではなくて、やはりウエイトのかけ方を多枝に渡るとか、こちらのことも書いて欲しいなと、そういう場面は環境問題については結構あるなあというふに思っております。
ただ、個人的に言えばというのと、あと組織で言えばそれがなかなかはっきっ出来ないということが現場としてはあるのも事実でありますし、むしろこういうような話を聞きながらですね、また勇気をもって現場に帰るとまた、叩かれるのかなあとこういうふうに思ってますけれども、何かのきっかけにはなるかなあと思ってます。ありがとうございました。
●田村
ええ横糸をね。縦糸でなくて、横糸を入れろと言うんです。それは、比喩的に言うのは簡単ですけれども、全然簡単では勿論ありませんね。理屈上で言っているんじゃなくて、ぼく何んかは、少なくてもある年間はそればっかりやったんですよ。それはどういうことかと言うと、縦糸のところに、横糸を無理に通せば摩擦が当然起きる。毎日毎日が大喧嘩。 大喧嘩するためには、何かその支えが必要でしょうね。その支えが無ければ大喧嘩出来ませんよ。でもやっぱり、それが必要だとおもうんだったら、喧嘩するところは喧嘩せざるを得ないんですよね。それを続けていくこと。しかし、人間にとっては、それはあんまり嬉しいことではないんだな。まあ辞めちゃいたくなるかもしれない。
私、なんかね、出だしが遅いわけですよ。36才からそういうことやってんだから、その分だけ皆さんよりも年齢が若いんだなあ。だからやっちゃえってことになるんだなあ。やっぱり多少ぼくだって横浜市の人がだいぶ分かってきて、この辺で止めておこうかという気分にならなかったことが無かったとは言えないわけですよね。ぼくでさえそうなんですから、まして、長く勤めている方なら皆そう思っているとそうなっちゃう。そうすると、何も動かない。 地方分権だとか何んとかと言ったって、地方主権だとか何んだとか西尾さんが言ったって、動かない。動かすためには、国の行政改革じゃなくて、やっぱり、自治体の行政改革がまず必要なわけなんですよ。それをちゃんと行わなきゃ地方分権なんか出来っこないよね。それをやるのは誰かというと、やはり、市民的な力が首長に伝わって、首長がその気になってやると。首長が勿論いい人でなきゃいけないんだけど、それは市民の圧力をちゃんと感じなきゃ。優秀な首長は今結構出ているんですね。ただし、それをバックアップする何かを感じなきゃ、彼らも分かんないんですね。
やっぱり、バックアップされているということを感じさせるように、市民側もやっぱりね、けしかけなければいけない。いうふうに思います。
まあ簡単ではないんですが、やっぱり日常的にそういうものをやって行く。しかし、結果的にそういうのが幾つか出て来ると、ぼくはもう大変喧嘩をしたと言ったんだけど、片方では大変楽しんだんだよね。結果的に、やった人間は後から文句言っているけど、やっぱり、だいたい皆楽しいですよ、最終的には。やっぱりあーいうことが出来るのか、こういうことが出来るのか、やっぱり仕事というのはね、一つの目標があってね、その達成感。決まっていることをやっている時の達成感じゃなくて、自分たちが出来ないかと思っていることも、案外一生懸命やれば出来るじゃない。他のところと一緒にやれば出来るじゃないのと。この達成感がね、今までの進む行政体系以上のものが私はあると思うんですよ。
だから、その辺を横糸をね、そう難しくなく、私は相当乱暴にやったもんだけれどね、まあ、皆さん方の場合は、柔らかく楽しく、その中で段々つくって行くということもね、是非やられて欲しいし、市役所にね、初めて入ってやっていくと、人間関係がいろいろありますから、そこを上手にやって、表からやるということも必要なんじゃないかな。斜めからもやるということも必要じゃないかなあ。私なんか、いきなり民間から乗り込んでいったからみな乱暴にやりましたけれども、そういう手ばかりではなく、勿論、いろいろな手があるだろうと思います。
それからさっきの行政の河川の方の問題でもうちょっと言いたいんだけど、河川の行政責任というのは、要するに自己責任、おれが行政責任と勝手に思っているので、私こそ行政であるという認識がちょっとあるんですよね。特に河川行政の人たちはそう思い込んで来ました。
じゃあね、本当に行政責任を果たそうとしているか、もちろん訴訟か何んかになったときにね問題 になるけど。私は河川審議会の時にいつもいい川を見るからね、いい川というのは例の沼田の奥で暴れ川で有名なんです。それをバイパスつくってですね、放水路を開けているわけですよ。まあそんなところに放水路を開ける必要があるかどうかは別として、まあ必要があるとします。それをね、大工事やってんのよ。それが延々、延々とやっていつまでも掛かっているんですよ。東京で荒川といってね、荒川放水路というのを隅田川に造りましたが、戦前に造りましたが、それに掛かった年数が掛かってもいい川の放水路がまだ出来ないんです。まだ倍くらい年数かかる、その当時は全部人界作戦ですよ、荒川の時は。で、今の方がはるかに大型機械を入れて大きな金を投じてて出来ないんですよ。なぜそんなにお金を入れて出来ないんだ。
一つはね、あちこち同時に手をつけるからね。金が分散されているから。一つは手さえつけていれば裁判になった時にあれは手をつけていたんだけど間に合わなかったから起きたんだと、こういう行政責任を回避するためにやっているのが結構あるんですよ。本当の行政責任だったら、もう止めちゃうかやるかね、他のところを止めてでもやるか、これならまだ責任と言えるんだけどさ。責任という言葉もね非常に曖昧に使われている。何に対してどういう責任を取るかということがはっきりする。この際に自治体の行政改革をすると自治体の行政責任ということがはっきりすると思いますね。
●今川
どうもありがとうございました。それぞれの立場でいろいろくじけそうになっている私たちに応援になったんではないかと思います。
今日はこれで終わりたいと思います。足下の悪い中、このように多くの方が集まっていただきまして大変ありがとうございました。 |
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