|
|
フ ォ ー ラ ム |
|
「期待はずれでつまらなかった フォーラム・シンポ
と面白く楽しかった フォーラム・シンポ」
ど こ が 違 う の か ? |
|
|
|
|
|
☆☆☆ 聴 衆 と の 関 係 に つ い て ☆☆☆ |
|
●田村
(一問一答は避ける)
読み上げるのは一番つまんない。次ぎ次と移ってきますと時間がなくなってきますので、聴衆とね皆さん方との問題なんですが、これについてはどうですか。とにかく一体感を持つべきだということは皆さんお分かりかと思うんですが、その辺一問一答があったりね、私は一問一答は非常に避けまして、複数の方に言ってもらって、それに対してこちら側で言うという形にするんですよ。一問一答をやるとですね、議長が出ちゃうと何か議会かなんかになっちゃってね、変な話しになっちゃって、で、それは出来るだけ避ける。一般論として話しをよく砕いてやるということにしているのですが、でも、この聴衆とのやり取りも一体感の持ち方についてですね、もしもっとこういうやり方がいいというのがどうぞありましたら、是非、ご提案して頂きたいのですが、森さんどうですか。
●森
(パネリスト同士の抗論・議論が主役)
南原さんが描いている点なんかを見たり、大森さんがこの前やっているのを見ても、なかなか会場からの発言があった方が、しかも大会場なんかの場合はですね、会場から発言があった方が自分の方の席にいる人が発言したということで、何となく心理的に自分の発言に関わってくるような気持ちが生じてくるという効果は大きいんですね。会場の発言を巧みに取り入れるということが必要なんですが、先程言いましたように結局パネリストが一通り発言が終わったらですね、パネリストは直ぐに討論、抗論をしないで、会場を司会が仕切って、時々、管理的に発言させているというのではなくて、会の主旨が仮にフォーラムとかパネル討論とかシンポジウムとか分けた時にですね、その実はこういう形で会場の一体的な討論を何んとか助成したいという狙いがあるのならいいんだけれども、そうでないパネル討論はパネリストの話しをするんだから会場はその雰囲気を盛り上げるような役目のような形では取り入れてね、あくまでもパネリスト同士は論議をしてそしてパネル討論、シンポジウムというのは多様な意見があるのだということを参加者が知ってですね、間違った、なるほど、そういう意見もあったのかということによって、自分自身が考える立脚点や自分が考える材料を多くするというためにやるのであって、組織の一部のように一つの意見にまとめるというのはシンポジウム、フォーラムではない。つまり、結論が出ないからこそ、シンポジウム方式でやるのでと思うんですよね。そういう意味では選ばれたパネリストが出来るだけ、巧みに抗論、議論を交えると、そこを司会者が外れないように今の点についてどうですかと言って進んで行く。それが無かったら、何をやったか分からない話に終わってしまう。それが、今日つまらないシンポジウムになっているのではないか。
●田村
まあ、聴衆の側からも発言があるとやっぱり、何んとなくね、一方的でない、一方通行的ではないという感じがするというのは私も気はするのですが、そうですね、やっぱり、これ、シンポジウムの最後の方になってくるんだけれど、結論があるのかというとね、神原さんのさっきのお話だとはっきりあって、結論をそっちに持っていきたいんだよというのもあるかもしれない。普通だとなかなかこれ多様でね、意見がない。だいたい皆さんの意見が無いんだけど何んていう話しになるんでね。で、結論が無いんですけれどという、このあたりを含めて聴衆の問題のまとめ方も含めて神原さんいかがですか。
●神原
(意見を聞いたら生かすのが礼儀)
私も、あの、会場の人の問いかけの一人として、よくアンケートというか質問を紙に書いて下さいというか、行為を取られます。先日も、自治大臣のフォーラムみたいなものが札幌でありまして、今はやりの公共事業についてでしたので、参加者が大変多かったです。で、そういう中で、アンケート、意見があったら書いてくれということで、随分たくさんの方がボックスに意見を入れました。けれども、その時のまとめは、時間が無いということで、本当にたくさん意見が出てたんですね。見たらたくさんありました。そのペーパー持ったんですね。2、3件のぺらぺらぺらと読み上げて、あとは時間がありませんのでと言うんだったら、それなら意見を聞くのを止めれば良かったんじゃないかなあって、なんか、ちょっと失礼かなあっていうふうに、肩すかしをくったような気がしました。何故か、弁護士の時の総会とか何んとかの時も意外とそういうことがあったんですね。弁護士さんたちは、紙に書かないと落ちつかないということもあるのかもしれないけれども、人の意見を聞いたらやっぱりそれをきちんと生かすのは礼儀じゃないのかなあって、ちょっと思い出しました。
●田村
工藤さんいかがですか。聴衆者の関係ととりまとめの件ですね。
●工藤
あの、聴衆者の方が、まあ、参加出来るというか、考えさせれれるように受けとめていただけるというのは、凄く必要なことだと思うんですが、そこで、あるパネルディスカッションではないですけれども、基調講演ですが、どんどん聴衆者に質問を投げかけるんですよね。どんどん手を上げさせたり声をださせたり、イエスかノーとか言えとかいうのを言われていたのがあったんですけれど、そりゃ。
●田村
JC主催?
●工藤
はい、それは相当参加している感じがしましたね。それで聞いていないと怒られたりしましてね。我々態度が悪いものですから、携帯電話がなったりすると出ていったりするのが多いんですけれども、そういうのも注意するんですよね。そういうふうにどんどんやりとり増えるとですね。段々やっぱり参加している感じになってきたというのもありましたね。それが大変良かったなあというふうに思われました。だから、ただこっちは言っているだけと、若しくは聴衆者は、ただ聴いているだけというものではなくて、どっかに引っかかりをつくってそういうふうに思うところでした。で、そういうふうに、まとめというよりも、やはり、そこで自分もどういうことなのかなあと考えられれば、それで結果としていいのかなと思いました。
●田村
ええ、残りの時間ももう短くなって来たんですが、いよいよ、肝心の皆さん方と本題になっているんで、大いにご意見があるんならどうぞご自由に言って下さい。はい、どうぞ。
●聴衆者(山内)
南区の子供育成協議会の山内と申します。昨日新聞を見て、実は、私の子供会で南区の子供会育成連絡協議会の第1回のフォーラムを行うということなんですね。そのマニュアル的なものが無いものですから、ワラをもすがるつもりでこの会場にかけつけました。
●田村
役立ちましたかね。
●聴衆者(山内)
役立ちました。ですから、今までテレビとかマスコミに放送されてるんですね。そういうのをだいたい自分でイメージで描いていたもんですから、自分なりにシナリオは描いていたんですけれど、来てからうなずく面も多々ありましてですね、大変参考になりました。ちなみに、札幌の子供会はPRになるんですけれども、社団法人になってまして、5年前からフォーラムを開催しているんですけれども、全市的に1カ所で開催していたんですけれども。ところが物理的にも時間的にも全市1カ所に集まることは大変だということで、これ、各区でやるようになったもんですから、第1回が近いうちに行うから、あんた担当なんだから準備しなさいということ言われてですね。それで今日来させて頂いたわけなんですけれども、大変勉強になりました。
●田村
全部いいことばかりではないかもしれませんが、何か役立ってくれれば結構だと思うんです。
他にいかがですか。聴衆との関係あるいはまとめ方。どうぞ。
●聴衆者
(オープンフォーラムは緊張関係を持つべき)
あえて、氏名と職業は言いません。なぜかというと、それを強制すべきではないというのが私の意見だからです。匿名制を尊重すべきだと思っております。こういうオープンフォーラムというのは、不特定多数でやるということが基本的性格の一つだと思うんです。そうすると、限られた時間どんどん特定の人の自己紹介でどんどん短くなっていくということは時間の無駄だということもあるんですけれど。一部だけ特定する意味はない。で、確かに限られた人数であれば、一体感というのは非常に大事ですけれども、オープンフォーラムの場合はむしろ、フロアーと出演者とは緊張関係を持ったっていいのではないかと私は思います。それはその森さんも何ん度かおっしゃってますけれども、明らかに立場が違う。で、その場合に質問する側だけが名前と所属を名のれと言っても、それをやったからと言って解答になるわけではない。むしろ、変に勘ぐれば解答者が、あいつは一体何者なのかということを知ったうえで準備をしようとしているんじゃないのかということが見本みたいで、非常に悪いあれでないかなあという気もするくらいなんです。もう一つの理由は、意見は意見として独立して聞けばいいわけで、意見と意見の対立が何故、日本のそういう形でないかというと人格を傷つけるという、そういう誤解が生じるというか人格が人格になっちゃうからうまくいかない。ですから、人格を切り離せばいいわけですから、別にその我々ここにいる人間が、出演者は履歴書に相当な紹介が載っておりかなりの部分理解が出来る。それに対して質問者がほんの一言二言言ったからといって、その人間の背景を充分理解出来るかと言ったら、絶対出来ない。むしろ、下手にマイナスがかかって、あの人は、そうか大学の先生だからあんなことを言うんだ、地区で何んかやっているからあんな発言をするんだなと、下手にマイナスがかかる方が私は良くないんでないかと思うんです。もう一つ言うと、自分の職務上の立場を離れれば、いくらでも質問出来るのになあと思っている人がたくさんいるのではないかと思います、というのが私の意見です。
●田村
この会の性格にもよるのでしょうね。初めに出席者の来た人の名前とか何んとかを書かすということもあるでしょうしね。じゃ、そっから書かせないのか、だから完全な不特定多数か特定多数か、まあ、いろいろありますよね。会にもよりますね。この会は何も全くないね、フリーな会ですから、まあ、いろいろなご意見があっていいと思うんですが、どうぞ他に、はい、どうぞ。時間も限られていますから、この際に。
●森
最後に一言ありますか。
●田村
まあ、ありますあります。森さんにそう言われりゃ、パネラーとある以上、最後に一言ね、しゃべれせろとね、ちゃんとありますから。
●聴衆者(青木)
青木と申します。今日は、昨日の新聞を見まして、つまらなかったフォーラムと面白く楽しかったフォーラムどこが違うのかというタイトルでお話があったわけですが、ええ、楽しみにして伺いました。大したことでもないのですが、ただの500円ですと、確か道新には無料と書いてあった。会場に参りまして500円ということでいささかむっときたんですけれど、まあ500円ですから、どってことはないと言えば大き過ぎる額でもないと思いますが、しかし、こういう会議をもっと、主催者側の方やっぱりそういったことはとても大事なことだと私思うんです。で、PRというもの、新聞にああいった形で出るということは大変なことで、その辺はやっぱり、もっとシビアに主催者側の方はお考えにならないといけないと、いい加減なものになってしまうんではないかとそのように考えます。
で、フォーラム、シンポは非常にカタカナが多いと先程森先生も、森さんがおっしゃってましたけれど、ぼくは英語があまり得意じゃないんですが、英文科出身なんですが、英語が得意じゃないいんで、何んでこんなに横文字が多いのだろうか、カタカナが多いのどろうかといつも考えているんです。で、大学の先生が一番使うんじゃないかと、そんな気がするわけなんですが、いかがなもんでございましょうか。
●森
役所ですね、行政。
●聴衆者(森下)
(音の問題もある)
行政は私大学の先生が日頃お試しられて使っているんじゃないかと気もしております。政治学の大学の先生が一番横文字を使います。横文字を使うと非常に微妙なニュアンスが語られるんじゃないか、その辺からきているんじゃないかと思うんですが。公開討論会、結構じゃないかと私も思います。そういう点で、こういうシンポジウムと称するものにですが、非常に不満を持っております。それともう一つ、一言では、会場でさっきお話しに出ていましたけれども、音の話しが出ておりませんでした。音が悪いとですね、後ろの方は聞こえないんです。で、ホテルだとか、ああいうところでやっていますと、まだ、ジュウタンが敷いてありますと、まだ、いいんですが、今日みたいな会場の場合がですね、今日はまだ狭いからいいんですが、反響が凄くて、先程のお話しで時計台の2階とおっしゃってましたが、あそこは全くだめですから。あそこは安いのかどうか知りませんけれど、あそこでやった場合は音についてちょっと考えないと、後ろの方には聞こえないと老婆心ながら。
●田村
聴こえなければ意味がないですからね。まあ、このお金の問題は主催者側の問題で、我々の問題じゃありませんね。他にいらっしゃいましか。時間が限られておりまして、最後にパネラーかパネリストか知らないけれど、一言づつしゃべらそうというのが森さんのご意見で、そういうのをやらないシンポジウムはだめだよということですから。だめだだめでないかは森さんに聞くことにして、じゃ、神原さんから何か一言、これだけは言っておきたいということ。
●神原
(討論は意思を通じ合う最初の手段)
あの、けさの新聞だったと思うんですけれど、日本の経済界の要人たちが、中国の首相に会えない。日本人は会っても何を言っているのか分からないから時間の無駄で、会わないというのが出てて、何かあれを言えてるようだなあと笑ってしまいました。あの、私は、言葉は大変大事だと思います。力や努力に訴えるんではなくて、世の中、いろんな人がいるわけですから、意見も考えも様々あるわけです。けれどもやっぱり社会を動かしていくためには最大公約数の結論を取って何らかの結論を出して動かして行かなければいけないわけですから、その導き出される結論が、出来れば後の世代にまで禍根を残さないような、やはり、その知恵を出し尽くしての選択であって欲しいと、日頃思っているもんですから、やはり、言葉と言葉を戦わせる輪として、言葉と言葉あるいは言葉を通して違う利害関係者が、よりよい結論を導き出していくための手段として、私はやっぱり討論からなり、話し合うことはとても大事だと思います。で、気になるのは最近子供どもたちの間で、意見が違うともうむかつくと言って排除しますね。仲間はずれにします。でも、子供というのは大人の世界の鏡ですから、多分大人の私たちが違う意見の人たちに対して耳をかさないとか、違う意見に対して意思を通じ合おうという努力を怠ってきたという現れが子供たちの中の違うものに対しての排除の意識みたいもんじゃないのかなあと思います。だからやっぱり試行錯誤であれ、いろんな場で話し合う場を活用して、誰か力のある人、力を持っている人だけで動くような、そんな世の中を変えていきたいなあと。討論というのはそういう意味で一番最初の手段じゃないかなあと、今日改めてそう感じました。
●工藤
(会場の雰囲気づくりも大切)
今日は本当に私自身大変勉強になったなあと感謝しております。つい先だって、実は、新聞にも出ているんですけれども、青年会議所が2000年に世界会議というものを誘致することを決定させて頂いて、その決定をみた今回、マニラで世界会議というのが開催されたわけですけれども、それに出席をしてきたんですが、我々青年会議所も国際青年会議所という組織で100国くらいの国が加入して頂いているわけですけれども、会議のルールというのがやはり、欧米というか白人流になっています。その会議の進め方もですね、いたって楽しく運営されている。行くと、ぼくも初めて参加したんですけれども、びっくりいたしましてね、雰囲気に呑まれてしまうみたいなところになっていました。で、何が違うかというと、シーンとしていないという、しょっちゅう音楽がかかっています。人が話しをしている時は、音楽を切っているんですが、話しをしていない間は音楽がかかっています。ですから雰囲気が凄く柔らいでいるんですね。そういう会議に参加させて頂いて何んと違うのかなあというカルチャーショックみたいなものを感じてきたわけです。で、要するに会議というには、我々はそういうなわけで堅苦しく考えがちなところがあるんですが、その、いかにその会議に参加をするかのところを考えるべきなのかなあというものを自分たちの中でつくり上げていくのかなあということを感じたもんですから。こういう一方的なパネルディスカッションや基調講演みたいなものも、是非主催者側というかそれを進める側が何かのアイディアでそういうものが採り入れられれば、参加する人たちも一緒になって楽しめるというふうな方法もあるのかなあというふうに感じましたんで、ぜひ、何んかそんなものを今度は自分自身も考えてみたいなあと思いました。
●森
(シンポで面白いとは何か?)
本日のテーマであります面白いとは何か。シンポで面白い、つまり、先程から意見がありましたように内容があったら参考になったら知らなかったことが分かって良かったな、立場の違う人の話しが聴けて良かったな、自分と違う人の意見も聴けて良かったな。まあ、こいいうことだと思うんですよね。つまり、タレント的な話術の面白さ、芸術的に笑わせてもらえるという面白さではないかというふうに思うんですけれどもね。問題は参加者が、自分と違う意見ばっかりで、誠に不満だとちっとも面白くもなにもなかったよという意見があったとしますね。こらはもう考えなきゃならないという問題があると思うんですよね。そこで、フォーラム、シンポジウムとは何んなのか、本来何んであるのか、何を目指しているのかということを考えてみたい。
つまり、後で田村さんに宿題ということで申し上げた。宿題ということでお願いしたいことがあるんですが、結論が簡単には見い出せない、多様な見方がある方がよろしいのではないか。それで田村さんに聞くのはですね、最近20年30年くらいつまらない面白くないシンポジウム、フォーラムが多々あるわけなんですけれども、しかし、これ程までにシンポジウム、フォーラムが広がっているというのはどういうわけなんであろうかということを付け加えていただきたい。
●田村
(人間は何なのか?)
何故広がっているかというと一つは、勿論流行だと思います。でもやっぱり、ぼくは基本的に人間が何んなのかということですね。人間は2足歩行しますね。で、いろんな能力持っている。非常に特徴的なのは言葉を持っているということ、勿論他の動物も言語を持っているんです。人間だけしか持っていないと動物学者はいろんなことを言うんだけど、明らかに人間はね、思考出来る言語を持っている、これは大変なことなんですね。初めに言葉をいいますけれどもね。言葉というのは大変な意味を持っている。その中にいろんな思いがあったりね。理屈があったりね、悲しみがあったり、喜びがあったりね。例えば、イランあたりでは、政治家というのは詩人でなきゃだめです。で、詩を語らなきゃいけない。政治演説は詩でなきゃいけない。我々はとてもその能力がありませんから、普通紙に書く。でもね、やっぱり、何かその思いや何んとかと、思いと理屈で一緒になっているような、何ものかというのを人間つくっちゃったわけですよ。それはそれぞれの国によって違うわけですよね。で、勿論、だから同じにしろと言われても出来ません。
(日本文化は日本語)
我々の日本文化は何か、一言で言うと日本語なんですね。日本語というのは唯一、まあ、いいか悪いが知りませんよ。これによって形が優先されれば文化というあれは普通しているわけです。だから、ここで皆んなが話し出来るわけで、これ、ここでもし、言葉が違えばね、勿論、翻訳することは出来る、いちいち要点を伝えることは出来る。しかし、今日のようにね、ここに集まった方のような理解が出来ないはずなんで、恐らくここに集まった方は、それは気に入らない、気に入らない俺はこうだったとかね、いろいろあったかもしれないけど、恐らく全て理解出来た。これは凄いことなんですよ。これだけ2時間近くの言葉を、で、いろんな人が言いながら、分かるってことが、これが大変なことなんですよ。しかし、そこまでには言葉っていうのは、争いもあり、いろんなことも生ずるんです。
いいことを創造していくということにも繋がる言葉もあるだろうし、お互いに愛情をやるという言葉もあるだろうし、でも、そうじゃない憎しみもつくることにもあい通じるんですね。しかし、やっぱり、言葉というのは私は、最終的に皆さんに共通してある我々の唯一ね、唯一持っている共通のものだと、共通の文化なんですよね。この共通の文化を利用しない手はない。
(結論は出ないが共通理解はある)
するとその共通文化の中で、私はシンポジウムの時いつも言うんで、これは結論が出ませんと司会者が良く言うんだけど、あんまり、それには賛成じゃない。結論は人がそんな2時間で出るわけないんだから、結論は出なくてもいいんでけえれども、少なくともね、何かしらの共通理解があった、あるいは共通の議論をした時間があったということ、それを共有したということが素晴らしいことなんですよね。そのためにぼくは、ある、いやあらせたいと思って、これからあるとすればですよ。シンポジウム続くとすれば、マンネリ的にはやる人がいるかもしれない、でも、そうじゃない。折角持っている我々の言葉の上でね、そのお互いの共通理解をする、共通の理解をしあおうとするということが基本的になきゃだめです。あるいは、初めから理解しようとしなけりゃ無理ですね。しかし、その中で、勿論違うと思う意見がある、それは当然なんです。
で、違うなら違う。そこを論理的に詰めていくのがそりゃ一定の時間である。しかし、少なくともね、3つ別に意見が同じ言葉の中であるということが分かっているわけで、共通の言葉の中で違うのがある。これは大変なことなんですよ。全然違うんじゃないんですよ。かなり、共通の輪の中に入っているわけですよ。だから共通の理解という、これが一番大きいことでね、少なくても、2時間あまりの我々共通の理解、いや意見が違うのはいいんですよ。しかし、共通の理解する日本語という場に居られたという大変幸せだと、これからも、そういう意味で、続けば続くだろうとそういうふうに思います。ま、しかし、さらに言うならばね、さっき言いましたが、必ずユーモアが入るんです。だから純粋な東京人には全然無いんです。これがね、関西人だったらもっとあるんですよ。で、ね、もっと西の方に行くともの凄くユーモアがあるんです。森さんなんか、四国出身だからなんとなくユーモアがありますでしょ、だからちょっと違うんですよ。ぼくらはね、純粋に標準語しかしゃべらない人間だから、詩も書けないしね。その面白さが出ないんですよね。しかし、そういう四国のある人がぼくについこの間話しをしたら、今まで東京にいて勉強に帰った。故郷に帰ったら、言葉が通じないということを発見した。つまり、自分も普通の言葉でこっちでは話しが出来るわけ、ところが、言葉になっていない、つまり、何かを決めようとしているんだが、お互いにただワイワイガヤガヤとしているだけで、それに自分も行き詰まり、腹が立っても何も言いません。皆んなで冗談を言い合うような会をつくったんです。そして、お互いに冗談を言いながら、これは愛媛の言葉でヨゴラというんですね。ヨゴラというのはね、悪ふざけに言うような言葉を言いながら皆んなで言葉を取り持つようにして話しが出来るようにした。それから言葉が始まる。それからまちづくりの話しになるんですが、これを話しちゃうと2時間話すことになりますから、止めちゃいますけれどもね。だから、そういう言葉をお互いに取り戻すということは非常に大事なことなんですね。それを関西の方の向こうの人は楽しくやるという言葉を持っているというのは、これは大変幸せで、私は残念ながら東京人でそういう文化を持っていない。森さんはやや持っているんですよ。若い頃東京に居ちゃったから少し抜けたけど、しかし、まだ持ってるんですよ。で、やっぱりそういう言葉を大切にしたい。
(生き生きとした話しが出来れば楽しい)
しかし、そうは言うもののまずお互いが楽しくしていると理解できるところは出てくる。その中に我々が本当にやるべきことを見つけていくことに感謝出来るようになるんでないかと、そういう点でシンポジウムは意味がある。そういうのが本当に面白いシンポジウムで生き生きとした話しが出来れば、そのこと自体が楽しいし、そんな中からよりいい答え、よりよい共通理解が得られればなおいいんじゃないかなあと思います。まあ、皆さん方、まだ言いたいこと、そんなこと言うんだったら俺まだ言いたいことがいっぱいあると思うんですが、時間がちょうどになりまして、10分オーバーしたのですが、これで今回は終わらさせて頂たいと思います。どうも皆さんありがとうございました。
●成田
皆さん大変ありがとうございました。今日のフォーラムいかがでしたでしょうか?
多分、今日お集まり頂いた皆さんが、地域に持ち帰って新しいシンポジウム、フォーラムを企画された場合にきっと今までにない新しい形のものが出来ると私は信じております。ここで今日コーディネーターして頂きました田村明先生、パネリストの方々、そしてご参加頂いた皆さまに拍手で終わりたいと思います。ありがとうございました。 |
|
|