フ  ォ  ー  ラ  ム
「期待はずれでつまらなかった フォーラム・シンポ
面白く楽しかった フォーラム・シンポ」
ど こ が 違 う の か ?
 
は じ め に
 
 最近至る所でフォーラムやシンポジウムが行われています。フォーラムやシンポジウムが地域づくりや環境保全活動などを進めたり、介護や高齢者問題、あるいは教育問題など考える上で、市民(住民)も含めた関係者の意識を向上するために果してきた役割は大変大きいものがあります。また、これからもその役割が一層期待されます。
 しかし、これまでのフォーラムやシンポジウムはあまりにも形式的、イベント的な色彩が強いものでした。2時間程度の定められた時間の中で、パネリスト自身が話す場面を何度か繰り返すと所定の時間となり、最後にコーディネーターが無難にまとめ上げます。これが一般的なパターンです。
 その進行シナリオは、主催者側が予め決めていて、ほぼその筋書き通りに進行していきます。集められた聴衆も関係者による動員の色彩が強くなり、フォーラムやシンポジウムは形骸化してしまいます。
 このような状態のために、パネリストも自分に与えられた時間で予め用意された内容を発表し、自分の出番が終わるとあとは次の順番が回ってくるまでじーとしています。他の発表者の内容にはあまり関心を示しません。
 果たして、このような形骸化されたフォーラムやシンポジウムで集められた聴衆は納得するのでしょうか? また、このようなフォーラムやシンポジウムだから聴衆も形式的に集まってくるという悪循環を発生させます。
 「フォーラムやシンポジウムとはどのようなものなのだろうか?」を考えてみる必要があります。それぞれの地域で、それぞれの活動内容に合ったフォーラムやシンポジウムを開くためにもフォーラムやシンポジウムのあり方を語る必要があります。

 フォーラムやシンポジウムとビデオ、論調との違いは、その場での熱い雰囲気を感じ取れるかどうかです。熱さを感じ取れないフォーラムやシンポジウムは意味がありません。

 進行は基本的には、地域政策プランナーであり法政大学名誉教授であります田村明さんにコーディネーターをお願いすることにしました。パネリストにつきましては、討論の中でも話し合われていますが、人数を多くすることを考えたその瞬間にそのフォーラムは失敗の方向に向かっていくと言われるように3人を限度に設定しました。パネリストの選定に当たっては、次の点を考慮して決めています。

    1.テーマに関連している多方面の人
    2.自分の考え方をきちんと持っている人
    3.パネリスト同士は同じ考え方の人ではない人

 結果として、日本消費者連盟運営委員の神原昭子さんとJC北海道地区道央ブロック協議会会長の工藤清隆さんと森啓さんの3人にお願いすることにしました。
 神原昭子さんは、日本消費者連盟運営員をしており、よくパネリストになっていますので、パネリストの立場から議論され、工藤清隆さんはJCの会長をしていますので、フォーラムを企画する側の立場から議論し、森先啓さんはパネリストや参加者を挑発しながらフォーラムを進めるという想定の基に人選していきました。勿論、企画の思惑通りに進むとは思っていません。
 このフォーラムは、全てが討論の対象になります。勿論この人選についても話し合われることになりますが、討論の中では、予期していなかった話しが出てきました。パネリストの中で、神原さんは女性です。「一般には、女性が飾り物になって、花として添えられている」という発言が会場から飛び出しました。私は一瞬「はっ」と思いました。企画の段階で考えてもいませんでしたので、そんな話しが出るとは想像していませんでした。しかし、一般的にはそのような形を採っているのかなあと思うとともに、中身が重要であり、体裁ではないということを改めて強く感じたものです。

 進め方は、パネリストには

    1.話す原稿は作らない
    2.最初は短い自己紹介とフォーラムのあり方について思っていること
      を話すことになるのではないか
    3.進行の展開はその場の雰囲気でどのようになるか分からない
    4.このフォーラムの企画、進行も議論の対象になる

 とだけしか事前に知らせておかないで、あとは本番で議論するということで進めることにしました。

 参加者とコーディネーター、パネリストは同じ舞台の上で議論されるという主旨に少しでも近づけるために、受付の時点からコーディネーターとパネリストも参加者の席のどこかに座っていただき、総合司会の進行により会場から前の方に出てきてもらという形を採ったり、会場を扇形にしたり、新しい試みも行いました。このようなやり方も当然ながらこのフォーラムの討論のたたき台になるわけです。
 前半はパネリストによる討論、後半は会場の参加者も含めて議論をするという想定で始めましたが、前半から参加者からの発言があるなど、2時間半という時間はあっという間に過ぎて行きました。

 今回のテーマについての議論は、一度や二度の、しかも2時間程度の時間で語り尽くせる問題ではありません。地域によって、集まる人によっても議論は異なってきます。
 正解のない問題を見いだすために広がった「知的生産の技術」としてのフォーラム・シンポは、成熟社会において、新たに発生するたくさんの難しい地域問題を解決する手段の一つとして、役割を果たしていくに違いありません。解答を導き出すことが非常に難しい地域問題について、それを導き出すための本当の意味での手段とするためには、地域の人たちがそれぞれの目的に合ったフォーラム・シンポを開催することにあると思います。
 このフォーラムをきっかけとして、各地でそれぞれの地域に合ったフォーラム・シンポが開催され、地域の人たちが自らが自分たちの地域をつくり上げていくという市民(住民)主体の「まちづくり」が行われることを願って止みません。





     平成11年3月



                                            「フォーラム・シンポのあり方を考える」
                                               実行委員会代表 田 中 栄 治