1.建築とコンピューター
コンピューターは昔から建築分野に利用されるのが早かった。私がコンピューターと接したのは大学の卒論の時である。それまでコンピューターには興味はあったものの直接使える等とは思ってもいなかった。
建築の分野とは違い、正しいか間違っているかがはっきりしている。このことは、私の性格と良く合っていた。後には、この考えは良くないということに気付くのであるが。
机上でプログラムを勉強していてもコンピューターに関しては、実際に扱ってみないと分からない。最初は、大型コンピューターを扱うことになった。この大型コンピューターは、私にとってはあまり楽しく無かった。通常、大型コンピューターは、CPUを分割して使用し、あたかも同時に使用しているかのような処理をする。
また、大型コンピューターを扱う専門の人がいて(オペレーター)直接我々は、コンピューターに触れない。さらには、一度処理を提出してその結果が出るのは次の日なる(実際の処理は直ぐに終わるが、処理する物件が多いため次の日に取りに行くことになる)。
プログラム行為は、通常、SINTAX ERROR(単純エラー)は付きものである。プログラムのスペルに一字違ってもエラーとなり、その日の処理は終わる。プログラムを完成するためには、このSINTAX ERRORを何度も直し、その後の論理ミスを直さなければ完成しない。その度に一日取られるため、プログラムが完成し、処理をするためには何日、何十日とかかってしまう。この感覚は、私にとっては大変苦痛であった。
大型コンピューターは、処理そのものは早く、大容量のデータを処理できるが、あまりにも機械的すぎ、コンピューターに話しかけるという対話式ではなかった。
そうしているうちに、卒論で小型コンピューターを使用させてもらうことになった。メモリー容量は、プログラムメモリーも含めて8Kバイト。今では考えられないコンピューターである。しかし、大きさは、机くらいのものであり、今の人では想像はつかないでしょう。入力装置は紙テープ、プログラムを紙テープにパンチし、コンパイラーをかけて処理する。フォートランで連立方程式を20元くらい処理できるが、限界がありました。プログラムの無駄を出来る限り無くし、ディメンジョン容量を大きくしなければならない。一回の処理で出来ない場合は、一旦、中間データを紙テープに打ち出し、そのデータを使って次のステップに進む。この繰り返しです。しかし、この小型コンピューターは、私にとっては大変楽しい相手となりました。大型コンピューターとは異なり、自分で操作し、自分で考えたプログラムを呼び込ませる。スタートボタンを押すと直ちに結果が出てくる。その間一秒もかからない。ボタンを押した時と同時に打ち出されと言っても良いくらいでありました。これは、私には感覚的に受け入れられるものでした。
コンピューターと2人きりで毎日過ごしたのですが、大変楽しい日々でした。自分の考え方が間違っていれば、それが結果として表れる。曖昧さは許されない。工学系の者の感覚と一致している。この考え方は結果的には、人間としては片端であるということに後に気付くのであるが、当時はこの考え方で進んでいました。
処理すればするほど次の発想が生まれる。実に楽しい日々でありました。大学を終え、就職をすると、当然ながらコンピューターとは離れたため、コンピューターが恋しくなる。
2.コンピューターの歴史
(1)マイコン時代
コンピューターと離れてから数年が経過した昭和51年ころから、マイコンが発売されるようになった。価格も個人で何とか手の届く10万円代であったため、思い切って購入することにした。この時代のマイコンは、今考えると処理するというものではない。メモリーも1Kバイトであり、プログラムは機械語かせいぜいアセンブラーである。それでも自分でコンピューターに触れるという考え方があり、これが私を引き付けたのでありましょう。ソフトを使うというよりは、ハードの分かった人の世界であったと言える。勉強はしてみましたが、自分がやろうとしていたものが出来るためには、相当時間が掛かるという感じを持ったものです。
(2)8ビットパソコンの登場
マイコン時代が数年続いた後に、8ビットパソコンが登場する。この時代になるとマイコンから比べるとコンピューターにはるかに近づき、ある程度の処理が可能となった。メモリー容量は、今のものと比べると、数段の差はありますが、ディスプレィもプリンターも現れたため、それなりの処理が可能となった。価格は、マイコンから比べるとかなり高価なものですが、数十万であり、個人でも何とか持つことが出来ました。私も、何とか購入し、プログラムを組んで処理しますと、卒論時代の小型コンピューターと比べても、処理能力はそれ以上のことが出来ることが分かり、十分満足したものです。プログラムは、BASICというインタープリター方式が大半を占め、コンパイラーをまとめて処理するのではなく、一行一行実行していくため、ソースプログラムを直すと直ちに処理出来るという利点がありました。コンパイラーという面倒な処理をしなくても良くなり、コンピューターが大衆化されたわけです。
8ビットパソコンは、コンピューターを以前から使用していた者にとっては、自分で操作できる機械という感覚であり、それなりに活用出来る。以前からコンピューターを扱っていた者にとっては、コンピューターはあくまでも手段である。いわゆる、目的は既に他の部分にあり、それを達成するための方法としてコンピューターを利用する。従って、プログラムで壁に突き当たっても、目的が既に存在するため、簡単には挫折出来ない。努力をし、その壁を越えることが出来る。8ビットパソコンは、プログラムを自分で作れる者でないと扱えない。プログラムはBASICというものが開発されて、非常に楽になったとしても、プログラムを作る目的がなければ挫折は目の前である。8ビットパソコンは、年を追う毎に機能も良くなり、また、価格も安くなって行く。一般の者でも、ちょっと興味があれば購入するようになって行くが、大抵の者は、コンピューターそのものが初めてであり、コンピューターを扱えるということに興味があるだけで、コンピューターを利用して何かをやりとげるという目的が無かったため、プログラム作成は初めてであり、そのプログラムの難しさを克服することが出来なく、時間とともに物置に埋もれてしまう運命にあったと言える。
(3)16ビットパソコン
8ビットパソコンの宿命とも言うべき過程の中で登場したのが16ビットパソコンである。このパソコンの登場から、本格的なパソコン時代に入っていったと言っても過言ではない。8ビットパソコンと16ビットパソコンの大きな違いは16ビットパソコンでは漢字を扱えて、ワープロプログラムが登場したことが大きい。
もちろん、8ビットパソコンでも漢字が扱えるようにはなったが、16ビットパソコン機能的にも8ビットパソコンを越えうる要素を含んでいたと言える。
16ビットパソコンでは、上述したように、やはり、ワープロプログラムの松が登場したことです。私も8ビットパソコンで漢字は扱え無いのですが、英語のワープロプログラムを作成したのですが、処理速度が遅く、実用化にはならなかった。8ビットマシーンのインタープリター方式のBASICでは、やはり処理速度に問題はある。このプログラムが出始めた時は、ワープロ専用機が出回っていた。しかし、価格が当時で100万円代から200万円代であり、一般の個人用のワープロとしては高価過ぎたのである。
こんな状態の中で、ワープロプログラムである松の登場は、一般の者にとっては画期的であると言える。事実、私は、当時いた建築の研究所では、パソコンは測定器とつないで利用され始めていたため、パソコンは数台存在していた。そのパソコンがワープロにも使えるということは、活用の範囲が大きく広がり、プログラムを作成出来ない一般の研究者にも使われるようになり、逆にパソコン台数が足りなくなってしまった。本当の意味でのパーソナルコンピューターになる要因があったと言える。
これを機に、16ビットパソコンは、急激に広まって行く。プログラムは作成出来なくてもワープロには活用出来るため、挫折しても物置にまでは行かない。このころからゲーム開発プログラムがどんどん開発され、ソフトとハードの分野がそれぞれに加速されて発展していった。16ビットパソコンからOSにMSDOSが採用され、このことがさらにソフトの開発を加速することになる。
3.建築への応用
建築との関わり合いは、事務的利用はもとより、構造計算という分野では他の分野より早く利用されてきた。その典型が東京都に建設された霞ヶ関ビルに採用された超高層建築物の構造計算に代表される。従来の構造計算は、静的構造計算と言ってよく、地震による水平力による大力応力に如何に耐えられるかという点に焦点がおかれていた。この方式によると、日本における高層建築は不可能に限りなく近くなると言える。そこで導入されたのが動的解析である。これは、地震エネルギーが基礎を通して建物に伝えられるが、上部までそのエネルギーが伝わるまでに次の地震波が下部に到達する。上層部にまで達したエネルギーは直ぐには消滅せずに下部のその一部が伝わってくる。この時、下部から次のエネルギーと打ち消し合い、実際には、静的に解析したほどのエネルギー伝達でなくなる。これを手計算で処理するのは不可能に近く、コンピューターが存在して初めて可能になったと言える。
構造計算分野では、コンピューターによる影響は非常に大きく、構造計算の理論はかなり前から色々な方法が考えられていた。理論的には優れていても、実際の計算処理になると大変な労力を要する。そこで考えられたのが固定法やとう角法である。出来る限り式を単純化され、省略化されてきたのである。コンピューターの発達により理論的に優れている計算方式が採用され、より正確で早く処理されるようになった。このことは、一概に良いとは言えない。計算理論はより精密になっても、実際の建築施工はそんなものではない。理論どうりに施工されるとは限らない。そういう点では、安全側にアバウトな計算を行った従来の方法の方が良いとする説もある。
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